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ゲスト:クセさん|失敗を資産に変えるnote伴走者
monaの部屋 第1回目のゲストは、クセさんです。
毎日23時からのLIVEはコメントが大盛り上がりで、私も楽しく参加させていただいています。
そんなクセさんのお話をじっくりお伺いしました。ぜひお聴きください。
【オープニング曲 by.ありえるさん】
【Special Thanks】
企画案: 奥村なおこ|本来の自分を取り戻す さん& クセさん|失敗を資産に変えるnote伴走者 さん
サムネイル制作: さるとら さん
BGM制作: ありえる|AIと世界観で遊ぶ人 さん
みなさま、ありがとうございました!
※以下の記事は、Podcastの音声書き起こしと同じ内容です。
私は普段、陰陽五行説や算命学の講義をしたり、それを使って鑑定をしたりしています。
算命学は、四柱推命の親みたいな存在で、占いの王様とも言われているものです。
今日は、その大元にある「陰陽説」のお話をしたいと思います。
陰陽説+五行説=陰陽五行説
陰陽五行という言葉は、陰陽師で聞いたことがある方も多いと思います。映画にもなりましたよね。
陰陽説と五行説は、もともと別々のところで発展してきた考え方でした。それが合体されて、陰陽五行説になりました。
陰陽師には、昔は陰陽寮という国の機関があったり、安倍晴明の神社があったりします。
もともとは、中国から来た天体を見て、星の運行から運気を判断していく学問が元になっています。
平安時代は主に貴族が、方角やタイミングを知るために使っていました。天皇陛下専門の陰陽師もいて、実際に活用されていた時代があったんです。
古典の教科書で、「この方角がダメだから今日は行けない」とか、「家にいないといけない」とか、そんな貴族の話が出てきませんでしたか?ああいうのを判断していたのが、陰陽師の仕事です。
陰陽説だけで占うのが、易
この陰陽説だけで占いをしているのが、易、易経です。
商店街に今もいるのでしょうか。着物を着た易者さんが、筒の中でガチャガチャして占う、あの占いです。
中国の占いの中でも、とても古い学問です。最近は本もたくさん出ていて、ビジネスマンにも活用されるようになってきているようです。
※音声の補足易(易経)を「一番古い中国の占い」と話しましたが、正確には「現在まで書物として残っている中では、最古級の占いの書」という位置づけになります。易より古い占いとしては、殷の時代の甲骨占いがあります。亀の甲羅や獣骨を焼いて、そのひび割れで吉凶を見る占いです。
この陰と陽というのは、天と地、昼と夜、男と女のように、この世にあるものが相対して異なっている、ということです。
世の中にあるもの、世界全体を見渡したときに、陰と陽という2つが、大きく分けると存在する。これが大元の考え方です。
たとえば、昼がなければ夜がありません。
1日を分けるなら、朝、昼、夜と3つにも分けられますが、太陽が出ている間と、太陽が沈んで暗くなった間、という2つにも分けられますよね。
この2つは、同質ではなく、異質なものの組み合わせです。
たとえば、男性同士でも女性同士でも、子どもはできません。同質なもの同士では変化がなくて、異質なものが合わさって、一つになっている。そういう考え方をしています。
だから、私たちの人生にも、陰があり、陽があります。日本や他の国の運気にも、陰があって、陽があります。
すべてが陰と陽の組み合わせでできていて、どちらが良い悪いではなく、どちらもあって、大元は一つである。そう捉えるのが、陰陽説です。
仏教でいう「関係性」と同じ
これは前にSubstackの記事でも書いたのですが、仏教的に言うと、世の中は関係性で成り立っています。
参考)Substackと東洋思想と資本主義
昼があるから夜がある。右があるから左がある。どちらかがあるから、もう一方も存在している。
この状態のことを、仏教では「関係性で成り立っている」と言います。
私が存在していることも、私以外が存在しているから、「私」というものが相対的に成立しているんですよね。
関係性で成り立っていることを理解すると、何かを間違っているとか、何かを正しいとか判断すること自体が、だんだんなくなっていきます。
一極二元論
陰陽説の話に戻ります。
昼と夜なら、大元の1つは「1日」ですね。1日に昼と夜があるというとき、この2つを「二元」と言います。
昼と夜は、そもそも1日です。この「一」のところを、「一極」と言います。
これを、一極二元論と呼んでいます。
これも仏教と同じで、一極のものが、2つのものが合わさって、ようやく成り立っています。そして、一極のものが、2つにただ分けられているだけ、とも言えます。
つまり、バラバラのものではない、統合された理論なんです。この統合の考え方を、陰陽説はすごく大事にしているんだなと思っています。
では、これを現実の世界でどう捉えるか。
たとえば職場に、仕事が遅い人がいると、「仕事が遅いな」と思う。一方で、仕事が早い人がいる。遅い人からすると、「早いのはいいんだけど、すごく雑だよね」となります。
こういう争いは、よく目にするなと思います。
じゃあ、どちらかが間違っているかというと、仕事の内容によって、どちらが優勢に立つかは違ってくると思います。でも、どちらも大事な能力ですよね。
「陰」と「陽」に分かれているところだけを見ると、宗教戦争のように、永久に対立して終わります。
でも、2人とも、この会社が大切にしていることを大切にしたい、という思いは一緒だとします。そこが、一極になります。
対立しているところだけを見ずに、大元で握れるところはどこだろう、と探してみる。統合している部分を、握り合う。
これが、対立構造をなくす、というより、対立を問題として捉えないために、すごく大事な考え方だと思います。
東洋思想の中では、分け隔てないとか、統合していく思想が、共通して重要視されているように思います。
すぐには身につかない学びだからこそ
とはいえ、今日これを聞いて、「じゃあ明日からやってください」と言われても、すぐには身につかないものです。
筋トレみたいなものだと思っています。頭の体操、心の筋トレとして、私はお伝えしています。
物の見方には、今までやってきた癖がたくさんあります。明日変えてくださいと言われて、明日変わるものではありません。一度適用してみても、普段の癖が出て、元の見方で見ているな、ということもあります。
東洋思想や仏教、哲学は、正直、すぐに身につくかというとそうでもなくて、教養レベルの話だと思います。
最近は、AIとの対比で、人文知が大事だと言われたりします。でも、「AIですぐに結果を出せます」というものとは、正反対のところにいるのが、こういう古典の世界だと思っています。
スピードが速くなっていく時代の中で、とても大切な学びだと私は思っています。でも、こういう捉え方が身につくには、すごく時間がかかります。今、仕事に困っているとか、お金に困っているということを、全く解決してはくれません。
でも、知っていて、それがじわじわと自分の中に蓄積されて、浸透していくことで、捉え方が変わっていく。それを、私も経験しています。
捉え方が変わると、人生の感じ方が、少しずつ楽になっていくんじゃないかなと思っています。
資格勉強のように、勉強したら必ず手に入る学びではないので、積極的に学ぼうとする人は、AIなどと比べると少ないかもしれません。
でも、2500年前から古い学びが脈々と続いて、今も残っています。リバイバルして、老荘思想や儒教、哲学が大事だよね、という方も、最近は増えているように思います。
そうやって長く続いて、今も活用できるものとして、私は東洋思想や仏教が、すごく役に立つと思っています。
今日の話を聞いて、そういう考え方があるんだなとか、陰陽説は現実にどう使うものなのか、という捉え方の一つとして、頭の片隅に置いておいていただけたら嬉しいです。
そのうち、「そういうこと言ってた人いたな」と、役に立つ日が来るかもしれません。
東洋思想をどう活かすかまで考えている人は、少ないのかなと思います。儒教はもともと国家統治に使われていたものです。現代でもどう使って、どう捉え方の練習をするかというところまで扱っていくと、自分の人生にプラスになる場面が増えてくるのかなと思っています。
そういうことが、じわじわとでも、みなさんの中に溜まっていくと嬉しいです。
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今月の過ごし方のポイントをお話ししました。
文字で読みたい方は、noteの記事をご参考ください。
良い戌月が過ごせますように!
2026年10月戊戌月 過ごし方のポイント
本記事は、岡野原大輔『人とAI』(岩波新書)を読みながら、約1時間半話したLIVE配信の要約です。AIと人の違いはどこにあるのか、その違いを踏まえると人の仕事に何が残るのか、という内容でした。プロンプトエンジニアリングからコンテキストエンジニアリング、そして現在のハーネスエンジニアリングへという流れを前置きに、本の内容を順に追っています。
読んだ本(PR):岡野原大輔『人とAI』(岩波新書)
AIがあると人は考えなくなるのか?
計算機は人があらかじめ定めたルールと手順どおりに処理する存在だったが、今のAIが出すアウトプットは人が説明できない。入力したこと以外の結果が出てきて、人が理解する前に答えが出ている。これがこれまでとの決定的な違いである。
では、AIがあると人は考えなくなるのか?実は人はこれまでも、理解しないまま結果を受け入れていることがある。例えば、医師が示す治療方針を、患者は臨床データも薬の作用も知らないまま受け入れている。
理解しないまま結果を受け取ることは以前からしており、AIだけが特殊なわけではない。重要なのは、理解・判断・責任の関係を自分がどこに置くかである。
判断をAIに委ねることは、判断が消えることではなく判断の重心が移動すること。判断の過程は見えないまま、結果だけを人が引き受ける世界になっている。
ヒトとAIの違いの例
AIは誤ったアプトプットをしても痛い目に合わない。痛みを負うのは選んだ人の側である。だからAIは体感を伴う学習が生じない。一方、人は次の機会があるとは限らない状況で、一度の経験から学ぶよう作られている。また、AIは継続学習が苦手で、会話が長くなると前半の内容を失い、新しい学びが古い学びを上書きしていく。
AIは人のように抽象化ができない。人は街を歩くとき、混雑している、危なそう、といった粗い情報で行動を決めている。これは、限られた認知資源で世界を扱う合理的な戦略である。
ジンクスや迷信は、この抽象化の副作用だ。人にとっての火は触れば火傷する危険なものだが、AIにとっては赤く揺らめく画像パターンに「熱い」という語が結びついているだけで、命の危険は含まれない。なお、人がこの抽象化を自然に行える理由は、現在のAI研究でも解明されていないとのこと。AIの文章に手触りがないのは、体験と体感の欠如によるのではないか。
自由と責任の再定義
自由とは、選んだ結果を自分のものとして引き受けられること。この定義に照らせば、AIは選択しているように見えても結果を引き受けていないため自由ではない。本当に自由になれるのは人だけである。
AI時代の人の仕事
「ハーネス」は本来は安全帯を指し、AIの文脈ではエージェントの行動範囲を定める枠組みを意味する。AIエージェントにファイルを消されるような事故は、禁止事項を先に与えていないために起きる。
これまで会社や社会の文化が暗黙に担っていた基準を、どこまでが可能でどこからが不可か、何をもって成功とするかまで明示的に言語化しなければ、AIエージェントに仕事は任せられない。ここが会社にAIエージェントを導入するうえでの、最大の課題となりえる。
今後、業務が丸ごとAIに置き換わることは稀で、下書き・要約・リサーチ・翻訳など目的と制約が明確なタスクから部分的に自動化されていく。自動化が進むほど、目標や制約を言語化して渡す手間は増える。目的の定義、評価基準の設計、どこで止めるかの判断は、責任を伴うため人が引き受け続ける必要がある。
本の表現では、人間の仕事は軽くならず質が変わり、大量の作業をこなす存在から実行結果を引き受け統合し線を引く存在へ移行する。これからはAIエージェントを指揮する管理職型と、人にしかできない領域のスペシャリスト型に二極化していくのかもしれない。
所感
本書は一貫して、人が責任を取ることの重要性を述べています。
継続的に考えられない、局所的な回答にとどまる、信念が持続しない、痛い目に遭わない。
そのAIの特性の裏返しが、感じることや体験することという人の強みになる。仕事の面では、統制し指示し結果に責任を持つ役割が残るため、人の仕事はなくならず質が変わる、というのが2026年7月時点での結論でした。
改めてAIの特徴を知り、AIとの付き合い方を考えるきっかけになった本でした。よかったら読んでみてくださいね。
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