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私が館長就任以来、ずっと公民館協力委員で、地域の体育委員として惜しみなく協力してくれた理解者Mさんを忘れることができない。
Mさんは公民館と関わり深い方の息子さんで、家は標高500メートルほどの紀ノ川を遥か眼下に望む旧高野街道の急峻な道すがらにある。かつては、この家の名前の由来とも考えられる、高野参りのための茶屋があった場所でもあり、晴れた日には遠く紀ノ川河口の向こうに淡路島を望むことができるところに家がある。
Mさんが小学生のころ山の麓にある小学校に行くのはいいが、帰りは胸突き八丁の山登りをしなければならないため、冬の帰宅時間には薄暗くなっていることもあったと笑って話していた。でも胸突き八丁の帰り道は、足が鍛えられるという利点もあったそうである。
昔からこの集落の子どもたちは脚力が強く、足の速い生徒が多かったことがその証だろう。
Mさんは長じて地元の郵便局に就職し、重要な役職を担うようになったころ、郵政民営化が打ち出されると同時に脱サラし、家業の農業を継がれた。Mさんは運動能力に優れていて、とりわけ地域の活動には進んで参加し、常に中心となるリーダー的な存在であった。
*
彼は5地区一斉の大運動会の実行委員会の中でも、私たちの企画を理解し、消極的な意見や利己的な意見、さらには反対意見に対し、諄々(じゆんじゆん)と諭(さと)しながらうまくまとめてくれたのである。
公民館事業のなかで運動会を開催するとなると、一番の問題は開催時期である。
4月から7月はじめまでは役員の改選と各団体の総会が重なるため無理。運動会と言えば9月から10月にかけての秋だが、この時期は学校の運動会・遠足などの行事と農繁期が重なるため無理。11月は町の文化祭があるため無理。12月から1月は無理。2月には文化祭フェスタがあるため無理。3月は地域の公民館文化祭があるため無理。そして月に4回しかない日曜日開催が基本だ。空いているのは8月だけ。しかし8月は館長の私がお盆で忙しい。
となると結局できる時はないことになってしまった。
そこで私が提案したのは結局、8月の第1日曜日。お盆の段取りを早めに片付ければ、この日には開催できると判断し、会議を招集し、役員に資料を配り、委員の意見を求めた。
私としては夏の暑さを考えて、午前中に全てのプログラムを終了し、そのあとは農協の総合選果場前の屋根付き大広場で、参加者全員でお昼の弁当を食べるというものであった。
たぶん反対意見が大勢を占めることはないだろうと、高をくくっていた。
しかし、昔からこの地は温州(うんしゆう)みかんの産地だったが、最近はみかんの値が下がったため、それに対処する形で生産物が多様化、多くの果物が栽培されるようになった。そのなかには夏果物の王様ともいえる桃の栽培農家も多くなり、お盆前のこの時期は高級白桃の取り入れ時期と重なり協力できない家が多いという意見が出されたのである。
たしかに桃農家にとって一番大事な時期だ。
会議の議長として困っているとき、Mさんが、
「今までは野球をできる若い者しか参加できなかったけど、館長さんが計画していることは大事なことやと思うで。こんな田舎でも核家族になって、近所の人の顔を知らんことも再々ある時代になってきてる。子どもから年寄りまで全員が無理なく参加できて、そのあと全参加者が一堂に会して肩を寄せ合って弁当を食べるというのもええんとちがうかな。桃生産者にとって大事な時やというのは分かるけど、なんとか協力してくれへんかな。忙しいと思うけど。昼まで雨やったと思うて、いっぺんやってみたらどうかな。ほかの時期でできるときがあればいいんやけど、どう考えてもないんやから。館長さんも施餓鬼会やお盆の準備で忙しいなか都合つけてくれたんやから」
と、この地域に必要な事業であることを訴えながら、主に桃農家の委員たちを説得してくれ、開催することができたのである。
*
その後、私が館長を退任したあとも30年間、この運動会は引き継がれ、今年も開催されている。
子どもは子どものゲームがあり、高齢者はのんびりゲートボールリレーがあり、若者は対抗リレーがある。幼・青・壮・老の男・女が緩やかに参加し、出場できる村の公民館運動会。
毎年招集される実行委員会では必ずといっていいほど、八月という開催時期が問題になるのだが、この運動会がこれほど続いている理由は、単純に「やってみれば楽しい」のだ。
Mさんの後押しがなければ、この運動会は開かれていなかっただろうし、こんなに長く続いてはいなかったと思う。
しかし、私のよき理解者であったMさん、地域のリーダーとしてなくてはならない大切な人は、満62歳という若さで病魔の冒されるところとなり早逝された。
ーご家族に贈った讃嘆文ー
Mさんの葬儀の際、私はご遺族に次のような讃嘆文を贈った。
昭和平成の御世を数々の苦労で乗り越え、
家門隆昌はひとえに故人の努力の賜でありました。
故人は長く郵便局に勤務され重要職を務められ、
その後家業の農業を営まれつつも、
加えて数々の社会貢献を成し遂げられました。
故人はその人柄たるや聡明かつ智慧に満ち、
勤務の傍らも社会教育、文化活動に情熱を傾け、
その功績は他の模範とするところであります。
されど悲しい哉、晩年は病魔の冒すところとなり、
60有3歳を一期として天は齢を加さず
兜卒浄土へと往生されたのであります。
この意に鑑み、院号を贈ります。
瑞宝山不動寺 森田良恒
合掌
・・・・・・・・・・・・・・・
7月からのシーズン3の読み聞かせ法話の本は
2009年に出版した「田舎坊主の愛別離苦」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
田舎坊主シリーズ
「田舎坊主の合掌」https://amzn.to/3BTVafF
各ネット書店、全国の主要書店で発売中です。
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電子書籍版は
・アマゾン(Amazon Kindleストア)
・ラクテン(楽天Kobo電子書籍ストア)
にて販売されています
私が館長就任以来、ずっと公民館協力委員で、地域の体育委員として惜しみなく協力してくれた理解者Mさんを忘れることができない。
Mさんは公民館と関わり深い方の息子さんで、家は標高500メートルほどの紀ノ川を遥か眼下に望む旧高野街道の急峻な道すがらにある。かつては、この家の名前の由来とも考えられる、高野参りのための茶屋があった場所でもあり、晴れた日には遠く紀ノ川河口の向こうに淡路島を望むことができるところに家がある。
Mさんが小学生のころ山の麓にある小学校に行くのはいいが、帰りは胸突き八丁の山登りをしなければならないため、冬の帰宅時間には薄暗くなっていることもあったと笑って話していた。でも胸突き八丁の帰り道は、足が鍛えられるという利点もあったそうである。
昔からこの集落の子どもたちは脚力が強く、足の速い生徒が多かったことがその証だろう。
Mさんは長じて地元の郵便局に就職し、重要な役職を担うようになったころ、郵政民営化が打ち出されると同時に脱サラし、家業の農業を継がれた。Mさんは運動能力に優れていて、とりわけ地域の活動には進んで参加し、常に中心となるリーダー的な存在であった。
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彼は5地区一斉の大運動会の実行委員会の中でも、私たちの企画を理解し、消極的な意見や利己的な意見、さらには反対意見に対し、諄々(じゆんじゆん)と諭(さと)しながらうまくまとめてくれたのである。
公民館事業のなかで運動会を開催するとなると、一番の問題は開催時期である。
4月から7月はじめまでは役員の改選と各団体の総会が重なるため無理。運動会と言えば9月から10月にかけての秋だが、この時期は学校の運動会・遠足などの行事と農繁期が重なるため無理。11月は町の文化祭があるため無理。12月から1月は無理。2月には文化祭フェスタがあるため無理。3月は地域の公民館文化祭があるため無理。そして月に4回しかない日曜日開催が基本だ。空いているのは8月だけ。しかし8月は館長の私がお盆で忙しい。
となると結局できる時はないことになってしまった。
そこで私が提案したのは結局、8月の第1日曜日。お盆の段取りを早めに片付ければ、この日には開催できると判断し、会議を招集し、役員に資料を配り、委員の意見を求めた。
私としては夏の暑さを考えて、午前中に全てのプログラムを終了し、そのあとは農協の総合選果場前の屋根付き大広場で、参加者全員でお昼の弁当を食べるというものであった。
たぶん反対意見が大勢を占めることはないだろうと、高をくくっていた。
しかし、昔からこの地は温州(うんしゆう)みかんの産地だったが、最近はみかんの値が下がったため、それに対処する形で生産物が多様化、多くの果物が栽培されるようになった。そのなかには夏果物の王様ともいえる桃の栽培農家も多くなり、お盆前のこの時期は高級白桃の取り入れ時期と重なり協力できない家が多いという意見が出されたのである。
たしかに桃農家にとって一番大事な時期だ。
会議の議長として困っているとき、Mさんが、
「今までは野球をできる若い者しか参加できなかったけど、館長さんが計画していることは大事なことやと思うで。こんな田舎でも核家族になって、近所の人の顔を知らんことも再々ある時代になってきてる。子どもから年寄りまで全員が無理なく参加できて、そのあと全参加者が一堂に会して肩を寄せ合って弁当を食べるというのもええんとちがうかな。桃生産者にとって大事な時やというのは分かるけど、なんとか協力してくれへんかな。忙しいと思うけど。昼まで雨やったと思うて、いっぺんやってみたらどうかな。ほかの時期でできるときがあればいいんやけど、どう考えてもないんやから。館長さんも施餓鬼会やお盆の準備で忙しいなか都合つけてくれたんやから」
と、この地域に必要な事業であることを訴えながら、主に桃農家の委員たちを説得してくれ、開催することができたのである。
*
その後、私が館長を退任したあとも30年間、この運動会は引き継がれ、今年も開催されている。
子どもは子どものゲームがあり、高齢者はのんびりゲートボールリレーがあり、若者は対抗リレーがある。幼・青・壮・老の男・女が緩やかに参加し、出場できる村の公民館運動会。
毎年招集される実行委員会では必ずといっていいほど、八月という開催時期が問題になるのだが、この運動会がこれほど続いている理由は、単純に「やってみれば楽しい」のだ。
Mさんの後押しがなければ、この運動会は開かれていなかっただろうし、こんなに長く続いてはいなかったと思う。
しかし、私のよき理解者であったMさん、地域のリーダーとしてなくてはならない大切な人は、満62歳という若さで病魔の冒されるところとなり早逝された。
ーご家族に贈った讃嘆文ー
Mさんの葬儀の際、私はご遺族に次のような讃嘆文を贈った。
昭和平成の御世を数々の苦労で乗り越え、
家門隆昌はひとえに故人の努力の賜でありました。
故人は長く郵便局に勤務され重要職を務められ、
その後家業の農業を営まれつつも、
加えて数々の社会貢献を成し遂げられました。
故人はその人柄たるや聡明かつ智慧に満ち、
勤務の傍らも社会教育、文化活動に情熱を傾け、
その功績は他の模範とするところであります。
されど悲しい哉、晩年は病魔の冒すところとなり、
60有3歳を一期として天は齢を加さず
兜卒浄土へと往生されたのであります。
この意に鑑み、院号を贈ります。
瑞宝山不動寺 森田良恒
合掌
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7月からのシーズン3の読み聞かせ法話の本は
2009年に出版した「田舎坊主の愛別離苦」です。
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