
Sign up to save your podcasts
Or
Sさんが亡くなったと連絡が入った。
当家に着いて枕経をあげようとすると、次から次へとかつての弟子たちがお悔やみにやってきた。
「おやっさん、おやっさん」と故人を親しく呼ぶ彼らは、今ではそれぞれが一国一城の主(あるじ)として建材や建具業を営んでいる人たちである。
横たえられた白布の「おやっさん」に職人らしいゴツゴツした手を合わせ、口々に世話になった礼を言うのである。
その人たちから出てくる言葉は、全てが「おやっさん、おおきに、ありがとうございました」なのだ。
Sさんは貧しい家の長男として家計を助け、ほかの兄弟たちの面倒を見る必要があったなかで、他人の飯を食い、口に言えない苦労を重ねてきた人である。
だからこそ工場が大きくなってきたとはいえ、弟子や従業員たちを単なるコマとして働かせるようなことは徹底的に排除していったという。
聞いてみると、弟子や従業員だけではなくその家族までもきめ細かく配慮し面倒をよくみていたそうだ。
弟子が独立するといえば資金だけではなく、仕入れ先や顧客の情報も何一つ独占することなく与え、その子どもが結婚するといえばお祝いし、入院すればお見舞いし、常に自分の家族のように温かい心配りを欠かさなかったという。
面倒見の良さはそれにとどまらず、彼らの借金の肩代わりをしたことも一度や二度ではなかったらしい。
手を合わす弟子たちにとって、故人はまさに「社長」ではなく「おやっさん」であり、働いていたのは会社ではなく「家」だったのだ。
その「家」の主の存在は、弟子たちの拠り所として深く心に刻まれていることが、ただただ口々に発せられる「感謝の言葉」から容易に察することができた。
弔問を受ける息子たちにとっても、親の寛容さや温かさというものを、あらためて認識させられた通夜の前日であった。
さらに、子どものころから宮や寺を大事にしていた父親の背中を見て育ったSさんは、「先祖のおかげで仕事をさせてもらえる」と口癖のように言っていて、工場経営に斜陽の兆しが現れてからも寺院仏閣の建築や改築に際しては、その都度寄付することを忘れなかった。
それは次の仕事をもらうためでもなく、銘板に名を刻んでもらうためでもなく、あるいは税金対策などでもない。そのような打算は一顧だにせず、常に感謝と報恩の心を持ち続けたSさんの信念であり生き方でもあったのだ。
ちなみに数年前、私の寺の本堂や庫裏の大修理に際しても、「わしが生まれたふるさとの寺を大事にせなあかんのや」と、率先して多額の浄財を寄進されたことは記憶に新しく、飽くことなきその奉仕奉納の精神が周囲の人々の心を引きつけてやまなかったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・
7月からのシーズン3の読み聞かせ法話の本は
2009年に出版した「田舎坊主の愛別離苦」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
田舎坊主シリーズ
「田舎坊主の合掌」https://amzn.to/3BTVafF
各ネット書店、全国の主要書店で発売中です。
「田舎坊主の七転八倒」https://amzn.to/3RrFjMN
「田舎坊主の闘病日記」https://amzn.to/3k65Oek
「田舎坊主の愛別離苦」
「田舎坊主の求不得苦」 https://amzn.to/3ZepPyh
電子書籍版は
・アマゾン(Amazon Kindleストア)
・ラクテン(楽天Kobo電子書籍ストア)
にて販売されています
Sさんが亡くなったと連絡が入った。
当家に着いて枕経をあげようとすると、次から次へとかつての弟子たちがお悔やみにやってきた。
「おやっさん、おやっさん」と故人を親しく呼ぶ彼らは、今ではそれぞれが一国一城の主(あるじ)として建材や建具業を営んでいる人たちである。
横たえられた白布の「おやっさん」に職人らしいゴツゴツした手を合わせ、口々に世話になった礼を言うのである。
その人たちから出てくる言葉は、全てが「おやっさん、おおきに、ありがとうございました」なのだ。
Sさんは貧しい家の長男として家計を助け、ほかの兄弟たちの面倒を見る必要があったなかで、他人の飯を食い、口に言えない苦労を重ねてきた人である。
だからこそ工場が大きくなってきたとはいえ、弟子や従業員たちを単なるコマとして働かせるようなことは徹底的に排除していったという。
聞いてみると、弟子や従業員だけではなくその家族までもきめ細かく配慮し面倒をよくみていたそうだ。
弟子が独立するといえば資金だけではなく、仕入れ先や顧客の情報も何一つ独占することなく与え、その子どもが結婚するといえばお祝いし、入院すればお見舞いし、常に自分の家族のように温かい心配りを欠かさなかったという。
面倒見の良さはそれにとどまらず、彼らの借金の肩代わりをしたことも一度や二度ではなかったらしい。
手を合わす弟子たちにとって、故人はまさに「社長」ではなく「おやっさん」であり、働いていたのは会社ではなく「家」だったのだ。
その「家」の主の存在は、弟子たちの拠り所として深く心に刻まれていることが、ただただ口々に発せられる「感謝の言葉」から容易に察することができた。
弔問を受ける息子たちにとっても、親の寛容さや温かさというものを、あらためて認識させられた通夜の前日であった。
さらに、子どものころから宮や寺を大事にしていた父親の背中を見て育ったSさんは、「先祖のおかげで仕事をさせてもらえる」と口癖のように言っていて、工場経営に斜陽の兆しが現れてからも寺院仏閣の建築や改築に際しては、その都度寄付することを忘れなかった。
それは次の仕事をもらうためでもなく、銘板に名を刻んでもらうためでもなく、あるいは税金対策などでもない。そのような打算は一顧だにせず、常に感謝と報恩の心を持ち続けたSさんの信念であり生き方でもあったのだ。
ちなみに数年前、私の寺の本堂や庫裏の大修理に際しても、「わしが生まれたふるさとの寺を大事にせなあかんのや」と、率先して多額の浄財を寄進されたことは記憶に新しく、飽くことなきその奉仕奉納の精神が周囲の人々の心を引きつけてやまなかったのである。
・・・・・・・・・・・・・・・
7月からのシーズン3の読み聞かせ法話の本は
2009年に出版した「田舎坊主の愛別離苦」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
田舎坊主シリーズ
「田舎坊主の合掌」https://amzn.to/3BTVafF
各ネット書店、全国の主要書店で発売中です。
「田舎坊主の七転八倒」https://amzn.to/3RrFjMN
「田舎坊主の闘病日記」https://amzn.to/3k65Oek
「田舎坊主の愛別離苦」
「田舎坊主の求不得苦」 https://amzn.to/3ZepPyh
電子書籍版は
・アマゾン(Amazon Kindleストア)
・ラクテン(楽天Kobo電子書籍ストア)
にて販売されています