原稿:
小松という男にはどこかはかり知れないところがあった。何を考えているのか、何を感じているのか、表情や声音(せい おん)から簡単に読みとることができない。そして本人も、そうやって相手を煙に巻くことを少なからず楽しんでいるらしかった。頭の回転(かいてん)はたしかに速い。他人の思惑(おもわく)など関係なく、自分の論理に従ってものを考え、判断を下(くだ)すタイプだ。また不必要にひけらかすことはしないが、大量の本を読んでおり、多岐(たき)にわたって綿密(めんみつ)な知識を有していた。知識ばかりではなく、直感的(ちょっかんてき)に人を見抜(みぬ)き、作品を見抜く目も持っていた。そこには偏見が多分に含まれていたが、彼にとっては偏見も真実の重要な要素のひとつだった。
もともと多くを語(かた)る男ではなく、何につけ説明を加えることを嫌(きら)ったが、必要とあれば怜悧に論理的に自説を述べることができた。そうなろうと思えばとことん辛辣(しんらつ)になることもできた。相手の一番弱い部分を狙い澄まし、一瞬のうちに短い言葉で刺(さ)し貫(つらぬ)くことができた。人についても作品についても個人的な好みが強く、許容(きょよう)できる相手よりは許容できない人間や作品の方がはるかに多かった。そして当然のことながら相手の方も、彼に対して好意を抱(いだ)くよりは、抱かないことの方がはるかに多かった。しかしそれは彼自身の求めるところでもあった。天吾の見るところ、彼はむしろ孤立(こりつ)することを好(この)んだし、他人に敬遠(けいえん)されることを——あるいははっきりと嫌(きら)われることを——けっこう楽しんでもいた。精神の鋭利(えいり)さが心地よい環境から生まれることはない、というのが彼の信条(しんじょう)だった。
小松は天吾より十六歳年上で、四十五歳になる。文芸誌(ぶんげいし)の編集一筋(へんしゅうひとすじ)でやってきて、業界ではやり手としてそれなりに名を知られているが、その私生活について知る人はいない。仕事上のつきあいはあっても、誰とも個人的な話をしないからだ。彼がどこで生まれてどこで育ち、今どこに住んでいるのか、天吾は何ひとつ知らなかった。長く話をしても、そんな話題は一切(いっさい)出てこない。そこまでとっつきが悪く、つきあいらしきこともせず、文壇(ぶんだん)を軽侮(けいぶ)するような言動(げんどう)を取(と)り、それでよく原稿がとれるものだと人は首をひねるのだが、本人はさして苦労もなさそうに、必要に応じて有名作家の原稿を集めてきた。彼のおかげで雑誌の体裁(ていさい)がなんとか整(ととの)うということも何度かあった。だから人に好(す)かれはせずとも、一目(いちもく)は置(お)かれる。