オーディオドラマ「五の線」

21,12月20日 日曜日 12時22分 熨子駐在所


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「よう。」
駐在所の奥にある畳が敷かれた休憩室で横になって、うとうととしていた鈴木は、不意を討つ来訪者に睡眠を妨害された。彼は目を擦りながらその身を起こし訪問者の方を向いた。
「なんや、トシじゃいや。」
「おう、お休み中すまんな。」
熨子駐在所を訪れたのは、捜査二課の古田だった。
彼は休憩室に上がり、その畳の上にあぐらをかいて座った。
「どうしたんや。急にこんなとこに来るなんて。」
「まぁ、お前に直接、いろいろ聞きたい事あってな。」
古田と鈴木は昔なじみの同期の間柄である。どちらも年齢は59才。来年には定年を迎える年だ。だが、彼らの警察における階級は異なっている。古田は県警本部勤務の警部であるのに対して、鈴木は駐在所勤務の巡査部長だ。
この同期の二人になぜこれだけの階級の開きがあるかと言えば、それはひと言で説明すると、その生き方に要因がある。
二人とも高校卒業後から警察官としての職務を担っている。古田は元々、公務員採用制度に疑問を持つ人間だった。受験できる採用試験は学歴によって区別され、スタートラインも違えば、その出世の終着地点も違う。学歴が全てのこのシステムになんとか風穴を開けたいとの気持ちが、彼を「スッポン」の異名を持たせる程にさせた。ノンキャリでもやればここまでできるという手本を示したいという目標があったため、昇進試験を積極的に受けて警部まで昇進した。
一方、鈴木の方は地域密着の交番勤務の仕事を続けたいために、管理の仕事が多くなる昇進を望まなかった。よって古田とは違い、昇進試験はほとんど受けていない。警察署の地域課で仕事をした事もあったが、上司に直談判して、最前線の交番勤務に配置転換してもらった。交番がよく機能していれば、犯罪は未然に防ぐ事ができる。仮に予期せぬ犯罪が起こったとしても交番が機能していれば素早く対応ができ事件の早期解決ができるはずだ。これが鈴木の哲学だった。この哲学は鈴木の仕事ぶりを持って警察内部でも評価が高かった。まさに地域密着の頼れるお巡りさんである。
だが彼のこの哲学は家族には支持されなかった。何年立っても昇進しない彼の給料はご想像のとおりだ。家族は少しでも生活が楽になるように鈴木の出世を望んだ。しかし彼はその要望をことごとく退けて来た。
「なんやお前も熨子山の帳場にかり出されとるんか。」
「いや、わしは違う。」
「ふうん。」
鈴木は立ち上がって、石油ストーブの上に置いてあった薬缶を手に取った。朝方から火にかけられ続いていたそれは、木製の取っ手さえも持つのをためらう程の熱を帯びていた。彼は茶の用意をしようとそのまま台所の方へ移動した。
「ああ、気ぃ使わんでくれ。聞く事聞いたら退散するさかい。」
「なんや、俺が出す茶は飲めんって言うんか。」
奥の方で茶を入れていた鈴木が湯のみを持って元の場所に戻って来た。そしてそれを無造作に古田の前の畳の上に直に置いて勧めた。
「すまんな。」
そう言うと古田はそれに口を付けた。寒さがこたえる季節の熱い茶は、体を芯から暖めてくれる。古田は自然と息を吐いた。
「で、なんや。」
「あのな、お前、ここに配属されてどんだけになるん。」
「3年や。」
「ほんじゃ熨子山周辺の事には相当詳しいんか。」
「まぁ、たまに山菜採りとかもしとっから、大方の事は知っとる。」
「熨子山の展望台から麓の方に降りてくるためには、県道熨子山線以外にどんな道があるんや。」
「そらぁ、いっぱいあるわいや。ハイキングコースもあるし、農道もあるし、獣道もある。犯人が逃げようと思えば、何とでもなるわ。でも、この山の事を相当知っとる人間じゃないと、難しいやろな。」
「なんでや。」
「なんでって、古田ァ。おまえ何も知らんげんな。」
「あ?」
「あのな。夜の山っちゅうのは、真っ暗闇なんや。どこにも灯りがない。」
「どいや街灯くらいあるやろいや。」
「だら。それあんのはお前の言う県道熨子山線くらいや。そのほかの場所は何もない。辺り一面漆黒の闇なんや。」
「ほう。」
「先ずその暗闇で方向感覚が無くなる。ほんで足場も悪い。山にはいろんな植物があるやろ。あれらが夜になると夜露を纏ってくる。ただでさえ視界が悪いがに、よろよろ歩いとってそれ踏んで転ぶ事もある。」
「んで。」
「んで山やから坂道ばっかや。ただ転んでも勢いついてダメージ3割増し。運が悪けりゃ骨折。下手したら崖から転落なんちゅうこともある。ほんで今は冬や。ただでさえ寒い。こんな季節に山の中にポツーンって置き去りにされたら、凍死っちゅうことも十分にあるんや。」
「そいつは危ねぇな。」
「ああ。夜の山はなめんなよ。」
古田は鈴木から聞く、夜の山の怖さについて納得しながら相槌を打った。
「まぁ、っちゅうことは、ホシはその危険極まりないこの山のことを簡単に逃げおおせるほど熟知しとるってことやな。」
「ああほうや。俺でも夜の熨子山は怖くて近寄れん。しかしあのひょろっとした神経質そうな一色が熨子山のことをほんだけ知っとったっちゅうのは意外やわ。」
古田はしばらく考えた。そして背広の内ポケットから手帳のようなものを取り出して眺めた。その1ページには一色の略歴がメモしてあった。
「どうした。」
鈴木は古田に声をかけた。
「一色は金沢北高出身や。」
「あ?そうなん。」
「ああ。北高は熨子山の麓の高校。」
鈴木は腕を組んで、天井を見て考えた。
「そう言えば、北高の生徒が熨子山をランニングしとることがあるわ。」
「ほう。なんの部活や。」
「ほら野球の格好しとるやつもおれば、バレーみたいな格好しとるやつもおる。結構いろんな部活の連中が走っとるぞ。」
古田は「そうか」と言って手帳に記してある、一色の略歴の中の金沢北高という文字の下に線を引いた。
「ところでお前、こんなこと一人で調べてどうすらんや。」
「…。」
「じゃまねえがん。」
「何が。」
「察庁から来たっちゅう、警視正さん。えらい曲者らしいな。噂はワシの耳にも入っとる。」
鈴木は茶をすすりながら古田の様子を伺った。
「まぁ、ワシはあいつとは関係ねぇわ。勝手に引っ掻き回してくれや。」
古田は短く刈り込まれた自分の頭を掻いた。
「お前、二課やろ。この事件は一課のシマやろいや。」
「ほうや。ほやからワシはひとりで調べとる。」
「ひとりで?」
「ああ。ホシは刑事部長やからな。シマは確かに一課やけど。ウチんところも無関係じゃない。」
「まぁそうやけど…。」
「あいつは一応、かつてのワシの上司やからな。」
「そうやったな…。」
古田は畳の上に置かれたアルバムのようなものに気がついた。
鈴木は古田の視線を追って、彼が何を見ているかすぐに察した。
「ああ、何かウチの娘が今度、男を連れてくるって言っとったから…。」
「おう、お前んとこの娘はいくつになったんや。」
「26や。」
「何の仕事しとるん。」
「銀行。相手も同じ会社の奴らしい。」
「おめでとうございます。」
古田は鈴木の方に向かって、わざと仰々しく戦国武将のように頭を下げた。
「やめてくれや。俺なんて、あいつに何一つ父親らしい事してやってないんや。今言った、年の事とかどんな仕事をしとるかなんて事も、つい最近カミさんに言われて知ったくらいや。」
鈴木はそう言って、少しもの寂しげな表情になった。古田は彼の表情の変化を見落とさなかった。
「でもな、そうやってちゃんと親父に報告にくるっちゅうことは、娘の中でお前はやっぱり父親やってことや。ワシなんかそうなる前にカミさんに逃げられとるからな。」
古田は苦笑いをして、アルバムを手に取りそれに目を落とした。古田の言葉に今まで家庭を顧みず、自分の好き勝手に仕事をして来た自分に自責の念を抱いていた鈴木は、少し救われる気がした。
「なあ。」
「なんや。」
「身元が分かっとるガイシャ2人おるやろ。」
「おう。」
「どっちも同じ会社に勤めとったそうやな。」
アルバムを見ていた古田は顔を上げ鈴木の顔を見た。
「んでうちの娘と同い年。…ほやからなんか被って見えるんや。」
「…。」
「なんかなぁ、俺も他人事じゃねぇげんて。」
「…ワシもお前も他人事では済まされん、どでかいヤマやってことやな。」
「ああ。ほやから俺にできることは何でも言ってくれ。できることはなんでもする。」
「助かる。」
「トシ。お前の手でホシをパクってくれ。」
古田はしばらく黙り、鈴木の目を見て言った。
「…まかせろ。」
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