“日本の作品は、あらはれたるものよりも、隱れたるものに、今あるよりもやがて在るものに、一層の價値が感じられる。顯れたるもの、今あるものは、價値の未完成の狀態である。在るものよりも、在らんとするものに、卽ち繼續するものに、傾斜せるものに、ものの價値がある。かくの如く價値が常に豫想される形であることが、吾等の作品の姿である。表現は一步後退し、價値は一步前進し、その繼續の傾向の上に作品がある。かういふ作品のあり方も亦、實に濕度的である。あるものの全部を明光の中に、明示するのでなくて、繼續の薄明の形の上に示されるのである。すべては一時に明露されるのでなくて、薄明の中に徐徐にあらはれてくる。”
「拭かれなくてはなら(ない)」→「拭かれなくてはなら(ぬ)」(44:39)