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N師は真言宗山階(やましな)派の末寺の住職である。身の丈一五〇センチあまり。小柄な体格で、外出はいつもソフトフェルトの中折れ帽をかぶり、法衣や和服の上にウールのオーバーを羽織った、おしゃれな坊さんだ。
どこに行くにもその姿で大黒さん(住職の妻のこと)と一緒だから、どこで出会ってもN師は一目で分かるのだ。
N師の寺の檀家は和歌山県かつらぎ山系の山あいの麓に散在し、バイクも自動車も乗らないN師は、高低差四百メートルもある急峻な山道を、法務の下駄履きで、日々の日行や春秋の彼岸参り、真夏のお盆の棚経と一人で勤めている。
長く土葬埋葬の習慣のあるこの土地には、山の頂上付近に埋葬墓地がある。たぶんここで生まれ育った昔の人々は、村で一番景色のいいところに共同の墓地を構えたのだろう。そこからは南に高野山を望むことができ、西を望めば紀ノ川の河口を眼下に見渡すことができる。さぞかし西方極楽浄土での安寧は、ここに埋葬されるものたちのいわば特権として享受できることを信じて、ここを密厳土としたのではないかと、その場所に立ってみてつくづくそう思うのである。
今でも墓のことを「山」ということがあるが、山でなければならない意味がここにあるような気がするのだ。
N師は法事に招かれるとまず位牌やお膳、ロウソク立て、線香立て、供花が飾られた当家の床の間で三十分ほど経をあげ、そのあと施主と法事参列者全員で山の上にあるその墓へ参ることになる。
田舎での墓参りは原則「歩き」で「本道(ほんみち)」と決まっている。本道とは古くから墓参りに利用している道のことであり、舗装され車が通る広い道のことではない。
そんな道を夏には玉の汗を拭きながら上ると、法衣の下の白衣はもう汗でぐっしょり濡れてしまう。山の涼風はお大師さんの中啓(僧の持つ少し開き気味の扇子)の風のようでありがたい。
冬は逆に山に着けば体は温まっているから、むしろ寒さは感じない。とはいうもののこれも程度もので、特別風通しのいい場所だけに、寒中は麓から吹き上げる風に法衣の裾は舞い上がり、白いものがちらつきはじめるとお経をあげるN師の声も寒行さながらの絞り声となる。
お墓でのお勤めが終わると口々に亡き人の話や、久しぶりに田舎に帰ってきた親戚のものたちは日ごろの無沙汰を話題にしながら、施主(せしゆ)の家までのんびりと帰るのである。
ここからが、施主の檀家さんや親戚の人たちにとっても、心置きなくくつろげる法事の宴がはじまるのである。
この地ではN師が同席してくれることを当然のように考えているし、N師にとっても斎(とき)というお膳の施しを受けないと施主に失礼と感じている。そしてこの場、この時間が法話の席でもある。
N師は本当に日本酒が好きなお坊さんだ。といっても決して酒が強いというわけでもなく、酒癖が悪いわけでもない。ほんとうにおいしそうに呑むのだ。そして程ほどに酔いが回ってくると、明るく、ほんとうに楽しそうに笑い、その声が宴席の雰囲気を一層明るくしていく。
それは、法事であってもしっかり供養した後は楽しくなければいけないとの信念から来る、N師の坊主としての哲学でもある。
この地では葬式の始まる前にも般若湯(燗した日本酒)が振る舞われる。
私も助法僧として手伝いに行ったとき、
「後ろから見られて体が揺れなかったら、大丈夫。呑んで呑んで」
と、N師によくお酒をすすめられた。
田舎においては供養は「食うよう」で、坊主に斎(とき)を施すことはイコール仏供養になるのである。
本来、供養の「養」という字は、「羊」偏に「食」と書いたそうだ。羊を食べること、その様子をお供えすることが供養の意味でもあったのかと考えると、あながち「供養は食うよう」も間違いではなさそうだ。
長くこの山あいで檀家寺の住職として勤めてきたN師にも、一つ不安があった。
それは、この土地柄で足腰は心配ないのだが、目が不自由になってきたこと。それに伴って寺の跡継ぎがいないなか、いつまで檀家参りができるかということである。
N師には三人のご子息がいるが、それぞれ所帯を持ち、田舎を離れ、一般企業に就職し、寺とは無縁の人生を歩んでいるのだ。彼らはそれぞれの職場において重要な役職を担っている、言わば働き盛りだ。今さら寺を継いでくれとはいえないし、寺の仕事は決して生活を保障できるものでもない。
しかし檀家は自分を必要としているし、自分しかいない。毎晩、楽しみの晩酌をしていてもふと不安がよぎるのであった。
合掌
・・・・・・・・・・・・・・・
7月からのシーズン3の読み聞かせ法話の本は
2009年に出版した「田舎坊主の愛別離苦」です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
田舎坊主シリーズ
「田舎坊主の合掌」https://amzn.to/3BTVafF
各ネット書店、全国の主要書店で発売中です。
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N師は真言宗山階(やましな)派の末寺の住職である。身の丈一五〇センチあまり。小柄な体格で、外出はいつもソフトフェルトの中折れ帽をかぶり、法衣や和服の上にウールのオーバーを羽織った、おしゃれな坊さんだ。
どこに行くにもその姿で大黒さん(住職の妻のこと)と一緒だから、どこで出会ってもN師は一目で分かるのだ。
N師の寺の檀家は和歌山県かつらぎ山系の山あいの麓に散在し、バイクも自動車も乗らないN師は、高低差四百メートルもある急峻な山道を、法務の下駄履きで、日々の日行や春秋の彼岸参り、真夏のお盆の棚経と一人で勤めている。
長く土葬埋葬の習慣のあるこの土地には、山の頂上付近に埋葬墓地がある。たぶんここで生まれ育った昔の人々は、村で一番景色のいいところに共同の墓地を構えたのだろう。そこからは南に高野山を望むことができ、西を望めば紀ノ川の河口を眼下に見渡すことができる。さぞかし西方極楽浄土での安寧は、ここに埋葬されるものたちのいわば特権として享受できることを信じて、ここを密厳土としたのではないかと、その場所に立ってみてつくづくそう思うのである。
今でも墓のことを「山」ということがあるが、山でなければならない意味がここにあるような気がするのだ。
N師は法事に招かれるとまず位牌やお膳、ロウソク立て、線香立て、供花が飾られた当家の床の間で三十分ほど経をあげ、そのあと施主と法事参列者全員で山の上にあるその墓へ参ることになる。
田舎での墓参りは原則「歩き」で「本道(ほんみち)」と決まっている。本道とは古くから墓参りに利用している道のことであり、舗装され車が通る広い道のことではない。
そんな道を夏には玉の汗を拭きながら上ると、法衣の下の白衣はもう汗でぐっしょり濡れてしまう。山の涼風はお大師さんの中啓(僧の持つ少し開き気味の扇子)の風のようでありがたい。
冬は逆に山に着けば体は温まっているから、むしろ寒さは感じない。とはいうもののこれも程度もので、特別風通しのいい場所だけに、寒中は麓から吹き上げる風に法衣の裾は舞い上がり、白いものがちらつきはじめるとお経をあげるN師の声も寒行さながらの絞り声となる。
お墓でのお勤めが終わると口々に亡き人の話や、久しぶりに田舎に帰ってきた親戚のものたちは日ごろの無沙汰を話題にしながら、施主(せしゆ)の家までのんびりと帰るのである。
ここからが、施主の檀家さんや親戚の人たちにとっても、心置きなくくつろげる法事の宴がはじまるのである。
この地ではN師が同席してくれることを当然のように考えているし、N師にとっても斎(とき)というお膳の施しを受けないと施主に失礼と感じている。そしてこの場、この時間が法話の席でもある。
N師は本当に日本酒が好きなお坊さんだ。といっても決して酒が強いというわけでもなく、酒癖が悪いわけでもない。ほんとうにおいしそうに呑むのだ。そして程ほどに酔いが回ってくると、明るく、ほんとうに楽しそうに笑い、その声が宴席の雰囲気を一層明るくしていく。
それは、法事であってもしっかり供養した後は楽しくなければいけないとの信念から来る、N師の坊主としての哲学でもある。
この地では葬式の始まる前にも般若湯(燗した日本酒)が振る舞われる。
私も助法僧として手伝いに行ったとき、
「後ろから見られて体が揺れなかったら、大丈夫。呑んで呑んで」
と、N師によくお酒をすすめられた。
田舎においては供養は「食うよう」で、坊主に斎(とき)を施すことはイコール仏供養になるのである。
本来、供養の「養」という字は、「羊」偏に「食」と書いたそうだ。羊を食べること、その様子をお供えすることが供養の意味でもあったのかと考えると、あながち「供養は食うよう」も間違いではなさそうだ。
長くこの山あいで檀家寺の住職として勤めてきたN師にも、一つ不安があった。
それは、この土地柄で足腰は心配ないのだが、目が不自由になってきたこと。それに伴って寺の跡継ぎがいないなか、いつまで檀家参りができるかということである。
N師には三人のご子息がいるが、それぞれ所帯を持ち、田舎を離れ、一般企業に就職し、寺とは無縁の人生を歩んでいるのだ。彼らはそれぞれの職場において重要な役職を担っている、言わば働き盛りだ。今さら寺を継いでくれとはいえないし、寺の仕事は決して生活を保障できるものでもない。
しかし檀家は自分を必要としているし、自分しかいない。毎晩、楽しみの晩酌をしていてもふと不安がよぎるのであった。
合掌
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2009年に出版した「田舎坊主の愛別離苦」です。
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