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平成27年1月28日、初不動の大祭を例年どおり開催しました。
その前日のこと餅まき用のお餅つきの際、私は腰に違和感を覚えました。もともと腰痛の持病はあったものの、いつもとは少し違う痛みなのです。しばらくたてば治るだろうと高をくくっていたのですが、痛みはだんだん強くなり、2月初旬に頼まれていたK町の公民館主催人権講演会には最強の鎮痛解熱剤と自分では思っているボルタレン錠を飲んで痛みを抑えお話しさせてもらいました。九十分間立ってお話しできるのか不安もありましたが無事講演を済ませることができました。
しかし腰の痛みはますます強くなり、2月中頃には車の運転もできなくなって妻の通院には義兄に運転をお願いしなければならないほどになっていました。
妻の通院から2日目、今度は右肩激痛のため右手が急にあがらなくなったのです。早速近くの整形外科でレントゲンを撮ってもらったところ、腰のすべり症と五十肩とのこと、リハビリを開始しました。ところがその2日後、左手中指の付け根の関節が異常に腫れ上がり、まるで左手甲にアンパンをのせたような状態になってしまいました。そしてその後まもなく今度は左手が全くあがらなくなったのです。その痛さたるや、両肩を引きちぎられるのではないかと思われるような痛みで、常に両手をお腹のあたり当てていることしかできないのです。この頃にはすでに食欲もなく、痛みのために寝ることもできず、椅子に座って寝る日が続きました。この間にも妻の介護はしなければなりません。
リハビリを2日続けて2日目の朝、私は39.2度の高熱を出したのです。娘にかかりつけの医院に連れて行ってもらい血液検査をした結果、即入院と言われました。しかし入院するには、まず妻の介護施設への入所を決めることや、私自身が関わっている保護司、患者会、難病相談窓口などへの多くの手続きを済ませなければなりません。私はとにかくあまりの激痛に早く入院したいと思っていましたが、手続きに丸一日かかってしまい、妻の入所を済ませた翌日、やっと公立N病院に入院することができました。
初診は内科で担当はN・T先生でした。来院後すぐ撮ったレントゲン写真を見ながら「多発性関節炎」と病名を教えていただきました。しかしその後念のためMRIとCTを撮りましょうということで、撮影後やっと入院室に案内されました。午前九時過ぎに来院して病室に入れたのは午後2時をまわっていました。
入院後痛み止めはボルタレンの徐放剤に代わりましたが、まったく鎮痛効果なく、あまりの痛さに「座薬がほしい」と、ついつい言っていました。もちろん夜は眠ることができず、翌朝6時の痛み止めの服用時間をまんじりともせずベッドの上で待っていました。
入院2日目の朝、N・T先生から呼び出しがかかり、正確な原因を調べる必要があるため造影剤を入れてもう一度CTを撮るというの話がありました。撮影後、すぐ説明があり私にもCT画像を見せてくれました。そしてN・T先生は病気の原因を確信したという表情で「腸腰筋膿瘍といってお腹の中の筋肉に七~九ミリ程度の膿のかたまりがあります。その菌が全身に回っていて関節に炎症を起こし高熱が出ています。治療法は抗生剤を約1~2ヶ月点滴投与するということになります。抗生剤の届きにくいところなので、じっくり治しましょう。」と話してくれました。
N・T先生は初診時、真剣な目元だけがみえるマスク姿だったのですが、CT画像の説明時にはマスクもなく、時折見せる笑顔は優しく、患者をこれほど安心させてくれる笑顔に、心から「治してもらえる、ありがたい」と思うことができた初めての経験でした。さらに若い女性の看護師さんから「絶対よくなるからね!」と力強く励ましてくれたことが、痛みを乗り越える大きな希望につながりました。
あとで調べてわかったことですが、「腸腰筋膿瘍」という病気はかなりの高齢者で免疫力が著しく低下した状態で発症することが多いそうですが、しかもその膿瘍ー膿のかたまりーは、手の拳一握りぐらいの大きさになって初めて発見されることが多いそうです。私の場合は10ミリにも及ばないきわめて小さな膿のかたまりであったため、同時にかかっている整形外科の専門医からも「よく見つけてもらえた」と私に話してくれるほどでした。
点滴がはじまって6日目の夜、施設で預かっていただいていた妻が救急入院すると連絡が入りました。急な施設入所といつもそばにいる私に連絡が取れず、私の病状もわからないため、状態が不安定となり、肺炎を併発したというのです。私は救急隊員に自分が入院している公立N病院に連れてきてほしいとお願いしましたが、当直医が内科ではなかったため結局他の病院に搬送されることになりました。
妻は私が当初危惧していたとおりの最悪の状態になってしまったのです。しかも妻の肺炎は重症であるため、救急で診ていただいた先生からは「延命措置をするかどうか明日の朝までに返事をください」と言われたと娘から連絡があり、その重症さが想像出来ました。妻は私の顔を見れば少しは精神的にも落ち着くのではないかと思うものの、私は痛みのため、妻に何もできないという思いが交錯し、さらに眠れない夜が続きました。
翌日、主治医のN・T先生に妻が救急で他院に入院したことを相談すると「奥さんの状態が落ち着いたらこちらの病院に転院させることもできるし、病室も空けておくから心配しないように。病院にある地域連携室にはその旨を話して対応してもらうので、大丈夫!大丈夫!」と私の痛い肩にそっと手を置いて優しい笑顔を浮かべ、快く他院に入院した妻の対応と私への励ましの言葉をいただくことができました。そのとき私は思わず熱いものがこみ上げてきて先生に心から手を合わせました。さらにそのあとすぐに看護師長が来てくれ「森田さん大丈夫よ、病室の手配もしたから安心して!」と、さらに私の不安を払拭させようと、病棟のスタッフが心を一つにしてくれていることが手にとるようにわかりました。
私の治療効果は順調にあらわれ、当初1~2ヶ月といわれた入院期間も3週間余りで点滴は終わり、その後は自宅で抗生剤の服用ということで退院のめどが立ってきたため、結局、妻は転院させることなく他院での治療に専念させることにしました。
それにしても、注意深く的確な診断を下していただき、他院に救急入院した妻のことまで親身になって考えていただいた先生に医師の本来の姿を見せていただきました。そして、約一ヶ月続いた激痛を乗り越える勇気をいただいた看護師長や若き女性看護師には「白衣の天使」という柔らかい言葉のニュワンスからは想像出来ない、患者の希望を引き出す強いパワーが存在するのだと確信しました。
私はかつて何度か若き医師や医学生に「医は仁術」とはどういうことか話す機会がありました。結論から言えば「仁術」とは相手(患者)に寄り添うことだということだと思います。この話をするとき、たとえに出すのは「仁」という漢字です。「仁」には慈愛ともいうべき「常に民に寄り添う」という意味があるのです。
長年の患者会活動や難病相談、さらに延べ十病院に及ぶ私の家族の入院経験で感じたことは、医師は「患者に寄り添う心」をまず養われなければならないということです。もちろん医師は医術に長けていなければならないでしょう。でも医師国家試験に通れば万能であるとは言い切れません。むしろ若い医師こそ多くの患者や家族の心に寄り添うことから治療がはじまることを胸に刻んでおいてほしいと思うのです。
私は七転八倒さえできない激痛のなか入院し、幸いにも身をもって医に仁術を具える医師に出会うことができました。私にまたいつか若い医師や医学生に話す機会が訪れることがあるなら、やはり「医は仁術なり」を話していきたいと強く思うのです。
合掌
平成27年1月28日、初不動の大祭を例年どおり開催しました。
その前日のこと餅まき用のお餅つきの際、私は腰に違和感を覚えました。もともと腰痛の持病はあったものの、いつもとは少し違う痛みなのです。しばらくたてば治るだろうと高をくくっていたのですが、痛みはだんだん強くなり、2月初旬に頼まれていたK町の公民館主催人権講演会には最強の鎮痛解熱剤と自分では思っているボルタレン錠を飲んで痛みを抑えお話しさせてもらいました。九十分間立ってお話しできるのか不安もありましたが無事講演を済ませることができました。
しかし腰の痛みはますます強くなり、2月中頃には車の運転もできなくなって妻の通院には義兄に運転をお願いしなければならないほどになっていました。
妻の通院から2日目、今度は右肩激痛のため右手が急にあがらなくなったのです。早速近くの整形外科でレントゲンを撮ってもらったところ、腰のすべり症と五十肩とのこと、リハビリを開始しました。ところがその2日後、左手中指の付け根の関節が異常に腫れ上がり、まるで左手甲にアンパンをのせたような状態になってしまいました。そしてその後まもなく今度は左手が全くあがらなくなったのです。その痛さたるや、両肩を引きちぎられるのではないかと思われるような痛みで、常に両手をお腹のあたり当てていることしかできないのです。この頃にはすでに食欲もなく、痛みのために寝ることもできず、椅子に座って寝る日が続きました。この間にも妻の介護はしなければなりません。
リハビリを2日続けて2日目の朝、私は39.2度の高熱を出したのです。娘にかかりつけの医院に連れて行ってもらい血液検査をした結果、即入院と言われました。しかし入院するには、まず妻の介護施設への入所を決めることや、私自身が関わっている保護司、患者会、難病相談窓口などへの多くの手続きを済ませなければなりません。私はとにかくあまりの激痛に早く入院したいと思っていましたが、手続きに丸一日かかってしまい、妻の入所を済ませた翌日、やっと公立N病院に入院することができました。
初診は内科で担当はN・T先生でした。来院後すぐ撮ったレントゲン写真を見ながら「多発性関節炎」と病名を教えていただきました。しかしその後念のためMRIとCTを撮りましょうということで、撮影後やっと入院室に案内されました。午前九時過ぎに来院して病室に入れたのは午後2時をまわっていました。
入院後痛み止めはボルタレンの徐放剤に代わりましたが、まったく鎮痛効果なく、あまりの痛さに「座薬がほしい」と、ついつい言っていました。もちろん夜は眠ることができず、翌朝6時の痛み止めの服用時間をまんじりともせずベッドの上で待っていました。
入院2日目の朝、N・T先生から呼び出しがかかり、正確な原因を調べる必要があるため造影剤を入れてもう一度CTを撮るというの話がありました。撮影後、すぐ説明があり私にもCT画像を見せてくれました。そしてN・T先生は病気の原因を確信したという表情で「腸腰筋膿瘍といってお腹の中の筋肉に七~九ミリ程度の膿のかたまりがあります。その菌が全身に回っていて関節に炎症を起こし高熱が出ています。治療法は抗生剤を約1~2ヶ月点滴投与するということになります。抗生剤の届きにくいところなので、じっくり治しましょう。」と話してくれました。
N・T先生は初診時、真剣な目元だけがみえるマスク姿だったのですが、CT画像の説明時にはマスクもなく、時折見せる笑顔は優しく、患者をこれほど安心させてくれる笑顔に、心から「治してもらえる、ありがたい」と思うことができた初めての経験でした。さらに若い女性の看護師さんから「絶対よくなるからね!」と力強く励ましてくれたことが、痛みを乗り越える大きな希望につながりました。
あとで調べてわかったことですが、「腸腰筋膿瘍」という病気はかなりの高齢者で免疫力が著しく低下した状態で発症することが多いそうですが、しかもその膿瘍ー膿のかたまりーは、手の拳一握りぐらいの大きさになって初めて発見されることが多いそうです。私の場合は10ミリにも及ばないきわめて小さな膿のかたまりであったため、同時にかかっている整形外科の専門医からも「よく見つけてもらえた」と私に話してくれるほどでした。
点滴がはじまって6日目の夜、施設で預かっていただいていた妻が救急入院すると連絡が入りました。急な施設入所といつもそばにいる私に連絡が取れず、私の病状もわからないため、状態が不安定となり、肺炎を併発したというのです。私は救急隊員に自分が入院している公立N病院に連れてきてほしいとお願いしましたが、当直医が内科ではなかったため結局他の病院に搬送されることになりました。
妻は私が当初危惧していたとおりの最悪の状態になってしまったのです。しかも妻の肺炎は重症であるため、救急で診ていただいた先生からは「延命措置をするかどうか明日の朝までに返事をください」と言われたと娘から連絡があり、その重症さが想像出来ました。妻は私の顔を見れば少しは精神的にも落ち着くのではないかと思うものの、私は痛みのため、妻に何もできないという思いが交錯し、さらに眠れない夜が続きました。
翌日、主治医のN・T先生に妻が救急で他院に入院したことを相談すると「奥さんの状態が落ち着いたらこちらの病院に転院させることもできるし、病室も空けておくから心配しないように。病院にある地域連携室にはその旨を話して対応してもらうので、大丈夫!大丈夫!」と私の痛い肩にそっと手を置いて優しい笑顔を浮かべ、快く他院に入院した妻の対応と私への励ましの言葉をいただくことができました。そのとき私は思わず熱いものがこみ上げてきて先生に心から手を合わせました。さらにそのあとすぐに看護師長が来てくれ「森田さん大丈夫よ、病室の手配もしたから安心して!」と、さらに私の不安を払拭させようと、病棟のスタッフが心を一つにしてくれていることが手にとるようにわかりました。
私の治療効果は順調にあらわれ、当初1~2ヶ月といわれた入院期間も3週間余りで点滴は終わり、その後は自宅で抗生剤の服用ということで退院のめどが立ってきたため、結局、妻は転院させることなく他院での治療に専念させることにしました。
それにしても、注意深く的確な診断を下していただき、他院に救急入院した妻のことまで親身になって考えていただいた先生に医師の本来の姿を見せていただきました。そして、約一ヶ月続いた激痛を乗り越える勇気をいただいた看護師長や若き女性看護師には「白衣の天使」という柔らかい言葉のニュワンスからは想像出来ない、患者の希望を引き出す強いパワーが存在するのだと確信しました。
私はかつて何度か若き医師や医学生に「医は仁術」とはどういうことか話す機会がありました。結論から言えば「仁術」とは相手(患者)に寄り添うことだということだと思います。この話をするとき、たとえに出すのは「仁」という漢字です。「仁」には慈愛ともいうべき「常に民に寄り添う」という意味があるのです。
長年の患者会活動や難病相談、さらに延べ十病院に及ぶ私の家族の入院経験で感じたことは、医師は「患者に寄り添う心」をまず養われなければならないということです。もちろん医師は医術に長けていなければならないでしょう。でも医師国家試験に通れば万能であるとは言い切れません。むしろ若い医師こそ多くの患者や家族の心に寄り添うことから治療がはじまることを胸に刻んでおいてほしいと思うのです。
私は七転八倒さえできない激痛のなか入院し、幸いにも身をもって医に仁術を具える医師に出会うことができました。私にまたいつか若い医師や医学生に話す機会が訪れることがあるなら、やはり「医は仁術なり」を話していきたいと強く思うのです。
合掌