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六十はいいなぁ
一九五一年生まれの私は、今年の四月七日で満六十歳となってしまった。一回り違う長兄が三十四という若さで亡くなってしまったので、私も若くして死ぬのではという思いがつきまとっていたのだが、もうそれも遠い感慨となってしまった。
還暦のイメージは赤いちゃんちゃんこに赤い帽子ではあるが、最近はそれもあまり見かけない。六十定年も六十五へ移行しつつある。孔子の頃とは時代が違う。六十にして耳従う。そんな心の余裕などは無い。いつもあくせくと動いている。動いていないと何だか落ち着かない。これは私特有の病気なのか、現代病なのか。ここらでゆっくりとしたいものではあるが、何だか罪悪感さえ覚える。年金も平成六年の改正で半分以下に減額されている。国の運用の失敗を何で私が肩代わりしなければならないのだ、ますますゆっくりとはいかない。
とは言っても、やはり六十は何だか楽しい。何だろう。自分でも分らないが肩の荷が下りたような、自由になったような、解放感に満たされたような、そんな感覚である。映画もシルバー料金、理容店「ボンズ」もシルバー料金。特に映画は嬉しい。久しぶりにインターネットで映画情報を集めると、見たくなるようなタイトルがない、知った俳優はいない、興味をそそる内容の映画はない。洋画は字幕を追うのが辛くなってきている。邦画で時代劇なら安心して見られそうだ。これって、やはり年なのかなぁ。
「六十の手習い」という言葉もあるが、そんなチャレンジ精神はない。今まで積み上げてきたものをもう少し積み上げてゆくだけだ。少なくとも六十五まではがんばらないと。仕事に趣味に恋愛にますます磨きをかけて。えっ、何で恋愛?いいではないか、これも楽しみの一つに加えて。兎に角、楽しみと言う色をつけながら、六十を過ごしたいものである。
By 森田義夫六十はいいなぁ
一九五一年生まれの私は、今年の四月七日で満六十歳となってしまった。一回り違う長兄が三十四という若さで亡くなってしまったので、私も若くして死ぬのではという思いがつきまとっていたのだが、もうそれも遠い感慨となってしまった。
還暦のイメージは赤いちゃんちゃんこに赤い帽子ではあるが、最近はそれもあまり見かけない。六十定年も六十五へ移行しつつある。孔子の頃とは時代が違う。六十にして耳従う。そんな心の余裕などは無い。いつもあくせくと動いている。動いていないと何だか落ち着かない。これは私特有の病気なのか、現代病なのか。ここらでゆっくりとしたいものではあるが、何だか罪悪感さえ覚える。年金も平成六年の改正で半分以下に減額されている。国の運用の失敗を何で私が肩代わりしなければならないのだ、ますますゆっくりとはいかない。
とは言っても、やはり六十は何だか楽しい。何だろう。自分でも分らないが肩の荷が下りたような、自由になったような、解放感に満たされたような、そんな感覚である。映画もシルバー料金、理容店「ボンズ」もシルバー料金。特に映画は嬉しい。久しぶりにインターネットで映画情報を集めると、見たくなるようなタイトルがない、知った俳優はいない、興味をそそる内容の映画はない。洋画は字幕を追うのが辛くなってきている。邦画で時代劇なら安心して見られそうだ。これって、やはり年なのかなぁ。
「六十の手習い」という言葉もあるが、そんなチャレンジ精神はない。今まで積み上げてきたものをもう少し積み上げてゆくだけだ。少なくとも六十五まではがんばらないと。仕事に趣味に恋愛にますます磨きをかけて。えっ、何で恋愛?いいではないか、これも楽しみの一つに加えて。兎に角、楽しみと言う色をつけながら、六十を過ごしたいものである。