田舎坊主の読み聞かせ法話

田舎坊主の求不得苦<努力の成果>


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子どものころ、努力すれば必ず報われると教わった。願いをかなえるには努力するしかないのだともいわれた。

とくに学校の先生からよくいわれた覚えがある。スポーツでも勉強でも努力しなければ上手にはなれないし、学力もつかない。

スポーツ選手になる夢を持っているならなおさらのことだ。

有名大学に入って国家公務員や医師などの職業を手にするためにはなおさらのことだ。

 しかし、はたして努力に努力を重ね抱いた夢一筋にその成果を得られる人はどれだけいるのだろうか。むしろその途中で挫折したり、進路を変更せざるを得なくなって、当初の夢とはまったく違った人生を送っているという人の方が多いのではないのだろうか。

 私の妻は学生時代にはバレーボールに情熱を注ぎ、社会人になってからは女性としてはまだ少なかったゴルフに趣味を見いだし、週末はコースに出て仲間と楽しんだ。また若いころから日本舞踊を習得し、名取りとして大きな舞台に立ったこともある。さらにご詠歌舞踊や茶道、三味線もたしなんだ。

 時間に余裕ができれば、家で教えごとをしながら外国旅行などで視野を広めたい将来の夢をもっていた。

 しかし53歳のころから体調を崩し、大学病院で診察を受けた結果、パーキンソン病と診断されたのだ。

 だんだん病状が進むとともに、若いころに考えていた踊りも旅行もましてやゴルフもできなくなってきた。

 当初、妻は「病気で何もかも取り上げられてしまった」と嘆いた。

 しかしいま、同じ病気をもつ人たちと交流し、「簡単な踊りを教えてね」といわれ、自分のリハビリもかねて仲間たちのためおけいこの日々を送っている。

その妻もすでに旅立ちました。

 いまから25年前、私がある進学高校で非常勤講師を務めていたとき、一つの学年での授業は読み聞かせにしようと決めた。

そのときの本は星野富弘さんの「愛、深き淵より」だった。

星野さんはスポーツマンで体育の教師を夢見て努力を重ね、大学卒業後念願の体育教師として中学校に赴任して二ヶ月後に、大好きな体育の授業で生徒に手本を見せるために跳んだ跳び箱から落下。頸椎を損傷して手足をまったく動かせなくなってしまったのだ。

 やがて口に筆を加えて絵と詩を描くようになり、やがてその絵と詩は多くの人に感動を与え勇気づけ、いまでは自らの富弘美術館に来場者の足が途切れることはないという。

 わが家にもどこからか毎年末に星野富弘さんのカレンダーが届けられる。

 人生は多かれ少なかれうまくいかないものだと思っておいてまちがいはないのだ。

それにしても人は人生においてどれだけの努力をするのだろう。

「はじめに」でも書いたように、それは何かを得るための活動としての努力ではないのだろうか?

 職業であったり、家庭であったり、マイホームであったり、愛する人であったり、身を飾るものであったり・・・。

 そしてそれを「しあわせ」と思いながら。

しかし、人生そのときどきに努力したその成果は、ほんとうは職業や家庭やマイホームや愛する人や身を飾るものではなく、人がそれら全てを失ってしまった時、どのような心を持ち、どのような行動をおこし、どのように生きていくのか、その強さを鍛えたのかどうかということではないだろうか。

 もちろん人生において、すべてを失ってしまうような大災害や事故に遭遇しないに越したことはいうまでもないが・・・。

人が生きていくということは、何かを得るために努力と失敗を何度も繰り返しながら、予期せぬことで「無」になったときに生きていくための心の強さを鍛える練習をしているように思う。

 言い換えれば、私たちの努力で得るべきものはこの「精神的な成果」だけなのだと、大災害の現状を見るたび感じるのである。

 そして「無になったときに生きていく心の強さ」という成果は、やがてその人の次の代に引き継がれるのだ。

 それは心の持ち方や生き方やたくましさを手本とし、その強さとがんばりのおかげで、遺されたものが平和な日々をおくることができていることに感謝し、自分もまたそんな生き方ができるように努力していくのだろう。

 このように世代を超えて、いきいきと輝いていくものこそ努力の成果なのではないだろうか。

合掌

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田舎坊主の読み聞かせ法話By 田舎坊主 森田良恒