大大大可酱

1Q84—第二章天吾3


Listen Later

「電話でも簡単に話しましたけど、この『空気さなぎ』のいちばんの美点(びてん)は誰の真似もしていない、というところです。新人の作品にしては珍しく、<傍点>何かみたいになりたいという部分がありません」、天吾は慎重に言葉を選んで言った。「たしかに文章は荒削(あらけず)りだし、言葉の選び方も稚拙(ちせつ)です。だいたい題名からして、<傍点>さなぎと<傍点>まゆを混同(こんどう)しています。その気になれば、欠陥(けっかん)はほかにもいくらでも並べ立てられるでしょう。でもこの物語には少なくとも人を引き込むものがあります。筋全体(すじぜんたい)としては幻想(げんそう)的なのに、細部(さいぶ)の描写(びょうしゃ)がいやにリアルなんです。そのバランスがとてもいい。オリジナリティーとか必然性(ひつぜんせい)とかいった言葉が適切なのかどうか、僕にはわかりません。そんな水準まで達していないと言われれば、そのとおりかもしれない。でもつっかえつっかえ読み終えたとき(言葉がスムーズに発せられないで途中で何度かとまる。 「 - ・え-・え読む」)、あとに<傍点>しんとした手応(てごた)えが残ります。それがたとえ居心地(いごこち)の悪い、うまく説明のつかない奇妙な感触であるにしてもです」
 小松は何も言わず天吾の顔を見ていた。更に多くの言葉を彼は求めていた。
 天吾は続けた。「文章に稚拙(ちせつ)なところがあるからというだけで、この作品を簡単に選考(せんこう)から落としてほしくなかったんです。この何年か仕事として、山ほど応募原稿(おうぼげんこう)を読んできました。まあ読んだというよりは、読み飛ばしたという方が近いですが。比較的良く書けた作品もあれば、箸(はし)にも棒(ぼう)にもかからないものも——もちろんあとの方が圧倒的に多いんだけど——ありました。でもとにかくそれだけの数の作品に目を通してきて、仮(かり)にも手応(てごた)えらしきものを感(かん)じたのはこの『空気さなぎ』が初めてです。読み終えて、もう一度あたまから読み返したいという気持ちになったのもこれが初めてです」
「ふうん」と小松は言った。そしていかにも興味なさそうに煙草の煙(けむり)を吹(ふ)き、口をすぼめた(窄める、口、傘とか)。しかし天吾は小松との決して短(みじか)くはないつきあいから、その見かけの表情には簡単にだまされないようになっていた。この男は往々(おうおう)にして、本心とは関係のない、あるいはまったく逆の表情を顔に浮かべることがある。だから天吾は相手が口(くち)を開(ひら)くのを辛抱強(しんぼうづよ)く待った。
「俺も読んだよ」と小松はしばらく時間を置いてから言った。天吾くんから電話をもらって、そのあとすぐに原稿を読んだ。いや、でも、おそろしく下手だね。<傍点>てにをはもなってないし、何が言いたいのか意味がよくわからない文章だってある。小説なんか書く前に、文章の書き方を基礎から勉強し直した方がいいよな」
「でも最後まで読んでしまった。そうでしょう?」
 小松は微笑んだ。普段は
開(ひら)けることのない抽斗{ひきだし}の奥からひっぱり出してきたような微笑みだった。「そうだな。たしかにおっしゃるとおりだ。最後まで読んだよ。自分でも驚いたことに。新人賞の応募作を俺が最後まで読み通すなんて、まずないことだ。おまけに部分的に読み返しまでした。こうなるともう惑星直列(わくせいちょくれつ)みたいなもんだ。そいつは認めよう」
「それは<傍点>何かがあるってことなんです。違いますか?」
 小松は灰皿(はいざら)に煙草を置き、右手の中指(なかゆび)で鼻のわきをこすった(擦る)。しかし天吾の問いかけに対しては返事をしなかった。
 天吾は言った。「この子はまだ十七歳、高校生です。小説を読んだり、書いたりする訓練ができてないだけです。今回の作品が新人賞をとるっていうのは、そりゃたしかにむずかしいかもしれません。でも最終選考に残す価値はありますよ。小松さんの一存(いちぞん)でそれくらいはできるでしょう。そうすればきっと次につながります」
「ふうん」と小松はもう一度うなって(唸る)、退屈そうにあくびをした(打哈欠)。そしてグラスの水を一口飲んだ。「なあ、天吾くん、よく考えろよ。こんな荒っぽいものを最終選考に残してみろ。選考委員の先生方はひっくり返っちゃうぜ。怒り出すかもしれない。だいいち最後まで読みもしないよ。選考委員は四人とも現役の作家だ。みんな仕事が忙しい。最初の二ページをぱらぱら読んだだけであっさり(简单的样子)放(ほう)り出(だ)しちまうさ。こんなもの小学生の作文並みじゃないかってさ。磨(みが)けば光(ひか)るものがここにはあります、なんて俺が揉(も)み手(で)をしながら熱弁(ねつべん)を振(ふ)るったところで、誰が耳を傾(かたむ)ける?俺の一存なんてものがたとえ力を持つにしても、そいつはもっと見込み(前景)のあるもののためにとっておきたいね」
「ということは、あっさりと落としてしまうということですか?」
「とは言ってない」、小松は鼻のわきをこすりながら言った。「俺はこの作品については、ちょっとした別のアイデアを持っているんだ」
「ちょっとした別のアイデア」と天吾は言った。そこには不吉(ふきつ)な響(ひび)きが微(かす)かに聞き取れた。
「次の作品に期待しろと天吾くんは言う」と小松は言った。「俺だってもちろん期待はしたいさ。時間をかけて若い作家を大事に育てるのは、編集者としての大きな喜びだ。澄(す)んだ夜空(よぞら)を見渡(みわた)して、誰よりも先に新しい星を見つけるのは胸躍(むねおど)るものだ。ただ正直に言ってね、この子に次があるとは考えにくい。俺もふつつかながら(思慮や能力が足りず,行き届かないさま。未熟。)、この世界で二十年飯(めし)を食(く)ってきた。そのあいだにいろんな作家が出たり引(ひ)っ込(こ)んだりする(脱身)のを目にしてきた。だから次がある人間と、次があるとは思えない人間の区別くらいはつくようになった。それでね、俺に言わせてもらえれば、この子には次はないよ。気の毒だけど、次の次もない。次の次の次もない。だいいちこの文章は、時間をかけ研鑽{けんさん}を積(つ)んで上達するような代物(しろもの)じゃないよ。いくら待ったってどうにもなりゃしない。待ちぼうけのまんまだ。どうしてかっていうとね、良い文章を書こう、うまい文章を書けるようになりたいという<傍点>つもりが、本人に露(つゆ)ほどもないからさ。文章ってのは、生まれつき文才(ぶんさい)が具{そな}わっているか、あるいは死にものぐるいの努力をしてうまくなるか、どっちかしかないんだ。そしてこのふかえりっていう子は、そのどっちでもない。見ての通り天性(てんせい)の才能もないし、かといって努力するつもりもなさそうだ。どうしてかはわからん。でも文章というものに対する興味がそもそもないんだ。物語を語りたいという意志はたしかにある。それもかなり強い意志であるらしい。そいつは認める。それがナマのかたちで、こうして天吾くんを惹(ひ)きつけ(吸引)、俺に最後まで原稿を読ませる。考えようによっちゃたいしたもんだ。にもかかわらず小説家としての将来はない。南京虫のクソほどもない。君をがっかりさせるみたいだけど、ありてい(实话实说)に意見を言わせてもらえれば、そういうことだ」
 天吾はそれについて考えてみた。小松の言い分にも一理あるように思えた。小松には何はともあれ編集者としての勘が具(そな)わっている。
「でもチャンスを与えてやるのは悪いことじゃないでしょう」と天吾は言った。
「水に放り込んで、浮かぶか沈むか見てみろ。そういうことか?」
「簡単にいえば」
「俺はこれまでにずいぶん無益(むえき)な殺生(せっしょう)をしてきた。人が溺(おぼ)れるのをこれ以上見たくはない」
「じゃあ、僕の場合はどうなんですか?」
「天吾くんは少なくとも努力をしている」と小松は言葉を選んで言った。「俺の見るかぎりでは手抜きがない(没有偷工)。文章を書くという作業(さぎょう)に対してきわめて謙虚(けんきょ)でもある。どうしてか? それは文章を書くことが好きだからだ。俺はそこも評価している。書くのが好きだというのは、作家を目指す人間にとっては何より大事な資質(ししつ)だよ」
「でも、それだけでは足りない」
「もちろん。それだけでは足りない。そこには『特別な何か』がなくてはならない。少なくとも、何かしら俺には読み切れないものが含まれていなくてはならない。俺はね、こと小説に関して言えば、自分に読み切れないものを何より評価するんだ。俺に読み切れるようなものには、とんと興味が持てない。当たり前だよな。きわめて単純なことだ」
 天吾はしばらく黙っていた。それから口を開いた。「ふかえりの書いたものには、小松さんに読み切れないものは含まれていますか?」
「ああ。あるよ、もちろん。この子は何か大事なものを持っている。どんなものだか知らんが、ちゃんと持ち合わせている。そいつはよくわかるんだ。君にもわかるし、俺にもわかる。それは風のない午後の焚(た)き火(び)の煙(けむり)みたいに、誰の目にも明らかに見て取れる。しかしね天吾くん、この子(こ)の抱(かか)えているものは、この子の手にはおそらく負(お)いきれないだろう」
「水に放り込んでも浮かぶ見込みはない」
「そのとおり」と小松は言った。
「だから最終選考には残さない?」
「そこだよ」と小松は言った。そして唇(くちびる)をゆがめ、テーブルの上で両手を合わせた。「そこで俺としては、言葉を慎重に選ばなくちゃならないことになる」
 天吾はコーヒーカップを手に取り、中に残っているものを眺めた。そしてカップを元に戻した。小松はまだ何も言わない。天吾は......
...more
View all episodesView all episodes
Download on the App Store

大大大可酱By 大大大可酱

  • 5
  • 5
  • 5
  • 5
  • 5

5

5 ratings


More shows like 大大大可酱

View all
新标准日本语初级讲座 by 林梓岸

新标准日本语初级讲座

5 Listeners

兄妹不假掰 Bro & Sis Talk by 兄妹不假掰 Bro & Sis Talk

兄妹不假掰 Bro & Sis Talk

8 Listeners

5分鐘情境日文馬上用 | MJ日語 | MJ Japanese by MJ日語 | MJ Japanese

5分鐘情境日文馬上用 | MJ日語 | MJ Japanese

16 Listeners

2024火爆全网流行热歌| 热门音乐歌曲推荐 by 煌煌星上兔

2024火爆全网流行热歌| 热门音乐歌曲推荐

24 Listeners

大家的日语初级1(第二版听力练习) by 和富岳日语

大家的日语初级1(第二版听力练习)

12 Listeners

OK日文 【逐字稿+雙語學日文】 by OK老師

OK日文 【逐字稿+雙語學日文】

2 Listeners

2025【全网最新最全】中外最好听歌曲 by XinxinCharming

2025【全网最新最全】中外最好听歌曲

14 Listeners

2024⇨2025全网超好听古风歌曲 ,越听越上头 by 月月小柚

2024⇨2025全网超好听古风歌曲 ,越听越上头

4 Listeners

2024 -2025抖音快手播放量破亿爆火音乐歌曲 by 月月小柚

2024 -2025抖音快手播放量破亿爆火音乐歌曲

11 Listeners

2025神级翻唱音乐|全网播放过亿|热门音乐 by 年少春衫_薄

2025神级翻唱音乐|全网播放过亿|热门音乐

5 Listeners