田舎坊主の読み聞かせ法話

「内容は仏の心の国」 田舎坊主のぶつぶつ説法


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以前、森喜郎自民党総裁が総理就任後、国会議員で構成する「神道政治連盟国会議員懇談会」という会合のあいさつで、

「日本は、まさに天皇を中心とした神の国であるぞと、国民に周知いた だく・・・」

という旨の発言をしたことがある。

このことは、各方面に大きな波紋と、戦前の皇国思想に回帰したのではないかとも思わせる発言に、森元総理自身の資質までも疑われる結果となった。

言うまでもなく、戦後、天皇は「人間宣言」をし、すでに「神」としての存在ではなくなった。

さらに、国民が主権の「民の国」であることも、自明の理であることは言うまでもないことである。

多くの批判や、反省を求める世論に対し、M総理がいろいろな場で釈明している言葉を聞いていて、彼が、神の国と発言しながら、話している言葉が仏教に由来しているものがとても多いではないか、ということに気がついたのだ。

 この釈明の言葉のいくつかを、覚えているままに、私なりに結びつけて、次のような一文にしてみた。

「神道政治連盟国会議員懇談会のごあいさつでは、神や仏を大切にする心が大事だという意味で、私なりの考えを申し上げたもので、国民に対し、これを決して押しつけたりするものではなく、また話したことを有耶無耶にしようなどとは思ってもいません。総理に推され、有頂天になっているとのご指摘もいただきましたが、兎に角、私なりにこの国のためによかれと思い、精進していきたい思いに変わりはございません。ただ、今、私どもの本意をご理解いただくために四苦八苦しているのが現状であります。」

 さて、右の文中の「あいさつ」、「有耶無耶」、「有頂天」、「精進」、「四苦八苦」、「兎に角」という言葉は、すべて仏教を由来としているのだ。 簡単に意味を説明することにする。

●挨拶(あいさつ)

 漢字はともに「しのぎを削る」という意味を持っていて、禅宗の僧 侶などが禅問答などにおいて、相手のようすや心中をうかがい、どの程度理解しているのか、悟りについてはどこまで達しているかなどを確かめることが「挨拶」であり、現在では、相手のご機嫌をうかがうような意味に使われるようになったのだ。

●有耶無耶(うやむや)

 文字どおり「有りや無しや」ということで、これも、禅問答などでよく使われる。「あるのか?ないのか?」と、どちらか一方を聞きただす場合や、自分の返答として「あるような、ないような」と、ぼやかした言い方をする場合に使う言葉である。

●有頂天(うちょうてん)

 仏教には三界という段階的な世界があると説かれている。一つは、食欲や性欲などのように、私たちがもっている本能的な欲望の世界を欲界とよんでいる。二つは、これらの欲望がなくなった状態の、色界とよばれる世界である。三つは、物質的なものは何ものもなくなって、純粋なる精神的なものだけの世界が無色界とよばれる。

 これら三界のさらなる上に位置するものが「有頂天」とよばれる世界とされているのだ。

●四苦八苦(しくはっく)

 四苦とは「生」・「老」・「病」・「死」である。そのほかに、以下の四苦があり、あわせて八苦になる。

愛別離苦(あいべつりく)・・・ 愛するものと別れる苦しみ

怨憎会苦(おんぞうえく)・・・いやな者とも付き合わなければならない苦しみ

求不得苦(ぐふとっく)・・・・欲しいものが手に入らない苦しみ

五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・心身が盛んなゆえに、苦しいこと

人間は生きていることによって、苦しみが多く、難儀することをいうのだ。

●精進(しょうじん)

 サンスクリット語で「ひたすら努力する」という「ビィリヤ」を日本語に訳したのが「精進」という言葉だ。

 ちなみに、ひたすら努力し、修行につとめるためには、必要以上に精力をつけてしまう、肉や魚やなどを避けた料理を食べる必要があった。

  これが「精進料理」とよばれるようになったのだ。

●兎に角(とにかく)

もともと、文字どおりの「ウサギにツノ」と書いて、「あり得ないこと」として、多くの仏典に散見することができるが、例えば「私が君を騙すようなことは兎に角、・・・・」という表現が一般的に使われ出し、「いずれにしても」という意味をもつ、現在の使い方に変化したと考えられる。


 M総理大臣にしてみれば、偶然出てきた言葉かも知れないが、少なくとも、彼の釈明に使われた言葉の中には、皮肉にも「神」より「仏」が巾をきかしている熟語が多いのである。

兎に角、五三八年、朝鮮半島から日本に仏教が伝来して、数多くの文化が開花し、醸成され、変化をとげ、日本人の精神や生活にも大きな影響を与えて来たことが、この短い一文に出てくるような、日常生活にとけ込んだ言葉で知ることができるのだ。

もちろん言葉だけでなく、瓦屋根の日本建築、美術・芸術、華道や茶道、漢方や針灸などの医学、能や狂言や音楽などの芸能、剣道や居合いなどの武士道等々、知ると知らざるにかかわらず、私たち日本人の心や身体に息づいているものは、「神の国」より、「仏の心の国」なるがゆえの精神や文化ではないだろうか。

 そして、その精神や文化を広める情報拠点が、言うまでもなく「お寺」だったのだ。

合掌

和歌山県紀の川市 瑞宝山不動寺

不動坊 良恒


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私の初版本で、2002年に出版した「田舎坊主のぶつぶつ説法」です。

後に「田舎坊主シリーズ」とつながる第1弾です。

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田舎坊主の読み聞かせ法話By 田舎坊主 森田良恒