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■田舎坊主の再婚
その後、私はある女性に恋をした。
その女性は、私が教えていた三味線教室に生徒としてきてくれていた、私とは同年代の人だ。
私はその女性と結婚した。
彼女は、「子どもを難病で亡くし、前の奥さんをガンで亡くしたあなたが、今度こそ幸せにならないと」と、私に言ってくれた。
私たちは二人で結婚式を挙げ、その後友人知人を招き、少し離れた町のホテルでささやかな披露宴を催した。
その日の朝、70歳を過ぎた私の母親から小さな紙切れを渡された。
無造作に四つ折りにされたその紙切れには、
「良恒 おめでとう おかちゃん(母のことを私はそう呼んでいた)はほんとうに うれしいです」
と、マジックペンを使い、大きな文字で書かれていた。
*
大正10年生まれの母親は10人兄姉の上から5人目で、子どものころは生活が苦しく、両親を助けるという、その時代ならではの口実のもと、ようは口減らしのため、いくつもの家に奉公に出され、遠くは神戸の織物屋まで行ったと聞いている。
その仕事は子守、掃除、洗濯、台所などなんでもさせられた。いつも几帳面で一生懸命だった母親は奉公先にも大事にされ、私が長じてからも年賀状だけはやり取りしていたようだ。
そのなかでも、広島から神戸の奉公先に仕事に来ていたおばさんにとてもかわいがられたことが忘れらず、死ぬまでに一度会いたいとよく言っていた。そこで私は、長じてから初めての新幹線に乗り、母親を広島のその人の家まで連れて行ったことを今も覚えている。
そんな母親がただ一つ後悔の思いを口にするのは、満足に小学校にも行かせてもらえなかったことだ。
文字を書くときはいつも私たち子どもに頼み、それを見ながら独学である程度字を書けるようになったものの、ほとんどがひらがなで、書ける漢字は子どもの名前と名字ぐらいだったように思う。件の年賀状も私たち子どもに書かせていた。
*
その母親が私の2度目の結婚の朝、小さな紙切れで、精一杯のよろこびを伝えてくれたのだ。
それを読んだとき、母親はそれまで何も言わなかったけれど、三男の私の半生が少なからず不憫(ふびん)でならなかったのだろう。
そういう心配をかけ続けてきたことに、私は胸が締めつけられた。
■半生は二人で生きる
披露宴のお開きで、「温かいご祝福ありがとうございました。今までいろいろありましたが、これからの残りの半生は彼女と、ともに生きていきます」と、彼女への誓いの思いを込め、お礼のあいさつをした。
私は二人で生きる幸せを実感した。
それまでの私の経験がそのことをいっそう増幅してくれたと思っている。
それは、ちょっとした買い物に行けることの幸せ。
少し遠出をして外食できることの幸せ。
言い合いできる相手がいることの幸せ。
一緒に講演旅行に行けることの幸せ。
安心して元気に働けることの幸せ。
一人ではそれは侘びしいものだ。
さらにはその後、近くの特別養護施設でヘルパーとして働いていた長女が突然退職し、
「あたし高野山の尼僧学院へ行って、坊さんになる」と言って、尼さんになってくれたのだ。そして今、お寺を手伝ってくれている。
幸せの実感とともに、思いもしなかった長女の変身は、本当にありがたいと思った。
合掌
・・・・・・・・・・・・・・・
7月からのシーズン3の読み聞かせ法話の本は
2009年に出版した「田舎坊主の愛別離苦」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
田舎坊主シリーズ
「田舎坊主の合掌」https://amzn.to/3BTVafF
各ネット書店、全国の主要書店で発売中です。
「田舎坊主の七転八倒」https://amzn.to/3RrFjMN
「田舎坊主の闘病日記」https://amzn.to/3k65Oek
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電子書籍版は
・アマゾン(Amazon Kindleストア)
・ラクテン(楽天Kobo電子書籍ストア)
にて販売されています
■田舎坊主の再婚
その後、私はある女性に恋をした。
その女性は、私が教えていた三味線教室に生徒としてきてくれていた、私とは同年代の人だ。
私はその女性と結婚した。
彼女は、「子どもを難病で亡くし、前の奥さんをガンで亡くしたあなたが、今度こそ幸せにならないと」と、私に言ってくれた。
私たちは二人で結婚式を挙げ、その後友人知人を招き、少し離れた町のホテルでささやかな披露宴を催した。
その日の朝、70歳を過ぎた私の母親から小さな紙切れを渡された。
無造作に四つ折りにされたその紙切れには、
「良恒 おめでとう おかちゃん(母のことを私はそう呼んでいた)はほんとうに うれしいです」
と、マジックペンを使い、大きな文字で書かれていた。
*
大正10年生まれの母親は10人兄姉の上から5人目で、子どものころは生活が苦しく、両親を助けるという、その時代ならではの口実のもと、ようは口減らしのため、いくつもの家に奉公に出され、遠くは神戸の織物屋まで行ったと聞いている。
その仕事は子守、掃除、洗濯、台所などなんでもさせられた。いつも几帳面で一生懸命だった母親は奉公先にも大事にされ、私が長じてからも年賀状だけはやり取りしていたようだ。
そのなかでも、広島から神戸の奉公先に仕事に来ていたおばさんにとてもかわいがられたことが忘れらず、死ぬまでに一度会いたいとよく言っていた。そこで私は、長じてから初めての新幹線に乗り、母親を広島のその人の家まで連れて行ったことを今も覚えている。
そんな母親がただ一つ後悔の思いを口にするのは、満足に小学校にも行かせてもらえなかったことだ。
文字を書くときはいつも私たち子どもに頼み、それを見ながら独学である程度字を書けるようになったものの、ほとんどがひらがなで、書ける漢字は子どもの名前と名字ぐらいだったように思う。件の年賀状も私たち子どもに書かせていた。
*
その母親が私の2度目の結婚の朝、小さな紙切れで、精一杯のよろこびを伝えてくれたのだ。
それを読んだとき、母親はそれまで何も言わなかったけれど、三男の私の半生が少なからず不憫(ふびん)でならなかったのだろう。
そういう心配をかけ続けてきたことに、私は胸が締めつけられた。
■半生は二人で生きる
披露宴のお開きで、「温かいご祝福ありがとうございました。今までいろいろありましたが、これからの残りの半生は彼女と、ともに生きていきます」と、彼女への誓いの思いを込め、お礼のあいさつをした。
私は二人で生きる幸せを実感した。
それまでの私の経験がそのことをいっそう増幅してくれたと思っている。
それは、ちょっとした買い物に行けることの幸せ。
少し遠出をして外食できることの幸せ。
言い合いできる相手がいることの幸せ。
一緒に講演旅行に行けることの幸せ。
安心して元気に働けることの幸せ。
一人ではそれは侘びしいものだ。
さらにはその後、近くの特別養護施設でヘルパーとして働いていた長女が突然退職し、
「あたし高野山の尼僧学院へ行って、坊さんになる」と言って、尼さんになってくれたのだ。そして今、お寺を手伝ってくれている。
幸せの実感とともに、思いもしなかった長女の変身は、本当にありがたいと思った。
合掌
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7月からのシーズン3の読み聞かせ法話の本は
2009年に出版した「田舎坊主の愛別離苦」です。
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