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自己紹介フリーランスのAndroidエンジニアきりみんちゃんのマネージメントとプロデュースとかやってます生い立ち埼玉生まれ幼稚園の時に茨城に移住幼稚園の時はひたすら絵描いたり自由だった気がする運動好きで社交的でいろんなことをよく考える子供だった小2の終わりくらいから学校行かなくなった最初は家族もなんとしても学校行かせようとしててかなり争ったけど最終的に諦めてもらえた自治体経営のフリースクールみたいなところに通ってた特に勉強をさせられたりするわけではなく自由に遊んで過ごす幼稚園みたいな場所だった義務教育時代小学生で不登校は珍しかったので中学生に可愛がられたりしてた中学生になっても不登校中学の3年間はフリースクールで同世代の友達もいてかなり楽しく過ごしてた勉強はまったくせずひたすらゲームばかりやり続けていたゲーム作ったりしたかったけど具体的に何勉強すればいいのか当時は情報も道具もなかったので何もできなかったRPGツクールはめっちゃやり込んでた中学卒業後はなんとなく通信制高校に進学した10代後半ニート時代定時制と迷ったけど治安が悪くて馴染めなそうな気がした通信制高校は問題集のプリントを解いて数時間登校すれば単位がもらえるガバガバ環境だったその代わり登校日とかは決まってなくて友達を作る方法がなかった結局それも続かなくて中退した中学卒業してからはネットが繋がって2ch廃人だったコテ雑みたいなスレで慣れ合ったりしてたこの頃はやたら東京にあこがれていて、時々一人で秋葉原に行ったりしていた2chにいい加減飽きてきてた頃にTwitterを知って始めたこの頃はまだTwitterユーザーが一つのコミュニティみたいな規模だったTwitterで今までとは違うタイプの友達がたくさんできたニートは普通だと思ってたけど、同世代の友達が色々な活動したりプログラミング出来たり有名大学目指したりしてて衝撃を受けたそれまで自分の時間が進んでる感覚があんまりなかったけど、急に人生に焦り始めて劣等感などでメンタルが病みがちになるバイトを始めようと思うもコンビニもドラッグストアもスーパーも面接で落ちる。そのくらい当時は駄目オーラ全開だったメンタルが完全に限界になって何のプランもなく自転車で国道を北上する暴挙に出て深夜にパトカーに見つかって補導され早朝に連れ返されるこの時が人生で一番底を見た時だったと思ってるその後、近所の食品工場の派遣バイトに受かり働き始める。そこで意外と自分が要領よく仕事ができる方だったことと、漠然と恐ろしいものだと思っていた労働が数ヶ月続けられたことで少し自信を取り戻すちょうどその頃、高校で取ってた単位と高卒認定の科目合格で高卒の資格を手に入れられたので、進学を考え始めた漠然と大学に行きたかったけど現実的に小3で学力が止まってる状態から大学受験の勉強ができるほど当時は努力できる性格じゃなかったので、専門学校に行こうと思ったTwitterで知り合った人にエンジニアの人が多かったのと、元々コンピューター好きでプログラマーなら興味を持てそうな気がしたので情報系の専門に行くことにした専門学校時代地元の専門だとまた同じような空気が蔓延していてあんまり現状から抜け出せないような気がして、東京の学校を探した都心の主要専門学校で一番地味で堅実そうな学校と学科を選んだこの時は本当に最後のチャンスだと思っていて、情報収集から入学手続きとかも基本的に自分でやった実家から片道2時間くらいかけて都心の学校に通い始める入学した学科は期待どおり堅実で訳ありの人や大学中退の人などが多く真面目な人が多かった授業内容も楽しかったけど、地元の同世代とは明らかに違って文化的な会話が出来る人が多くて新鮮で楽しかった友達もそれなりにできて2年間学生生活を満喫した学科はシステムエンジニア育成コースで、情報処理技術者試験の範囲をなぞる形でプログラミングの他にUMLの書き方やテーブル設計などSEっぽい知識を中心に学んだ1年の夏に基本情報に合格した正直専門時代はオブジェクト指向もあんまり理解出来てなかったしネットワークやデータベースなども具体的にイメージ出来てなかった成績も中の上くらいで特別良い方ではなかった1年の冬頃から就活しはじめたどんな会社に入りたいのかもよく分からなかったし何がやりたいのかも分からなくてあんまり積極的には動けなかったとにかくお硬い会社は向いてない気がしたのでWeb系かスマホ系のスタートアップを中心に応募してたけどスキルマッチしなかったかなり苦戦して最終的に2年の冬に零細SIerのスマホアプリ受託の新規部署に内定して就活終わった新卒時代手取り15万くらいだった同期4人全員専門卒で自分以外あまり技術に興味なくほぼプログラミング出来ないみたいな感じだった会社も昔ながらの零細企業という感じで今考えると色々すごかった先輩もプログラミングあまり出来ないのでひたすらネットでググりながら一人で受託のAndroidアプリ開発してたバリバリやってたら取引先の会社に常駐することになってそれが辛くて1年ちょっとで退職した2社目時代Greenで見つけたゲーム開発の受託やってる零細企業に転職した入社時に前職を「この年収でよく生活してたね」と言われたけど、その会社では手取り20万くらいで残業代なしだったブラック過ぎて2ヶ月くらいでおかしくなって失踪してしまった行方不明になって2週間くらい音信不通になって東日本をさまよっていたその後実家に戻って1ヶ月くらい療養したもうしばらく正社員として働くのは嫌だと思ってバイトを探した結果、どうせならフリーランスの方が儲かりそうだと気づいて勢いでフリーランスになったR時代フリーランスエージェントに登録して最初に面談に行った会社がR社だった経歴とスキル的には厳しかったけど運良く面談担当者にポテンシャルを見込まれて入れてもらったR時代は当時としてはかなり大きめなアプリのチームに配属されてチーム開発についてやビジネススキルなどについてたくさん学んだ業務委託の人が多い現場でフリーランスの友達もたくさん出来て楽しかった大変なことも多かったけど、この時が一番仕事のチームメンバーと仲良くやってて楽しかったかもしれない2年くらい開発チームで働いたあとに技術基盤チームで半年くらい技術調査したり社内向けの技術記事書いたりしてた最終的に2年半くらい在籍して離任したふわふわ時代Rで知り合った人が独立したというので常駐の仕事仲介してもらったり受託の仕事の下請けやったりしてたこの頃しごとがあんまり楽しくない代わりに英語の勉強をめっちゃしてた。中学基礎英語も全くやってない状態からTOEIC650点になったAnyPay時代エージェントに戻り次に紹介してもらった会社がpaymoをやっていたAnyPayだった当時はpaymoリリース直後で社員エンジニアがCTO含め二人だけでCTOが手を動かすような環境でかなり新鮮だった最初は決済ドメインに全く興味なかったけどやってるうちにハマっていった正社員にならないかと誘われて正社員になったpaymoにはかなり可能性を感じていて本気でプロダクトの成功のことを考えていた計1年半くらい在籍したのち、いろいろあって音楽性で退職したその後Kyashに転職したけどAnyPayやめる少し前からメンタルを崩しがちでKyash入った直後にメンタルが完全に駄目になってしまって退職鬱時代本格的に鬱っぽい状態になってしまい寝たきりになってしまう本気でもう働けないんじゃないかと思った2ヶ月くらい療養してなんとか生活出来るくらいになった頃、M社の業務委託に誘われる働けるか不安だったけど週3で入ることにする働いてみると意外となんとなかった。徐々に体調も改善していって稼働を週4に増やして本格的にM社で働き始める