この番組は、数字がちょっと苦手な中小企業経営者の方が、数字に強くなって業績をばりばりあげてもらうための応援番組です。
今回から、山梨県の土着スーパーの元社長の小林久さんをゲストにお招きし、小林さんのご著書、「続・こうして店は潰れた」の内容にもとづき、小林さんのスーパーマーケット経営者としてのご経験をお伺いして行きます。
今回は、小林さんがやまとの社長に就くまでの経緯についてお伺いします。
小林さんが、かつて、経営していたスーパーやまとは、大正元年に鮮魚店として創業したそうです。
そこで、小林さんは「魚屋のせがれ」として育ち、将来は、家業を継ぐものとして、大学をご卒業後、いったん、別のスーパーのご勤務を経てから、家業のスーパーやまとにご勤務されたそうです。
しかし、やがて、やまとの近隣にも大手スーパーが進出してくると、やまとの経営にも影響が出始め、売上は減少し、赤字を計上するようになったそうです。
これに対し、当時のメインバンクの支店長は、追加融資を渋ったことから、小林さんはこれをきっかけに発奮し、何とかして事業を黒字化させようと奮闘していったそうです。
その結果、その後、小林さんが社長を引き継ぎ、その時点でやまとは1.5億円の赤字を計上していましたが、2年後に黒字化するにまでいたったそうです。
ちなみに、融資を断った銀行の支店長からは、当時、専務取締役だった小林さんが社長になれば融資をすると約束したにもかかわらず、2代目社長だった小林さんの叔父さんに代わり、小林さんが3代目の社長に就任しても、その銀行の支店長は、前言を翻し、融資をしてくれなかったそうです。
この支店長の態度に、小林さんは、「銀行から梯子を外された」とくやしがり、自分の手帳に、「ぶっ殺すリスト」をつくり、その筆頭に支店長の名前を書いたそうです。
ただ、その小林さんも、後になってから、当時の状況を冷静に見れば、支店長の事情も理解できるようになったそうです。
また、小林さんは、社長になってからは、専務時代とは違い、会社を代表する立場であるということを自覚するようになったそうです。
だからこそ、融資取引に関しては、銀行の支店長が目上であっても、年下の社長の話を対等にきいて欲しいし、逆に、経営者が目上であっても、年下の銀行職員へ横柄な態度で接するようなことがあってはならないと考えているそうです。
お互いを尊重することが、両者の事業を発展させるパートナーとしてあるべき姿勢だということです。