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「なんやこれ…すごい人や…。」
北署の前に小西は立ち尽くした。報道関係者が歩道に所狭しと待機している。このあたりではそうも見ない全国ネットのテレビ局の中継車、自らが所属するメディアを証明するための腕章をつけた記者と思われる者たちが通りを行き交っている。
これらの者たちを横目に小西は北署の正面玄関をくぐって目の前にある生活安全課の若い署員に声をかけた。
「あの、すんません。」
「何ですか。」
「えーっと。」
小西が北署にくるのは初めてのことではない。北陸タクシーに勤務してから過去一度だけ人身事故を起こしたことがある。その時にここに来た。幸い相手側は軽傷であり、ちゃんとした事故処理をすればそれで良いとのことだったので、そのまま会社に報告。現在の部長が小西と会社の間を取り持つことで、懲戒免職は免れることとなった。相手側も北陸タクシーの迅速な対応を好感し、事故は円満に処理された。一般の人間が警察署へ行くということはほとんどない。この小西のように事故の関係でやむを得ず行く程度のものだ。特段の事情がない限り縁のない役所である。
今回の小西の北署訪問は昨日明らかになった殺人事件に関する情報の提供だ。その殺人事件の捜査の行方を追いかけるために、この北署に大マスコミから大勢の人員が派遣されている。世間が注目するこの事件の有力な情報になるかどうかもわからない、得体のしれない情報だけをぶら下げてきた小西は一種の恥じらいと緊張をもっていたため言葉に詰まったのだ。
「どうかしましたか。」
小西の緊張ぶりが伝わったのか、若い署員は緊張を解すために笑顔で接した。笑顔というものは妙な力を持っていた。
「あのー、そのー...熨子山の件で…。」
署員の表情は一転して険しいものになった。
「熨子山…ですか。」
「はい。」
「…ちょっと待って下さい。」
署員は奥にいる上司と思われる男と二三言葉をかわして再び小西の前に立ち、関係課は三階にあるからそちらの方に行ってくれと言った。
身を堅くしたまま刑事課のドアの前に立った小西は深呼吸をしてそのドアを開けた。
「えーな、だら!!」
この怒号に驚いた小西は周囲を見渡した。どの署員も忙しなく動きまわっている。立て続けに電話をかける者。山のように積み重なっている資料を漁る者。パソコンに向かってひたすら何かを入力している者。
「だからぁ、言っとるやろいや、わしが欲しいんはその資料じゃねぇんやて!!」
声の主は刑事課の奥に座っている役付きと思われる中年の男だった。瞬間小西と目があったその男は小西を見るや目をそらして先ほどまで怒鳴っていた自分の声のトーンを落とした。
「情報提供の方ですね。そこにかけてください。」
側にいた刑事課の若い署員が小西に声をかけた。
小西は求めに応じてパイプ椅子に腰をかけた。
「すいません。いまこんな状況なんで…。あまり気にしないでください。」
「はい。」
署員は机の引き出しから罫紙を取り出してメモの準備をしながら小西に話しかける。
「えーっと、まずはあなたのお名前と住所、お仕事、連絡先をお教えください。」
小西のような者が事件発生時からよく来るのだろうか。彼は非常に慣れた感じでひな形どうりの質問を小西にする。ひととおり小西がそれに答えたところで署員は質問をした。
「で、小西さんは今回の事件についてどういったお話を?」
「えー、まぁ役に立つかどうかわからんのですが、一昨日に熨子山へ男を送ったんです。」
署員の手が一瞬止まった。
「ほんで、ちょっと気味悪かったんで役に立つかどうかもわからんけど、警察に話してみようと思ったんですわ。」
「昨日のいつの話ですか。」
そう尋ねられると、小西は持っていたカバンの中から一枚のコピー用紙をとりだして、机の上に広げた。
「一昨日の私の運転日報です。18時15分に小松空港で一人の客を乗せて、19時35分に熨子町でその客を降ろしました。」
「確認ですが、それは男だったんですね。」
小西は頷いた。
「ちなみにどのような風貌でしたか。特徴的なところなどがあれば教えてください。」
「えっと…サングラスをかけていました。」
「サングラス?」
「ええ。丸いサングラスです。真冬のこの時期に珍しかったんでよく覚えとります。」
「丸のサングラス…あ、他には。」
「時間も時間でして、日も暮れとったんではっきりとは覚えとらんですが、紺か黒のコートを着とりました。」
署員は机の引き出しから、一枚の顔写真を取り出してそれを小西の前に見せた。
「小西さん。あなたが見たっていうのはこの男ですか?」
小西もテレビや新聞で何度となく見た一色の顔写真であった。
一色は事件当日の19時まで県警本部で仕事をしていた。これは熨子山連続殺人事件の帳場で共有されている情報だ。小西が熨子山へ男を乗せたのは18時15分から19時35分。小西が乗せた乗客が一色である訳がないのだが、とりあえす署員はぶつけてみた。
「うーん…。」
小西は考え込んだ。
「似とるって言えば似とるし…似とらんって言えば…。」
「…そうですね、サングラスをしていたらわかりませんよね。」
「はい…。」
「その人とあなたは何か会話を交わしたのでしょうか。」
「会話らしい会話じゃないですわ。こっちから聞くことには基本的に『はい』とか『いいえ』とかしか答えませんでしたから…。ただその客は東京から来た人やってことは聞きました。こっちは不景気ですが東京の方はどうですかと聞いたら、『地方にいたらそれなりにしか稼げない。稼ぎたかったら人の多いところで商いをすることだ』とアドバイスされました。」
「ほう…。」
この時点で署員は捜査本部が現在躍起になって情報収集している穴山と井上の線も薄いと考えた。両者とも県外出身者といえども金沢在住。しかし念には念を入れてこのあたりの情報もぶつける必要がある。署員は立ち上がって、室内にあるキャビネットから一冊の資料を取り出して、それをパラパラとめくり、そこから二枚の写真を持ってきて小西に見せた。
「ちなみに、こちらはまだ報道などに公表されていない写真ですが、見覚えはありませんか。」
小西は二枚の写真を見て自分の記憶を辿った。小松空港から熨子町集落までの道程を振り返りながら乗客の隠された表情、仕草などできる限りの記憶を呼び起こした。交差点で停車した時にルームミラーに写り込んだ彼の顔。そういえば走行中に前を向いていた彼の顔が突如として左側の方をくるりと向いたことがった。
「あ…。」
「どうしました。」
「見ました。」
署員の顔つきが厳しいものに変わった。
「ニケツです。」
「どういうことでしょうか。」
「乗客を熨子町まで送る途中に確かに見ました。原付に二人乗りしていました。」
罫紙に走らせるペンの勢いが増してくる。
「どこで。」
「たしか田上あたりやったと思います。乗客は本当に無口な人で、ずっと前の方しか見てなかったんです。変でしょう。普通の人は普段あんまり来ん地域の風景を窓から眺めるもんでしょう。ほやけど私が乗せた客はずっと前の方しか見とらんかったんです。その客がふっと窓の外を見たことがあったんですわ。私もその先に何があるのかとサッとだけ見たら、そこにこの写真の顔とそっくりの男がニケツでおったんですわ。」
「時間は。」
「んー…確か19時ちょっと前ぐらいやったと。」
「その二人乗りの原付バイクはどの方向に行きましたか。」
「あぁ、のろのろ走っとったんで抜いてしまいました。だからよく分からんです。」
署員は再び立ち上がって先ほど見ていた資料をそのままこちらに持ってきた。そしてあるページを開いて小西にさらに一枚の写真を見せる。
「そのバイクはこの写真のものじゃないですか。」
小西は写真を見つめた。
「あぁ、多分これと同じ形やったと思いますよ。」
署員は深呼吸をして小西の顔を見た。
「小西さん。もう少し聴取に付き合ってくれませんか。」
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