田舎坊主の読み聞かせ法話

田舎坊主の求不得苦<いまを生きる>


Listen Later

私が町役場で社会同和教育指導員という辞令をいただいていた1994年11月のことである。

人権週間にあわせて人権教育講演会を開催することになった。担当者はそれぞれ意見を出して講演者の選定に当たった。

とりわけ人権の話となれば聴衆者も少なく、ときには難解な講義形式で話される先生もあることから町民から敬遠されることが多かったのだ。

私は予算の関係もあるが、人権と言えども楽しく話してくれる人はいないかと考え、最終的にタレントのレオナルド熊さんに決めたのである。

レオナルド熊さんといえば、1980年ごろ、いま名脇役の渋い俳優として活躍する石倉三郎氏とお笑いコンビを組んで大活躍し、ニッカポッカのズボンに腹巻き、チョビ髭をつけた格好でおおいに笑わせてくれた。

レオナルド熊さんに、「講演テーマを何にしましょうか」と聞いたところ、「いまを生きる」にして下さいといわれた。

失礼だと思ったがもう一度聞き直した。テレビに出てくる熊さんと「いまを生きる」がピンと結びつかなかったのだ。やはり、

「『いまを生きる』でお願いします」と、念を押された。

このテーマについては講演会の当日、控え室で次のようなこと聞かせていただいた。


「先月のことなんだけど、医者に行ったら末期の膀胱ガンだっていわれたのよ。いつまでの命かは医者は言わなかったけどさ、あんまり長くないんだよ、っていうかそう思ってるの。ちょうど和歌山に来る前に友だちが『ガン祝いの会』ってのを開いてくれてさ、励ましてもらったっていうか、みんなに笑わせてもらってきたのよ。この講演会の話があったときテーマを何にするか聞かれて、俺にゃあ似あわねえけど『いまを生きる』しかないと思ったんだ。」と、話してくれた。

 私はもちろんそんなことは知るよしもなかったから、その話に驚かされるとともに、末期ガンの体で和歌山に来てくれたことも「いまを生きる」に含まれていることにはじめて気がついた。

 

講演会には多くの町民が来てくれた。

講演では熊さんは元気いっぱい話してくれた。


・テレビで売れるようになる少しに結核で入院していて、ほんとうは病弱なこと。

・笑いが止まらないほどテレビの出演が多くなってきたこと。

・社会をいじくって笑いを作ってきたこと。

・売れてくるとコマーシャルの出演要請が来て、そのなかでも社会をいじくるセリフが大うけとなって、当時そのセリフがはやり言葉となったこと。

・そうなればさらに仕事がどんどん増えてきたこと。

・ギャラはどんどん上がり、お金がばっさばっさ入ってきたこと。

・収入は銀行に貯金しないでタンス預金だったこと。

・タンスがいっぱいになって入らなくなったので、押し入れ預金になったこと。

・その押し入れもいっぱいになって、タンスの戸を開けたらお金があふれ出てきたこと。

・お金が邪魔になって面倒くさくなってきたこと。


 人権講演会場はおおきな笑いに包まれた。


最後に熊さんは、

「もともとからだが弱かったから、ほんとうに一生けんめいがんばりましたよ。

いつ死ぬかも分からなかったからね。

そのときそのとき手をぬかず、やってきたからよかったんだね。

いましかないと思って生きること。それしかないね。

ありがとう。」

そう言って壇上を降りた。

もちろん自分が末期ガンであることは話さなかった。

私は熊さんの笑顔に一抹の寂しさのようなものを隠せないことに気がついていた。


それから10日ほど経った日、テレビでレオナルド熊さん急死のニュースが流れていた。

そのときの驚きとともに、講演会のテーマを「いまを生きる」としたレオナルド熊さんの熱い思いと、あらためてそのテーマの重みを考えさせられた。


合掌

...more
View all episodesView all episodes
Download on the App Store

田舎坊主の読み聞かせ法話By 田舎坊主 森田良恒