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■妻の旅立ち
2017月6月5日
10:00大便あり。わしが妻の毛染めをする。
2017月6月7日
K病院外来通院。朝食べるのが遅くなって薬が効きにくく、昼前の薬も遅れて、そのあとすべてジスキネジア(不随意運動)がでて調子は今までで最悪。夕食もまともに食べられず。
2017月6月8日
16:00大便あり。今日はジスキネジアなしでありがたい。
2017月6月9日
昨夜一二時大便あり。今日二人の結婚記念日でケーキを買ってくる。
2017月6月10日
妻をドライブに、いずみの里へ。帰りに串柿の里でパンを買う。ソフトクリームにかぶりつく笑顔は最高やった。退院できて、おいしいものを食べられてほんとうによかった。
2017月6月12日
17:00大便あり
2017月6月14日
橋本のソバ屋へお昼を食べに行く。帰りに道の駅へ行って仏壇の花を買う。
2017月6月16日
妻、訪問看護で摘便の最中に意識がなくなり救急でN病院に入院。
16:00、デイから帰るといつものように薬を飲んでお菓子を食べた。少し薬が早く切れているみたいだったので、早く座るようにせかす。
16:00過ぎ、訪問看護師二人がみえてバイタルを測るときにジスキネジアがはじまり、そのまま部屋に入り摘便を始める。10分ほどして訪問看護師さんが妻の名前を大声で呼ぶので、部屋をのぞくと訪問看護師から「お父さん救急車呼んで!」といわれ、119に電話する。呼吸もなく心停止の状態。119番からは「心臓マッサージをしてください」ということで、蘇生マッサージをしているとすぐ救急車到着。
薬と保険証をもって同乗し、N病院へ。救急室に入って30分あまりで「心臓も呼吸も安定してます」といわれる。ただ意識がないので入院となる。
その夜、持参の薬を飲むもジスキネジアが強く一睡もできず、付き添う。
2017月6月17日
絶食で薬は通常通りの量を鼻から注入。やはりジスキネジアがひどい。昼過ぎみんなで妻の足のマッサージをしてくれている間に六階の食堂に食べに行く。妻が運ばれてから初めての食事。
夜、担当医より「薬を減量してようすを見ます」ということで午前6時から三時間ごとのメネシット一錠とコムタンに決まる。19:00ごろ一度帰ってシャワーをして着替えて病院に戻るが、わしの背中の筋肉が痛み出した。
2017月6月18日
6:00から投薬再開。薬が効かないのでジスキネジアも出ない。ただ心臓マッサージのため筋肉が壊れているということで高熱と褐色尿が続く。幸い、朝から少ししゃべれるようになる。意識は順調に快復を見せてくれている。がんばれ。
2017月6月19日
体温も下がり始めるし、尿の色も薄くなってきた。嚥下リハビリをしてみて呑み込みを調べると主治医。
しゃべれるようになると、水を飲みたい、コーラを飲みたい、抑制ベルトを外せとうるさい。
午前9時の服薬のあと11時過ぎからジスキネジアが出る。12時の服薬のあと午後2時20分頃からジスキネジアきつく現れる。やはり薬が切れるころのジスキネジアが強い。わしは妻が入院してからはじめて帰って家で寝る。
2017月6月21日
体調が落ち着いてくればK病院へ転院とのこと。
2017月7月5日
K病院へ転院。嚥下リハビリを中心に体力回復のための入院計画をいただく。
2017月8月16日
お盆が終わって一段落したので妻はK病院を退院。退院した妻は次の日から常食をむせることなく食べ、薬の調整もうまくいき日常生活を送れるようになっていました。家に帰れたことの喜びが薬になったのでしょう。
2017月8月17日
「暑いし体力もまだ回復してないから外に出ないように」と言うのに、ヒールの靴を履いてるのを見て「なに履いてんねや」と叱る。妻は「高くない」と言い張り、花が大好きな妻は庭の花をいじりだした。
この日、訪問看護で摘便。万が一のため吸引器を貸してくれる。
2017月8月20日
退院後初めての10:00から訪問入浴。直前までジスキネジアあるが、10:20頃薬効ありで順調に入浴する。40CC浣腸、13:30大便あり。
2017月8月21日
楽しみにしていたデイサービスを開始する。7:20薬。8:20着替え順調。16:00順調に帰ってくる。
体力がないのに暑い外に出たがるので困る。
2017月8月22日
退院後初訪問リハビリ。
2017月8月23日
K病院外来通院。先生から「元気になってよかったねえ」といわれ、妻も笑顔でお礼を言う。廊下ではお世話になったリハビリの先生とも手を振って笑顔であいさつをしました。
帰りに中華料理を食べたいというのでお店に行くと、椅子席が満席だったので帰ろうとするとお店の人が座敷をすすめてくれた。
わしは「座敷に座れないんです」というと、椅子席の若者が代わってくれました。妻はそこで好みのものを「美味しい」といっぱいいただきました。
帰り車中で「一緒に病院に来られたこと、席を譲ってくれたやさしい人たちに会えたこと、お店で美味しいものを食べられたこと、もちろん自分の口で、そして二人で自分の家に帰れること、こんな幸せはないなあ、ありがたいなあ」と話し、普通であること、あたりまえであることの幸せを感じながら、帰宅しました。
2017月8月24日
今日は地蔵盆。朝からデイサービス。
デイに行くときには、看護師さんから、顔色や唇の色を見るため化粧はアカンといわれているのに、もともとおしゃれ好きな妻は化粧していくと言って聞かない。頑固なもんや!
そんなデイから帰ってきて、大好きなおかきを食べ水分のwしっかり採ってから訪問看護師に摘便の最中、突然に心肺停止したのです。
わしは看護師に「また心臓が止まったんですか?」と聞くと「止まってます。心臓マッサージしますか?」と聞かれ、少し間を置いて「・・・もう静かに逝かせてやって下さい」と答えました。
それは、もし心臓マッサージを施して二ヶ月前のように蘇生したとしても、また救急車で病院に運ばれ点滴、絶食、長期入院という状況を妻に与えることは私には耐えがたいことだったのです。
むしろ8月16日に退院してからの8日間の穏やかな幸せの記憶のまま、しずかに逝かせたかったのです。
ほんとうにつらい決断だった。
私は妻の手をにぎり顔を見つめながら、心の中では「これでいいのか?蘇生マッサージした方がいいのか?」という葛藤がありました。私は「許してくれよ、でも、これでよかったんか?」と心の中で問い続けました。しかし、まるで私を許してくれているかのように、妻の最期は穏やかな顔をしていました。
この日は8月24日、地蔵盆です。きっと自らパーキンソン病になってから建立した「おたすけ地蔵尊」の懐に抱かれているのだと思いました。
合掌
■妻の旅立ち
2017月6月5日
10:00大便あり。わしが妻の毛染めをする。
2017月6月7日
K病院外来通院。朝食べるのが遅くなって薬が効きにくく、昼前の薬も遅れて、そのあとすべてジスキネジア(不随意運動)がでて調子は今までで最悪。夕食もまともに食べられず。
2017月6月8日
16:00大便あり。今日はジスキネジアなしでありがたい。
2017月6月9日
昨夜一二時大便あり。今日二人の結婚記念日でケーキを買ってくる。
2017月6月10日
妻をドライブに、いずみの里へ。帰りに串柿の里でパンを買う。ソフトクリームにかぶりつく笑顔は最高やった。退院できて、おいしいものを食べられてほんとうによかった。
2017月6月12日
17:00大便あり
2017月6月14日
橋本のソバ屋へお昼を食べに行く。帰りに道の駅へ行って仏壇の花を買う。
2017月6月16日
妻、訪問看護で摘便の最中に意識がなくなり救急でN病院に入院。
16:00、デイから帰るといつものように薬を飲んでお菓子を食べた。少し薬が早く切れているみたいだったので、早く座るようにせかす。
16:00過ぎ、訪問看護師二人がみえてバイタルを測るときにジスキネジアがはじまり、そのまま部屋に入り摘便を始める。10分ほどして訪問看護師さんが妻の名前を大声で呼ぶので、部屋をのぞくと訪問看護師から「お父さん救急車呼んで!」といわれ、119に電話する。呼吸もなく心停止の状態。119番からは「心臓マッサージをしてください」ということで、蘇生マッサージをしているとすぐ救急車到着。
薬と保険証をもって同乗し、N病院へ。救急室に入って30分あまりで「心臓も呼吸も安定してます」といわれる。ただ意識がないので入院となる。
その夜、持参の薬を飲むもジスキネジアが強く一睡もできず、付き添う。
2017月6月17日
絶食で薬は通常通りの量を鼻から注入。やはりジスキネジアがひどい。昼過ぎみんなで妻の足のマッサージをしてくれている間に六階の食堂に食べに行く。妻が運ばれてから初めての食事。
夜、担当医より「薬を減量してようすを見ます」ということで午前6時から三時間ごとのメネシット一錠とコムタンに決まる。19:00ごろ一度帰ってシャワーをして着替えて病院に戻るが、わしの背中の筋肉が痛み出した。
2017月6月18日
6:00から投薬再開。薬が効かないのでジスキネジアも出ない。ただ心臓マッサージのため筋肉が壊れているということで高熱と褐色尿が続く。幸い、朝から少ししゃべれるようになる。意識は順調に快復を見せてくれている。がんばれ。
2017月6月19日
体温も下がり始めるし、尿の色も薄くなってきた。嚥下リハビリをしてみて呑み込みを調べると主治医。
しゃべれるようになると、水を飲みたい、コーラを飲みたい、抑制ベルトを外せとうるさい。
午前9時の服薬のあと11時過ぎからジスキネジアが出る。12時の服薬のあと午後2時20分頃からジスキネジアきつく現れる。やはり薬が切れるころのジスキネジアが強い。わしは妻が入院してからはじめて帰って家で寝る。
2017月6月21日
体調が落ち着いてくればK病院へ転院とのこと。
2017月7月5日
K病院へ転院。嚥下リハビリを中心に体力回復のための入院計画をいただく。
2017月8月16日
お盆が終わって一段落したので妻はK病院を退院。退院した妻は次の日から常食をむせることなく食べ、薬の調整もうまくいき日常生活を送れるようになっていました。家に帰れたことの喜びが薬になったのでしょう。
2017月8月17日
「暑いし体力もまだ回復してないから外に出ないように」と言うのに、ヒールの靴を履いてるのを見て「なに履いてんねや」と叱る。妻は「高くない」と言い張り、花が大好きな妻は庭の花をいじりだした。
この日、訪問看護で摘便。万が一のため吸引器を貸してくれる。
2017月8月20日
退院後初めての10:00から訪問入浴。直前までジスキネジアあるが、10:20頃薬効ありで順調に入浴する。40CC浣腸、13:30大便あり。
2017月8月21日
楽しみにしていたデイサービスを開始する。7:20薬。8:20着替え順調。16:00順調に帰ってくる。
体力がないのに暑い外に出たがるので困る。
2017月8月22日
退院後初訪問リハビリ。
2017月8月23日
K病院外来通院。先生から「元気になってよかったねえ」といわれ、妻も笑顔でお礼を言う。廊下ではお世話になったリハビリの先生とも手を振って笑顔であいさつをしました。
帰りに中華料理を食べたいというのでお店に行くと、椅子席が満席だったので帰ろうとするとお店の人が座敷をすすめてくれた。
わしは「座敷に座れないんです」というと、椅子席の若者が代わってくれました。妻はそこで好みのものを「美味しい」といっぱいいただきました。
帰り車中で「一緒に病院に来られたこと、席を譲ってくれたやさしい人たちに会えたこと、お店で美味しいものを食べられたこと、もちろん自分の口で、そして二人で自分の家に帰れること、こんな幸せはないなあ、ありがたいなあ」と話し、普通であること、あたりまえであることの幸せを感じながら、帰宅しました。
2017月8月24日
今日は地蔵盆。朝からデイサービス。
デイに行くときには、看護師さんから、顔色や唇の色を見るため化粧はアカンといわれているのに、もともとおしゃれ好きな妻は化粧していくと言って聞かない。頑固なもんや!
そんなデイから帰ってきて、大好きなおかきを食べ水分のwしっかり採ってから訪問看護師に摘便の最中、突然に心肺停止したのです。
わしは看護師に「また心臓が止まったんですか?」と聞くと「止まってます。心臓マッサージしますか?」と聞かれ、少し間を置いて「・・・もう静かに逝かせてやって下さい」と答えました。
それは、もし心臓マッサージを施して二ヶ月前のように蘇生したとしても、また救急車で病院に運ばれ点滴、絶食、長期入院という状況を妻に与えることは私には耐えがたいことだったのです。
むしろ8月16日に退院してからの8日間の穏やかな幸せの記憶のまま、しずかに逝かせたかったのです。
ほんとうにつらい決断だった。
私は妻の手をにぎり顔を見つめながら、心の中では「これでいいのか?蘇生マッサージした方がいいのか?」という葛藤がありました。私は「許してくれよ、でも、これでよかったんか?」と心の中で問い続けました。しかし、まるで私を許してくれているかのように、妻の最期は穏やかな顔をしていました。
この日は8月24日、地蔵盆です。きっと自らパーキンソン病になってから建立した「おたすけ地蔵尊」の懐に抱かれているのだと思いました。
合掌