田舎坊主の読み聞かせ法話

田舎坊主の七転八倒<高野山へー救いようのない小坊主ー>


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私は、坊主には絶対なりたくないと思っていました。

男兄弟3人の末っ子で、普通高校に行き、普通大学に行き、普通のサラリーマンになると思っていたのです。

しかし兄2人が早々に普通高校、県外の大学に行き、普通のサラリーマンになったため、あわてた父親は私を高野山高校に入れようと中学校の先生に協力を求め、説得にかかったのです。

しかし、私の坊主への拒否反応はその話があった中学3年生の2学期の終わりごろから現れ、その後のテストというテストはすべて白紙で提出し、しまいには担任から怒られるだけではなく、職員室に連れていかれた上、職員会議の席ですべての先生に土下座をさせられる羽目と遭いました。

この時のみじめさと悲しさは、私の脳裏から離れることはありませんでした。

しかし、結局、高野山高校を受験することになり、入学試験は1泊2日で高野山の宿坊に宿泊することになっていて、私の説得にあたった先生が付き添ってくれることになりました。

この期に及んでもまだ受験を受け入れることができず、高野山行きの南海電車に乗ったときから体が拒否反応を起こし、電車のなかでなんども吐いてしまったほどです。

あとから気づいたのですが、受験の際宿泊した宿坊が私が高校大学と七年間お世話になる師僧のお寺でした。

そこまで父親は段取りをつけていたのです。

残念ながら、高野山高校に合格してしまい、それとともに師僧の宿坊で小坊主として住み込むことになってしまいました。

入学当初は、はじめての下宿生活で、15歳になったばかりの少年は突然「他人の飯を食う」ことになり、しかも朝早くからの勤行、宿泊客の布団あげ、朝食の配膳、食事中のお味噌汁やご飯のおかわりの賄い、お膳の片づけ、お客さまの見送り、掃除などで強烈なホームシックにかかったこともありました。

当時の私の日記には「おかちゃんの卵焼きが食べたい。足袋を縫ってもらいたい。」などとつづられていました。

お客さまを送り出してやっと自分の朝食をとることができます。

寺に古くからいる執事さんや古老などから食事をとるため、一番若手は最後の方になります。おかずはそれぞれ個別に盛られているわけではないので、どうしてもお味噌汁やおかずは残りわずかになり、ただ漬け物とご飯だけは十分にあったので空腹になることはありませんでした。

このことが良かったのか悪かったのか高校2年生になったころには私の体重は80キロを超えていました。

そしてこのころになると、後輩も入ってきて、それまで猫をかぶっていた私も本性が少しずつ現れてきたというか、反抗の芽が再び頭を持ち上げてきたのです。

昭和42年当時、高野山ではお寺から出るゴミは個別に焼却場へ持っていかなければなりませんでした。軽四貨物車に積み込み先輩と二人一組で運ぶのですが、私はときどき先輩にすすめられて運転をしていました。当然無免許です。

これが私の運転欲に火をつけたのです。

軽四貨物車だけではなく乗用車にも乗ってみたいと思い始め、目をつけたのが住職の自家用車でした。

もちろん車のキーはありませんから作らなければなりません。当時の車のキーは部屋のドアキーなどとよく似ていたので、五寸釘をたたいてつぶせばそれらしきものを作れるような気がしたのです。そうしてできたのが五寸釘キーでした。

お客さんのいない夏の夜、パジャマのまま部屋を抜け出し、住職の車に近づきドアに五寸釘キーを挿しました。ところがドアには鍵がかかっておらず、そのまま開き、あとはエンジンがかかるかどうかです。というより問題はキーが入るかどうかです。

・・・・なんとキーはスムーズに入り、エンジンがかかったのです。

このときの私の心臓は肋骨の隙間からはみ出しそうな鼓動を打っていました。

わたしは静かに寺の門を開け、住職の自家用車を門の外に出し、外から門を閉め、誰にも知られないうちに帰ればいいと奥の院方面へ車を走らせたました。

奥の院入り口の一之橋に近づいたところで1台のパトカーに出会いましたが、まだ自分を探しているとは思わず、取りあえず脇にそれた路地に車を止め、知らん顔をして同級生のいる宿坊に向いました。


ところがすでにこのとき、住職から私が無免許で自家用車を運転して寺を出たと警察に電話が入っていたのです。

そうとも知らず私は、同級生のいる宿坊入り口に着くと、ただ警察官を見るとやはり悪いことをしているという思いから、とっさに宿坊入り口近くの太鼓橋の下に隠れました。するとその太鼓橋の上で、「こちらは高野山警察の○○、車発見。犯人いまだ逃走。橋本署応援頼む・・・」と、無線でやりとりしているではありませんか。

犯人の私はもうパニックです。逃げられません。石垣を這い上りあえなくご用となりました。

高野山警察署では平身低頭ただただ謝るばかりです。


住職は私を破門したいくらだった気持ちをおさえ、

「弟子の行動は私の責任です。どうか寛大なる措置を。どうか穏便に。」と、警察に訴えてくれました。

おかげさまで、私は何のおとがめもなく再び寺の生活に戻ることができたのです。


この一件は私にとって反抗期から抜け出す大きな転機となりました。

救いようのないやんちゃな小坊主も師僧のおかげで少しは心を入れかえ、高野山高校卒業時には高野山真言宗管長賞に次ぐ宗務総長賞という栄誉を賜り、高野山大学へは推薦奨学金もいただくことができました。合掌


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田舎坊主の読み聞かせ法話By 田舎坊主 森田良恒