田舎坊主の読み聞かせ法話

「ある親子 ー28年間の看病ー」田舎坊主のぶつぶつ説法


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彼は体育系大学の卒業を一年後に控えたころから、言葉がもつれ、足もとがふらつくようになってきたのが気になっていた。

卒業とともに故郷に帰った彼は、早くに父を亡くしているため、母の気持も考え地元で就職することを決めたのだ。

そこには久しぶりの母と子のしばしの幸福な時があった。

しかし、彼のふらつきの症状は急速に進行し、一ヶ月足らずで退職も余儀なくされた。

専門医の診断は脊髄小脳変性症という病名だった。

この病気は、小脳や脊髄に病変をおこし、全身の運動能力を失っていくのが主な症状で、彼の場合は、オリーブ型と呼ばれる重症で、進行すれば寝たきりとなり、言葉も話せなくなってしまう、原因も治療法もわからない難病なのだ。

母と子、二人の幸せな時間は一瞬にしてつらくて長い闘病の暗闇へと突きおとされた。

やさしくてスポーツが大好きでおしゃれだった息子がなぜ難病に、と思うたび、母は涙がとまらなかった。

夢もあろうに、希望もあったろうにと息子が可哀想でならなかった。

泣いてばかりいてはいけないと自分を取り戻し、

「体の続くかぎり、息子のためにしてあげられることを全部しよう。守って、看ていこう」

と、母は決心した。

病院から連れ帰り、自宅で療養させるため、家の一部を処分して療養費を捻出した。

母子二人だけの必要最低限の広さだけ確保し、風呂やトイレや床をすべて息子が過ごしやすいようバリアフリーに改造した。

医師の言うとおり、病状の進行は早く、五年で寝たきりになった。

すでに言葉も言えず、排便も排尿も自分でできなくなり、母は便のかき出しと導尿をして息子の用を足した。

痰などの吸入や寝返りにも介助が必要で、常に目が離せない状態になっていた。

このころの母と子のコミュニケーションは、息子の目、指、顔の表情の変化を読みとることでできていた。だから一層目離しがならなかったのだ。

しかし、買い物、洗濯、掃除、通院の時はどうしても知り合いの人に付き添いを頼んで出かけたりしなければならなかったが、

「息子の言いたいことを分かってくれてるだろうか」

と、母一人でできない部分があることがとてもつらかった。

できるだけ一日一回、車いすに乗せて散歩するようにしていた。息子に歌を唄いながら、家を一周するのが何よりも楽しいひとときだった。

私が訪問したとき、

「きょうは機嫌がいいみたいやね」と、母が息子に話しかけると、私を見て笑ってくれたことを今も覚えている。

その時感じたのは、長く家で病人が伏せていると、ある種の病人臭というのが感じられることが多いが、ここにはさわやかな香りが漂い、日当たりのよいベッドルームには花がいっぱいで、あたかも応接間のようだった。母親の毎日の心遣いが伝わってきて、何かうれしかった。

毎日毎日変わることなく続く母と子の闘いは、発病してから28年、寝たきりになってから20年あまり、息子が50歳で静かに息を引き取るとともに終止符を打った。すでに母は70歳を過ぎていた。

一瞬の油断も許されない長い長い看病だった。

「看るよりも看られる方がつらいと思うんです。だから看ることを楽し まないと息子がよけいにつらく思って可哀想です。」

と話してくれた言葉が心にしみた。

合掌


4月からのシーズン2の読み聞かせ法話の本は

私の初版本で、2002年に出版した「田舎坊主のぶつぶつ説法」です。

後に「田舎坊主シリーズ」とつながる第1弾です。

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田舎坊主の読み聞かせ法話By 田舎坊主 森田良恒