
Sign up to save your podcasts
Or


2025年8月3日 三位一体後第7主日
説教題:神の後悔は過ぎ去ったのだろうか?
聖書: 創世記 6:1–22、ローマの信徒への手紙 8:18–22、詩編 140、マタイによる福音書 5:9
説教者:稲葉基嗣
-----
創世記の始まりの章において、この世界を造った神は、ひとつひとつのものを見つめて、喜んで、「良い」と宣言されました。そして、この世界が完成したときも、神は「極めて良い」と宣言しました(1:31)。けれども、神が見つめた世界に人間の悪が広がり、大地が悲鳴を上げました。だから、神はこの世界を見つめた時、もはや「良い」とは宣言できませんでした。そして、私たちは衝撃的な言葉と出会うことになります。「地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた」(6節)と記されています。人間の抱える、罪深い現実に、神は困惑し、心を痛めました。人間の罪によって、人間も、世界も、そこに生きるすべての生き物も、傷つき、命を歪め、混沌へと向かってしまっているこの世界が、もうこれ以上、カオスに飲み込まれていかないようにと神は願いました。そして、私たち人間に対する思いに神は心を引き裂かれながら、洪水を起こす決断をしました。そこに愛がなければ、きっと神は後悔なども抱かず、人間の罪を放置していたことでしょう。洪水が過ぎ去り、ノアの家族が新しい歩みを始めた時、神の後悔は完全に過ぎ去ったのでしょうか?もちろん、そんなことはありません。神は傷つき続け、後悔し続けました。けれども、その神の後悔は、私たち人間を見捨て、この世界を完全に見放すことには働きませんでした。その後悔を完全に過去のものにするために、神はイエス・キリストを私たちのもとに送り、救いの希望としてくださいました。キリストが私たちの救いとして訪れた今、神の後悔は過ぎ去ったのでしょうか?残念ながら、「神にもう後悔はない」と、断言することはできません。戦争や紛争によって、差別的な言動や、社会構造がもたらす不平等によって、この世界に相変わらず混沌が広がっていることは、間違いありません。神の後悔は過ぎ去っていないのでしょう。神は今も、傷つきながら、私たちの生きるこの世界を見つめておられます。それでも、決して見捨てず、愛と憐れみを抱きながら、聖霊なる神を遣わし、混沌の中で生きる私たちに、命の息を吹きかけてくださっています。だからこそ、私たちは、混沌が広がるこの世界で、神に平和を祈り続けます。神の後悔が過ぎ去る日が訪れることを願い続けています。どうか、ひとつひとつ積み重ねたその祈りが、平和を形作る思いや言葉、そして行動を生み出しますように。
By 小山ナザレン教会2025年8月3日 三位一体後第7主日
説教題:神の後悔は過ぎ去ったのだろうか?
聖書: 創世記 6:1–22、ローマの信徒への手紙 8:18–22、詩編 140、マタイによる福音書 5:9
説教者:稲葉基嗣
-----
創世記の始まりの章において、この世界を造った神は、ひとつひとつのものを見つめて、喜んで、「良い」と宣言されました。そして、この世界が完成したときも、神は「極めて良い」と宣言しました(1:31)。けれども、神が見つめた世界に人間の悪が広がり、大地が悲鳴を上げました。だから、神はこの世界を見つめた時、もはや「良い」とは宣言できませんでした。そして、私たちは衝撃的な言葉と出会うことになります。「地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた」(6節)と記されています。人間の抱える、罪深い現実に、神は困惑し、心を痛めました。人間の罪によって、人間も、世界も、そこに生きるすべての生き物も、傷つき、命を歪め、混沌へと向かってしまっているこの世界が、もうこれ以上、カオスに飲み込まれていかないようにと神は願いました。そして、私たち人間に対する思いに神は心を引き裂かれながら、洪水を起こす決断をしました。そこに愛がなければ、きっと神は後悔なども抱かず、人間の罪を放置していたことでしょう。洪水が過ぎ去り、ノアの家族が新しい歩みを始めた時、神の後悔は完全に過ぎ去ったのでしょうか?もちろん、そんなことはありません。神は傷つき続け、後悔し続けました。けれども、その神の後悔は、私たち人間を見捨て、この世界を完全に見放すことには働きませんでした。その後悔を完全に過去のものにするために、神はイエス・キリストを私たちのもとに送り、救いの希望としてくださいました。キリストが私たちの救いとして訪れた今、神の後悔は過ぎ去ったのでしょうか?残念ながら、「神にもう後悔はない」と、断言することはできません。戦争や紛争によって、差別的な言動や、社会構造がもたらす不平等によって、この世界に相変わらず混沌が広がっていることは、間違いありません。神の後悔は過ぎ去っていないのでしょう。神は今も、傷つきながら、私たちの生きるこの世界を見つめておられます。それでも、決して見捨てず、愛と憐れみを抱きながら、聖霊なる神を遣わし、混沌の中で生きる私たちに、命の息を吹きかけてくださっています。だからこそ、私たちは、混沌が広がるこの世界で、神に平和を祈り続けます。神の後悔が過ぎ去る日が訪れることを願い続けています。どうか、ひとつひとつ積み重ねたその祈りが、平和を形作る思いや言葉、そして行動を生み出しますように。