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今年も余すところ少しとなり、金沢銀行金沢駅前支店の週明け月曜日は朝から混雑していた。
クリスマス向けの現金引き出しで来店する個人客もいれば、年末の差し迫った資金繰りの悩みを抱えてくる企業の経理担当者もいる。時間的なもの、金銭的なもの、多種多様であるが皆一様に余裕が無い。
どうしてこうも日本の年末というのは気忙しいのだろうか。
古田はその落ち着きのない店内に入るやその周囲を見渡した。佐竹康之がここにいるかを探るためだった。
「いらっしゃいませ。どういったご用件でしょうか。」
店内の隅から隅まで見渡している古田を見て、フロアに立っていた女性行員が声をかけた。
現金の入出金や振込はATMで済ませることができる。銀行側にとってはそれを利用してもらうほうが、単純作業だけを行う人員の削減につながる。人と人が顔を合わせて生まれるコミュニケーションもあろうが、そのコミュニケーションは時としてトラブルを招く要因ともなる。単なるオペレーションであるならば人がそれをする必要はない。機械の方が人と比べてより正確で迅速だ。そのため銀行ではこの手のフロアレディがよく立っている。彼女らは手取り足取り機械操作が不得手な連中を相手に、それを教授する。
機械の操作が不得手な老年層にとってはこれは苦行のようなものかもしれない。せっかく自分の資産を預けているのに、それを引き出すたびにわざわざ苦手なものと対峙せねばならないというのか。
「あのー佐竹さんに用事があってきたんやけど。」
「代理の佐竹でしょうか?」
「あぁそう。佐竹代理。」
店内をひと通り見回した古田だが、彼が知る佐竹の顔はあくまでも高校時代のもの。人はその経験や環境によって顔立ちが変わることがある。よってこの時の古田は誰が佐竹であるか特定できなかった。
「失礼ですが、どういったご用件でしょうか。」
「あ…お礼を言いたくて来たんやけど。」
「お礼?」
「そう。ちょっと一言だけお礼を言おうと思って来たんや。」
「あ…しょ、少々お待ち下さい…。」
彼女は店内のバックヤードにあるパーテションで仕切られている向こう側に一旦消えた。
しばらくして細身のスーツを見に纏った男がこちらの方へやってきた。高校の卒業アルバムにあった面影を色濃く残したその男の顔を見て、古田はこの男が佐竹康之であると確信した。
「えっと…どちら様…でしたっけ。」
「あーいやいや、どうも。その節はありがとうございました。佐竹さんのおかげでうちの弟の商売も今んところうまいこといっとります。本当に助かりました。」
「え?弟?」
古田はさりげなく自分の名刺を佐竹に手渡した。名刺に書かれている肩書を見た瞬間。佐竹の顔はこわばった。
「佐竹さんですね。ちょっとだけ時間が欲しいんです。金沢駅にBONって喫茶店があるでしょう。そこで待ってますんで来てください。もし無理ならそこに書いてある電話番号に連絡して下さい。」
古田は周囲に聞こえないように体を佐竹に近づけてささやいた。そしてすぐさま佐竹と距離を置くように立ち位置を変え、深く頭を垂れた。
「弟がお世話になった方には兄としてちゃんとお礼せんとイカンと思いましてね、急に押しかけてしまいました。お忙しいところすいませんでした。また何かありましたらよろしくおねがいします。」
「いえ…こちらこそ。」
佐竹は複雑な表情を浮かべて、その場から立ち去る古田の後ろ姿をしばらく見送った。
ー警察か…
彼は再び渡された名刺に目を落とした。県警本部捜査二課課長補佐とある。佐竹は警察の組織のことなど知らない。この肩書きを持つ者がどういった身分で、どういった仕事をしているのか分からない。ただ一つ察しがつくのは、今回の熨子山連続殺人事件に関する何かの事情を尋ねに来たのだろうということ。
ーまさかこんなに早く俺のところに来るなんて。
自席に戻ると次長の橘が佐竹に声をかけた。
「代理、誰や。」
「いえ…ちょっと…個人的な関係です。」
「代理ぃ。こんな年末のクソ忙しい時に個人的な用事を店内に持ってくんなや。」
支店長とのやり取りを経て、橘は朝から苛立っていた。
「すいません。以後注意します。」
「ったく。」
そう言って橘は店内に掲げてある時計に目をやった。時刻は9時15分だった。
「支店長から何も連絡ないな。」
支店長の山県は融資部長から呼び出しを受けた。マルホン建設への1億円の手形貸付稟議を融資部まで上げていないことについてである。山県は呼び出しを拒否した。電話のやり取りは応接室で行われたため、その一部始終は橘と佐竹も知っている。佐竹は今朝のやり取りを思い出していた。
「支店長。融資部からお電話です。」
「ああ、わかった。」
テーブルの上に置かれた電話の保留ボタンが点滅していた。
「お前らは黙って見とれ。」
そう言うと山県はスピーカボタンを押してその受話器を持ち上げた。
「はい山県です。」
「支店長。マルホン建設の融資稟議はまだか。」
声の主は融資部長の小堀である。
「あぁあれですか。稟議はありますけどはんこ押せません。」
「あん。何言っとるんや。」
「何度も言いますがはんこ押せません。ですから上げれません。」
「だらみてぇな冗談を週明けの朝から言っとんなや。午前中まで待ってやっからさっさとこっちに持って来い。」
「冗談ではありません。本気です。健全でないところにこれ以上の融資は私は認めません。」
しばらく電話の向こう側が静まり返った。
「だらぁ!!おめぇの意見なんか聞くために電話しとるんじゃねぇ!!手貸実行せんかったら飛ぶがいや!!」
「ほんなこと子供でも分かるわ!! ほんなところに上積みして貸して回収なんかできるか!! なんや?部長は回収できんくなったら責任とってくれるんか!?」
「山県!!今日の13時からやぞ役員会。それまでに稟議なかったらどうすれんて!!」
金沢銀行の幹部同士が大声で怒鳴りあう様を見せつけられた橘と佐竹は黙るしかなかった。
「小堀さん。俺はもう無理や。もう我慢できん。」
「山県。悪いことは言わん。思いとどまれ。専務がこのことを知ったら俺はお前をもう庇えん。」
「覚悟の上です。」
「マルホン建設の社員が路頭に迷うことになるぞ。」
「知りません。経営者の責任です。」
「お前の首も飛ぶぞ。」
「どうぞご自由に。私の首だけでは足らんでしょうな。」
「山県、この件は俺も黙って見過ごすことはできん。いまから役員に報告させてもらう。」
「報告連絡相談は部下の勤めです。」
このやりとりの後、山県は取引先と予定が入っているといって店を出ていったきりだ。
「はい橘です。ええ。」
橘に内線電話がかかってきたようだ。橘は佐竹の方を見て相槌を打ちながら唇を動かした。佐竹は自分なりの読唇術を駆使して橘が発するメッセージを読み取った。
ー小堀部長…。
「えっ?…いいんですか。いや、ですが…。…はい。…ですが支店長には私からどう報告すれば…。」
しばらく話した後、力なく橘は電話を切った。
「どうしたんですか次長。」
「ふー。代理…外で一服せんか。」
店の勝手口から外に出た橘と佐竹は、それぞれ自前の携帯灰皿を手に周囲から死角となる場所に立ってタバコを吸った。
「稟議持って来いって…。」
橘は力なく言葉を発した。
「マジですか。」
「マジや。」
「でも稟議は支店長の机の中ですよ。」
「代理。稟議の中身覚えとるか。」
「書き直しますか。」
「それしかないわ。」
佐竹はため息をついた。それにつられるように橘も大きく息を吐く。そして左腕につけている腕時計に目を落とした。
「9時半か…。」
「次長。あそこの稟議はしょっちゅう書いているので書き直しはすぐに出来ます。」
「ただなぁ。気にかかるんやわ。少しでも中身が違う稟議書が融資部に直接行ってしまったら、それはそれで支店長が怒りそうな気がすれんて。」
「でも融資部が言ってるんでしょう。」
「そうやけど、俺らは融資部の部下ってわけじゃないし。」
佐竹はタバコの火を消してしばらく黙って考えた。
「ひょっとして。」
そう言うと佐竹はそそくさと店内に戻った。そして無造作に支店長の机の引き出しに手をかけた。銀行員たるもの様々な個人情報を取り扱っているため、離席の際は必ず机に施錠をするのが基本だ。これは金沢銀行で徹底されている。なので不在の席の引き出しが開くことは通常考えられない。今、佐竹がとっている行動は彼が求める成果から考えて望み薄のものであることは彼自身よく知っている。
おもむろに引き出しをひくと、難なくそれは開かれた。
ーしめた。
外で一服を終えて店内に戻ってきた橘と目があって、佐竹は獲物を仕留め喜びを噛み締める狩人のような表情をした。
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