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帰宅した佐竹の心中は穏やかではなかった。
ーなんで赤松の母さんは、俺に一色のことなんて聞いたんだ。俺は一色とは何の関係もない。赤の他人だ。俺は何も知らない。何も関係がない。あいつが悪いんだ。あいつが全部悪い。
佐竹は冷蔵庫を開け、そこに入っていた缶ビールを一気に飲んだ。
ーまさか…俺…疑われているのか…。
ふと動きを止めて部屋に飾ってある高校時代の写真に目をやった。写真の先にある赤松の表情は笑顔だ。
ーいや、そんなはずはない。
再度、佐竹はビールに口をつけた。
赤松文子から唐突に自分と一色の関係を尋ねられたことに、混乱と一種の憤りのようなものを佐竹は抱いていた。
ー一色くん…。くん?…赤松の母さん、一色のこと君付けで呼んでたよな。なんで自分のところのバイトを殺した一色のことをそんな呼び方するんだ?
飲み干した缶ビールを握りつぶした。
ー考えすぎだ…。
佐竹は自分の精神状態が穏やかでないことは知っていた。
高校時代の同級生が連続殺人事件の容疑者として世間を騒がせている。その容疑者は縁もゆかりもない存在ではない。高校時代はむしろ密接に彼と関わってきた。
そうであるがために、一色の存在は自分の心に影を落としている。気を紛らわせるためにも村上と連絡を取り、そして赤松とも直接会った。
アサフスで目にした山内美紀の魅力に心奪われはした。しかしいま冷静に考えてみると、自分は本当に彼女に好意を抱いているのだろうか。ひょっとして落ち着かない自分の心を何か別のものに集中させることで、精神の安定を保とうとしているだけではないか。
考えたくないもの、聞きたくないもの、自分にとって都合が悪いもの、それらのものから目を背けたいときは幾度となくある。そういう時に有り難いのは自分の存在にオッケーを出してくれる情報、存在だ。佐竹は自分がそういったものにすがることで、現状から逃げているだけではないかと自己嫌悪に陥った。
ーなんで一色なんだ…なんであいつがこんな変なもん持ち込むんだ…。
自分ひとりで考えていても何も進まない。そんなことはさっき気づいたはずだった。しかし家に帰ってきた今、また同じことを繰り返している。現状からの脱皮が図れるかもしれない。そういう思いでアサフスに行ったはずなのに、かえって自分の心中を複雑化させてしまった。
ー被害者である桐本由香は赤松の店でバイトをしていた。このことは赤松はもちろん、あいつの奥さんもそしてあの母さんも知っている。それだけでもショックは大きいのに、犯人がむかし出入りしていた一色だった。もう、こうなってしまうと精神状態はぐちゃぐちゃだ。ついでにその一色は何故か去年アサフスに来ている。…そんな赤松の家の事を考えたら、俺なんかくだらんもんだ。
赤松を取り巻く今回の連続殺人事件の状況と、自分の状況を比べると、比較にならないほど赤松の負担が大きい。
ー俺って、つくづく小さい人間だよ…。
佐竹はキッチンの換気扇を回し、その下でタバコに火をつけた。心の落ち着きを少しでも取り戻させようとしたのだろう。煙を吐いたとき、先程の赤松のフレ
ーズが思い浮かんだ。
「ほら俺の親父、6年前に事故で死んだやろう。」
「そのことについて、母さんにいろいろ聞いとったんやって。」
考えて見みれば、赤松家にとっていまの一色は憎悪の対象だ。なぜならば自分の店で働いていた女性を殺害されたからだ。先ほどアサフスで文子と会ったときは「一色と連絡をとっているのか」と聞かれた。その時は一色の名前を自分の前に出されたことで、気が動転していたのか文子の表情を佐竹は明確には覚えていなかった。ただ、今振り返ってみれば、その時の文子の表情には悲しさというか、不甲斐なさというか、どういう言葉が適切か分からないが、彼女自身を責めているようにもとれる表情だったようにも思える。
とすると、一色の存在は一体何なんだろうか。
ー赤松の親父さんの事故を6年経って再捜査か…。たしか、一色が来てから警察が何度か来たって赤松の奴、言ってたな。ってことは一色が部下に捜査をするように指示したって可能性もある。
佐竹はタバコの火を消した。そして冷蔵庫を開けてさらに一本の缶ビールを手にする。
ーあの時の赤松の母さんの表情。憎しみの表情じゃなかった。
ーということは、再捜査に何かを期待していた可能性もある。
ーだが、一色は熨子山で人殺しをした。
ー期待を裏切られた落胆か。
ー桐本由香という女性は昔アサフスでバイトをしていた。
佐竹はおもむろにパソコンを起動し、熨子山連続殺人事件で検索をかけ、そのトップにヒットした新聞媒体のサイトを開いた。その記事の中に被害者の名前と年齢が記載されていた。
ー23歳か…。
ー今から一年半前に一色は間違いなくアサフスに来店にしている。
ーそのときにまだ桐本がアサフスでバイトしていたとしたら…。
現代は就職難の時代。就職浪人をするケースなんかざらだ。だとすると桐本が当時アサフスでバイトしていたと考えてもおかしくない。
ーまさか…。一色は再捜査を名目に、初めから桐本をマークしていた。そして、なにかのきっかけで…。
ー間宮とかいう男がいることを知り、交際相手ともども殺した。
全く根拠はない。佐竹のこの考えは推理でもなんでもない。妄想とも言える。そのことは佐竹も気づいている。
ーでも、その前に一色は山の小屋の中で二人を殺している。時系列的に考えて説明がつかない。
色々と考えを巡らすも、腑に落ちる説明を自分自身にできない時点で、佐竹はこの手の推理をやめた。そもそも一色がストーカーであったという前提は飛躍に過ぎる。とにかくこの事件に関して自分に災厄がもたらされないことが専決事項である。そう佐竹は判断した。
そんな中に電話が鳴った。見覚えのない番号からだ。
ーまたか…。
昨日の夜中に得体のしれない電話番号から電話があったことを思い出した佐竹は不快な気持ちになった。今度こそ抗議をしよう、そう思って電話に出た。
「もしもし。」
「あの…。」
「もしもし、あのねぇ…。」
「あっ、すいません。佐竹さんの電話ですか?」
「えっ。」
こちらは完全に間違い電話であると思っていたので、相手が自分の名前を読んだことに驚きを禁じ得なかった。
「ええぇそうですけど…。」
「ああよかった。アサフスの山内です。」
佐竹の動きが止まった。
「今日はありがとうございました。ケーキまでもらってしまって…。」
「あ、えぇ。」
「社長が佐竹さんにお礼を言うようにって…。」
「あの…。いや、よろこんで貰えれば…。」
「ありがとうございます。…でも…。」
佐竹は身構えた。
「自分ひとりじゃ食べきれないんです。」
「あ、ごめん…。」
電話の向こう側からくすくす笑う声が聞こえた。
「…そしたら、友達と一緒に食べたら。」
ーうわっ、俺何いってんだ。
「…あっ、そうだ。そうですね。」
ーあぁしまった。
「でも、みんな忙しくて…。」
「ごめん、なんかかえって迷惑になるようなことになってしまって…。」
「違うんです。ありがとうございます。本当に嬉しいです。わたし、ここのケーキ好きなんですよ。」
「そう、そう言ってもらえるとこっちも嬉しいよ。たまたま街のほうをぶらついてたら、目に入ってきて。」
「あっ、クリスマスですもんね。」
「まぁ、世間はクリスマスムード一色だけど俺はあんまりそんな感じじゃないよ。」
「でもプレゼントにさっき…。」
「あぁ…あれは…観賞用…。」
「えっそうなんですか?てっきりクリスマス用だと思ってそういう花ばっかり選んじゃいました。」
「あぁ…そう…みたいだね…。」
「すいません…。」
「いや、全然気にしてないんだ。素敵な花だよ。ありがとう。」
「なんか、佐竹さんって花とかケーキとか…。いいですね。」
「え?」
「あぁクリスマスかぁ。いいなぁ。」
「何?山内さんはいい人いないの?」
「いるわけ無いじゃないですか。仕事仕事ですよ。はやく一人前に仕事できるようにならないとですね。」
「ふーん…偉いね。」
男女というよりもどちらかというと先輩、後輩といった雰囲気が漂っていた。お互いの仕事のことなど他愛もない会話を楽しみ、意外にも価値観などに共通点が多いことから、お互いの連絡先を交換することとなった。佐竹にとっては願ってもない展開だった。
電話を切り、佐竹は山内の連絡先をあらためて携帯電話に登録をした。そして着信履歴を見た。山内美紀の名前が自分の着信に表示されるのを見て、久しぶりの高揚感を味わった。
まさかたった数時間でこれだけの展開があるとは思わなかっただけに、佐竹の喜びはひとしお。しばらく携帯に表示される山内の名前を見入った。山内美紀の名前の2段下に昨晩の不明の電話番号が表示されていた。
ーしかし、この電話は何なんだろう。
今となってみれば、この不在着信も何かの縁だったのだろう。山内美紀との出会いを暗示したものだったかもしれない。そう思って佐竹はベッドの上に横たわった。
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