英隆一朗神父の福音お休み処

ルカ福音書12章13-21節「神様の目線に合わせて」


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ルカ福音書12章13-21節「神様の目線に合わせて」2025年8月3日年間第18主日カトリック長府教会
今日の福音書朗読とお説教の聞きどころ

イエス様の見ている視点と、私たちの考えている視点はかなり違うことが多いのです。ガンジーも言っていますが、自分の心を見つめて自分を変えていくとはとても難しい。ましてや神様の目線に自分の心を合わせることは大変難しいことです。それでも神様の恵みは、私たち一人一人に必要な分だけ与えられていますから、神の恵みをしっかり受けて、それに応えていけるように願いましょう。

ガンジーの話はしばしば出てきますが、何度聞いても凄い人だと思います

福音朗読 ルカ福音書12章13-21節

13〔そのとき、〕群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」14イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」15そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」16それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。17金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、18やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、19こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』20しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。21自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」

神様の目線に合わせて

今日の福音書はルカの12章のお話で、イエス様と人々のやり取りというか、イエス様の説教なのですが、今日のところ考えさせられるところの一つなのですが、群衆の一人がイエス様に相談に来て、私にも遺産を分けてくれるように兄弟に言って下さいという、そういう相談をするんですよね。

遺産相続の問題なんですけれども。古今東西、この遺産相続の問題って実はかなり問題があって、今みたいに法律がちゃんとしていても、ちょっとこれだけ見たら、皆さんの中で一人か二人が多分その遺産相続の問題に悩まされた人がいるんじゃないかと思われますけれども、信者さんでも多いんですよね。この遺産相続をどうするか。その家がだいたい裕福だった方の場合ですけれども、それで揉める人というのは案外少なくないという感じがして、直接相談、例えば直接相談されても、別に弁護士じゃないから僕なんか答えようがないですけど、でも、遺産相続の問題で、この人は相当悩んでたんですよね。多分兄弟がたくさん取っちゃって、それで自分の分が少ないから、それで頭に来て、イエス様の相談に来たなというふうに思われますね。
でも、イエス様のところには様々な相談が来たんだと思いますが、私のところにもいろんな相談が来て、いろいろなレベルの相談が、一つはこういう、何て言うんですかね、人生のトラブルの相談を受ける事は時々はやっぱりあって、人間関係の問題とか何とかかんとかいろいろあるわけですけど、イエス様の答えはやっぱりすごいなと思いますけれども、これ縮めて書いてあるからあれなんですけど、この人の本当の問題は遺産相続の問題じゃないんですよ。この人の本当の問題は貪欲の問題。心の中のどんな貪欲にも注意を払い、用心しなさいと。本当の問題は心の中の問題なんですよね。

これはこのイエス様の見ている視点と、私たちの考えている視点の違いということが、ものすごくはっきり表れている箇所の一つなんですよね。

私のところにも、先ほど言ったように、いろんな相談があって、夫夫婦の仲の悪いこととか、いろいろお金のことも相談。もちろんお金を出せるわけじゃないけど、いろいろな相談を受けて、やっぱり相談を受けたら、自分としては合わせたらこうしたらとか、遺産相続の問題だったら裁判しますか、しませんかとか決めてやったらどうですかと、いろいろ相談に合わせて、僕も一生懸命、自分なりにアドバイスはもちろんするわけですけれども、なかなかイエス様のようなアドバイスができないというか、あなたの貪欲が問題ですよっていうのがあってもなかなか言えない。

でも、多くの人は、多くの人の相談を聞いて思うことの一つは、みんな、だから他の問題で悩んでいるんですよね。仕事がどうのこうのとか、家族の関係がどうのこうのとか、いろいろですけど、でも本当の問題は自分の心の中の問題だといつもそこを見ているということなんですね。

本当に拠りますけれども、あ、この教会がここが悪いとか何とか、あの教会はだめだとか、そんなことばっかり言っていて、そんなのを聞いていると、心の中ではね。それもあなたの問題だろうと思うんだけど、それを言ったらもうその人を逆切れして、もうそれで二度と来ないとか、あるいは仕事の問題でも職場のことがどうのこうのとか延々に言っていると、職場の問題ももちろんあるかもしれないけれども、それで仕事をしょっちゅうしょっちゅう変えている人がいたら、職場の問題じゃなくて、やっぱりあなたの問題だろうと思うんですけれども、でもなかなかそこが実際気付けない。
結局誰かが悪いからこうなっちゃったって思っていて、結局自分の問題だったことになかなかわからない。
それに、どうやったら気づけるのかということもなかなか難しいポイントですけれども、でも、人のせいにする、あるいは周りの問題、それを解決しなきゃならないことがありますが、その中でそういうことを通して、やっぱり自分自身に何が問われているのかということを、やはり自分の心を振り返るきっかけとして、そこからイエス様が何を望んでいるのかを見なきゃならないと思うんですね。

僕は好きなカトリックじゃないですけれども、マハトマガンジーって皆さんもご存じだと思うんですけれども、インドの独立の事実なんですけども、ガンジーのすごいところは何かと言ったら、個人的に立派な人だっただけじゃなしに、聖人のような形で、しかも政治の分野での目覚ましい功績があった。
この両方をできる人というのはなかなかすごいなと思うんですけど、彼の一番すごかったことは何かといったら、ご存知だと思いますけれども、イギリス大英帝国の植民地だったインドを独立させたんですよね。でも1発の鉄砲の弾も打たなかったんですよ。軍事衝突ゼロ、いわゆる非暴力というですね、いわば仏教やヒンズー教の暴力を使わないっていう、その教えに徹底して1発の銃も撃たず、イギリス兵と一回の戦争もせずですね、イギリス大英帝国からインドの独立を勝ち取ったというんですね。それ自身がもう歴史上あり得ない政治的な奇跡を行った人ということで、極めてすごい人だというふうに思うんですけれども。
でも彼が彼の自伝とか読んで、彼の晩年にですね、自分の生涯には3人の敵がいたって言うんですね。非常に自分を悩ませた敵が3人いたって言うんですよ。

1番目の敵は何かと言ったら、一番人生の仲間3人の中で一番簡単で、一番戦うのが楽だったのは何か1番目、それが何かといったら、イギリス大英帝国だってっていう、その敵と戦うのが一番人生で優しかったという、非暴力で戦うことというのは、普通だったら絶対できないことをやったってそれだけで奇跡的なんですけど、彼によればそれは一番簡単だったというんですよね。

では2番目にもっと難しかった敵は何かといったら、インド国にだって言うんですよね。自分の国の国民がもっと難しかった。結局、イスラム教対ヒンズー教の争いがイギリス大英帝国が独立しても結局解消することができなかったんですよね。彼は一つの大きなインドを作りたかったのに、結局ヒンズー教とイスラム教との喧嘩が収まらなかったから、結局パキスタンとインドに分離して独立してしまった。それはガンジーとしては非常に心の痛い一つの国にしたかったんですけど。それで当時は東パキスタンと西パキスタンで、東パキスタンがバングラディッシュになって3つの国に分かれたんですけど、でもそれを感じる笑顔じゃなかったんですが、でも結局みんな人々の心の中にあるこう、やっぱり敵味方意識ですよね。そういうものから結局大きな統一ができなかったわけですけど。でもガンジーがいいんですけど、それも2番目に難しかった時だったんですよ。

で、彼が最後に一番最も自分が生涯で難しい敵はなかなか勝つことができない。敵は誰だったかといったら、私自身だと言って、マハトマガンジーその人自身が自分にとって一番難しい敵だったと。生涯をかけても、この自分を変えることは最も難しい作業ということだったということを晩年の自伝で書いてあってですね。

そんなすごいガンジーですら、やっぱり自分の心を見つめて自分を変えていくということは、それほど簡単なことではない、というか、それが一番難しかったと彼は率直に謙遜に語っているわけなんですよね。

だからこそ、私たちはもちろん周りに問題があったらそれを片付けなきゃならないことをしなきゃならない。当たり前ですけど。でも、自分の心をよく見つめて、それを清めて、貪欲とか執着とか嫉妬心とか、怒りとか、そういうものを置いて、神さまの方に自分の心を合わせていくということ。それが本当に生涯かけて、私たちは少しずつしていかなきゃならない。一人一人が自分でやらなきゃならないことだと思いますね。

天の国に宝を積むとかね。実際、本当に心がどういうことなのかということも難しいですけれども、でも私たちがやはり神の前に自分を置いて、本当に大事だと思えることは一体何なのか。神さまと自分の心を合わせた上で、自分がどういうところを開始して、どういうところを置いて、何を大事にしていくのか、それは本当に度々問いかけなきゃならないことじゃないかというふうに思います。

ちょっとルカの12章ですが、途中で切れているから一部の文章で切れるからあれなんですけど、この後の続きも実はすごく面白い話で、結局イエスはこうんですよ、小さな群れよ恐れるなと言ってですね、自分の持っているものを人々に分かち合いなさいということで、このお話が実は終わるんですけどね。

だから、最初は遺産相続でいくら取れるか、取れるかって話で、でも貪欲に注意しなさい。自分の心を見つめ直して、神さまとしっかり交わりを持ったら、自分の持っているものの方をむしろ分かち合う。それによってあなたは天の国に入れるというわけですよね。

遺産たくさんもらったからって天国に入れなかったにしかならないという私たちは、本当に天国に入っていくために自分に何が必要なのかということを改めて問いかけて、心の整理ですよね。身辺整理というか、やっぱり死が近づいてきたら、ものの整理する人も時々おられて素晴らしいと思いますけれども、物の整理ももちろんしたらいいと思うのですが、もっとしなきゃならないの心の整理と、本当に自分に足らないものは一体何なのか、それを残された人生でどう果たしていくことができるのか。そのような小さな積み重ねを、私たちはやはり心がけていかなきゃならないんじゃないかなと思います。

イエスが私たちの心を見ていますから、心と行い、財産がいくらあるとか、何かが仕事で成功したとか、しなかったとか、何か健康であるか、病気であるかとか、見ているポイントは実は全然違うと思います。

神様が見ている根拠に自分の心を合わせて、そして神のみ旨を少しでも小さくても、もちろん小さなことしかできないですが、果たしていけるように恵みを願いましょう。神様の恵みは、私たち一人一人に必要な分だけ与えられていますから、神の恵みをしっかり受けて、それに応えていけるようにですね、神様に改めて力をお願いしたいと思っています。

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