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桜の様子を目の当たりにしたとき、この地方に所縁ある西行法師の名句が偲ばれた。
願わくば 花のもとにて春死なむ
その如月の 望月のころ
西行法師がこう詠んだのはー
「死ぬときは春がいい、桜の花の咲く春がいい。そしてできるものなら、旧2月の満月のころがいい。それはお釈迦さまが入滅されたのが旧2月15日だから、その日に死にたい」と考えていたというが、父親の死は、4月7日で翌8日はお釈迦さまの誕生日「花祭り」だ。
「わしはあす釈迦に生まれ変わるぞ」とのメッセージと、私は受けとめている。
花見宴の翌日の父親の突然の死は、「刹那刹那(せつなせつな)を一生懸命生きろよ、今しかないぞ」と、命のはかなさと今を生きることの大切さを、身を以て教えてくれたものと考えている。
父親の葬儀に際し、句をたしなむ信者さんから、次のような弔句を献読いただいた。
「献句」薮添真沙子氏
院主逝き 桜散華の ただ中に
「名僧の冥福祈りて三句」 藪下道子氏
雪柳 蓮翹 桜の満開に
花に包まれ 老僧の逝(い)く
花見して酒の過ぎしか名僧の
風呂の中にて 事のきれたり
前日は 人と語らひよろこびて
一夜明くれば 永久の旅立ち
合掌
父親が遷化して7年後、私の妻はパーキンソン病を発病した。
脳内のドーパミンというホルモンが減少し、運動や筋肉や体幹のバランスといった機能が制限される神経難病だ。
「子どもを亡くし、前の奥さんを亡くし、今度は私が難病になって・・・・。かわいそう・・・・」 と、妻は結婚したときと同じようなことを言う。しかし私は自分をかわいそうだと思ったことは一度もない。
それよりもむしろパーキンソン病の患者会の支援ボランティアをしていた妻自身がパーキンソン病を発病し、その難病を受け入れるまでの2年ぐらいの間の苦しみ――
「なぜ自分が難病にならければならないのか」、
「将来、病気が進行すればどうなるのか」、
これは難病になったものにしかわからないことだと、あらためて痛感させられた。
その後、私は徐々に役職を退き、今、設立から足かけ20年会長を務め、妻と二人でかかわってきた和歌山県難病団体連絡協議会は新たな方に引き継ぐことができた。
少し時間に余裕ができたなかで、立ち上げた地域の難病患者家族会「きほく」の事務局を妻とともに担当し、薬物療法を続けながら一緒に参加することができる。病気であっても「誰かのために何かしよう」とする妻を誇りに思う。
そして結婚したときに感じたのと同じように、手をつなぎながら、ちょっとした買い物に行けることの幸せ。仕事のない日には薬を調節し、少し遠出をして外食を愉しむことの幸せ。講演旅行では体調がすぐれないときには、空港で車イスを借りて行けることも幸せ。
私自身も、体質遺伝による痛風患者歴30年で、あわせて大腸憩室の発作もたまに起こすが、まずまず元気に働けることの幸せ。時には思い切りけんかできる相手がいることの幸せ。
加えて、おしっこがでること、声が出ること、耳が聞こえること、夜は安心して眠れること、歩けること、こんな当たり前のことがありがたいと思える。
私にとって「愛別離苦」は、坊主としての使命を明確にしてくれたのとともに、
「幸せの種は身の回りにあふれているぞ。そして、その種にはすべてありがたいというプライスカードがはられているぞ」と教えてくれている。
合掌
・・・・・・・・・・・・・・
7月からのシーズン3の読み聞かせ法話の本は
2009年に出版した「田舎坊主の愛別離苦」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
田舎坊主シリーズ
「田舎坊主の合掌」https://amzn.to/3BTVafF
各ネット書店、全国の主要書店で発売中です。
「田舎坊主の七転八倒」https://amzn.to/3RrFjMN
「田舎坊主の闘病日記」https://amzn.to/3k65Oek
「田舎坊主の愛別離苦」
「田舎坊主の求不得苦」 https://amzn.to/3ZepPyh
電子書籍版は
・アマゾン(Amazon Kindleストア)
・ラクテン(楽天Kobo電子書籍ストア)
にて販売されています
桜の様子を目の当たりにしたとき、この地方に所縁ある西行法師の名句が偲ばれた。
願わくば 花のもとにて春死なむ
その如月の 望月のころ
西行法師がこう詠んだのはー
「死ぬときは春がいい、桜の花の咲く春がいい。そしてできるものなら、旧2月の満月のころがいい。それはお釈迦さまが入滅されたのが旧2月15日だから、その日に死にたい」と考えていたというが、父親の死は、4月7日で翌8日はお釈迦さまの誕生日「花祭り」だ。
「わしはあす釈迦に生まれ変わるぞ」とのメッセージと、私は受けとめている。
花見宴の翌日の父親の突然の死は、「刹那刹那(せつなせつな)を一生懸命生きろよ、今しかないぞ」と、命のはかなさと今を生きることの大切さを、身を以て教えてくれたものと考えている。
父親の葬儀に際し、句をたしなむ信者さんから、次のような弔句を献読いただいた。
「献句」薮添真沙子氏
院主逝き 桜散華の ただ中に
「名僧の冥福祈りて三句」 藪下道子氏
雪柳 蓮翹 桜の満開に
花に包まれ 老僧の逝(い)く
花見して酒の過ぎしか名僧の
風呂の中にて 事のきれたり
前日は 人と語らひよろこびて
一夜明くれば 永久の旅立ち
合掌
父親が遷化して7年後、私の妻はパーキンソン病を発病した。
脳内のドーパミンというホルモンが減少し、運動や筋肉や体幹のバランスといった機能が制限される神経難病だ。
「子どもを亡くし、前の奥さんを亡くし、今度は私が難病になって・・・・。かわいそう・・・・」 と、妻は結婚したときと同じようなことを言う。しかし私は自分をかわいそうだと思ったことは一度もない。
それよりもむしろパーキンソン病の患者会の支援ボランティアをしていた妻自身がパーキンソン病を発病し、その難病を受け入れるまでの2年ぐらいの間の苦しみ――
「なぜ自分が難病にならければならないのか」、
「将来、病気が進行すればどうなるのか」、
これは難病になったものにしかわからないことだと、あらためて痛感させられた。
その後、私は徐々に役職を退き、今、設立から足かけ20年会長を務め、妻と二人でかかわってきた和歌山県難病団体連絡協議会は新たな方に引き継ぐことができた。
少し時間に余裕ができたなかで、立ち上げた地域の難病患者家族会「きほく」の事務局を妻とともに担当し、薬物療法を続けながら一緒に参加することができる。病気であっても「誰かのために何かしよう」とする妻を誇りに思う。
そして結婚したときに感じたのと同じように、手をつなぎながら、ちょっとした買い物に行けることの幸せ。仕事のない日には薬を調節し、少し遠出をして外食を愉しむことの幸せ。講演旅行では体調がすぐれないときには、空港で車イスを借りて行けることも幸せ。
私自身も、体質遺伝による痛風患者歴30年で、あわせて大腸憩室の発作もたまに起こすが、まずまず元気に働けることの幸せ。時には思い切りけんかできる相手がいることの幸せ。
加えて、おしっこがでること、声が出ること、耳が聞こえること、夜は安心して眠れること、歩けること、こんな当たり前のことがありがたいと思える。
私にとって「愛別離苦」は、坊主としての使命を明確にしてくれたのとともに、
「幸せの種は身の回りにあふれているぞ。そして、その種にはすべてありがたいというプライスカードがはられているぞ」と教えてくれている。
合掌
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7月からのシーズン3の読み聞かせ法話の本は
2009年に出版した「田舎坊主の愛別離苦」です。
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