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「みよこつれづれ」
きっかけは、重岡さんが知人から作ってもらったエッセイ集だった。それを見た時、牛島さんの心に本を作りたいという思いが湧き上がったのだった。
「私も本を作りたい」と牛島さん。
「森田さん作ってあげたら?タイトルは「みよこつれづれ」がいいと思いますよ」と多賀先生。
「わかりました」と応じる私。
こうして「みよこつれづれ」の本作りが始まったのだった。早速、牛島さんのご自宅を訪問し、原稿の整理にとりかかった。余暇草に掲載された原稿、新聞に投稿された原稿、それ以外の原稿と区分けし、その数八十近くだった。これを全部入力するのはちょっとしんどいなぁと思っていたが、その半分ぐらいは余暇草のホームページよりコピーできたので助かった。はじめは牛島さんの誕生日にあわせて五月に発行しようと思ったが、長すぎる感があったので、年内に発行するように段取りを整えた。
原稿の打ち合わせで数回ほど訪問し、その原稿の背景にある出来事も聞くことができ、なかなか楽しい作業であった。「ちんちん電車で彼と再会」の初恋の人との出会いと別れ、「赤提灯」での、Kさんの話。私が忘れられない情景は、Kさんが投げ上げた黄色いみかんが放物線を描きながら、牛島さんの手へと吸い込まれるシーンだった。何だか映画の一場面にもなるような情景だった。
平成二十三年十一月下旬に取り掛かり、本が出来上がったのが、クリスマスイブの日だった。約一ヶ月かかったが、年内に完成することができ、幸いだった。そして、発行日は平成二十四年一月一日とした。牛島さんにも喜んでいただきほっとした。
その牛島さんが美室を離れるという話を聞いたのは、二月のことだった。寂しい限りである。でも、「みよこつれづれ」が私の手元にある限り、たとえ遠く離れていても、すぐ近くに牛島さんの思いも寄り添っているような気がする。
By 森田義夫「みよこつれづれ」
きっかけは、重岡さんが知人から作ってもらったエッセイ集だった。それを見た時、牛島さんの心に本を作りたいという思いが湧き上がったのだった。
「私も本を作りたい」と牛島さん。
「森田さん作ってあげたら?タイトルは「みよこつれづれ」がいいと思いますよ」と多賀先生。
「わかりました」と応じる私。
こうして「みよこつれづれ」の本作りが始まったのだった。早速、牛島さんのご自宅を訪問し、原稿の整理にとりかかった。余暇草に掲載された原稿、新聞に投稿された原稿、それ以外の原稿と区分けし、その数八十近くだった。これを全部入力するのはちょっとしんどいなぁと思っていたが、その半分ぐらいは余暇草のホームページよりコピーできたので助かった。はじめは牛島さんの誕生日にあわせて五月に発行しようと思ったが、長すぎる感があったので、年内に発行するように段取りを整えた。
原稿の打ち合わせで数回ほど訪問し、その原稿の背景にある出来事も聞くことができ、なかなか楽しい作業であった。「ちんちん電車で彼と再会」の初恋の人との出会いと別れ、「赤提灯」での、Kさんの話。私が忘れられない情景は、Kさんが投げ上げた黄色いみかんが放物線を描きながら、牛島さんの手へと吸い込まれるシーンだった。何だか映画の一場面にもなるような情景だった。
平成二十三年十一月下旬に取り掛かり、本が出来上がったのが、クリスマスイブの日だった。約一ヶ月かかったが、年内に完成することができ、幸いだった。そして、発行日は平成二十四年一月一日とした。牛島さんにも喜んでいただきほっとした。
その牛島さんが美室を離れるという話を聞いたのは、二月のことだった。寂しい限りである。でも、「みよこつれづれ」が私の手元にある限り、たとえ遠く離れていても、すぐ近くに牛島さんの思いも寄り添っているような気がする。