田舎坊主の読み聞かせ法話

田舎坊主の求不得苦<僕のおばあちゃん>


Listen Later

学生のころ中村久子さんの『こころの手足』(春秋社)を読んだ。

中村久子さんは幼いころの凍傷が原因で脱疽(体組織が壊死していくこと)となり両手両足を切断することになる。

母の深い愛情で育てられ、残った短い手で編み物もできるまでになった。

成人したころ実母は再婚したが、再婚相手の継父に興行師に身売りされてしまうのだ。

日々の生活は、両手両足のない姿を見世物として舞台に上がらされ、母から教わった生きる手立ての裁縫や編み物などは哀しい哉、皮肉にも見世物として役に立ったのである。

自分の体は仏からいただいたもので、なにひとつ恨んでいないと語り、むしろ手足のない不自由な体であるからこそ強く生きることができたと述懐されている。

『こころの手足』のなかに次のような詩がある。


さわやかな 秋の朝


 「タオル 取ってちょうだい」

 「おーい」と答える

  良人(おっと)がある

 「ハーイ」という

  娘がおる

  歯をみがく

  義歯の取り外し

  かおを洗う

  短いけれど

  指のない

  まるい

  つよい手が

  何でもしてくれる

  断端(きれはし)に骨のない

  やわらかい腕もある

  何でもしてくれる

  短い手もある


  ある ある ある

  みんなある


  さわやかな

  秋の朝


何もなくても、幸せを感じることができるのだ。

しかし何もないと思っているのは私の方であり、中村久子さんにはいっぱいあるのだ。

「無一物 無尽蔵」とはこのことなのだ。

この本を泣きながら読んだころ、そう思った。


私の祖母も両手は中村久子さんのようだった。手首の10㎝位下から、断端(きれはし)に骨のないやわらかい腕だった。

私が生を受け、物ごころがついたころから祖母は手がなかったのでまったく違和感もなくその姿を受け入れていた。

中学に上がったころ父から祖母の手がなくなった理由を聞かせてもらった。


私の自坊、不動寺は50mほどの急坂を上がったところにある。

寺の敷地内の北側に大岩盤が地表に現れ、その岩盤を基礎石に利用して本堂は建てられている。

あるとき、熱を出した父を祖母が背負って紀ノ川沿いの診療所へ行くとき、寺の近くの坂道で父を背負ったまま倒れたそうである。

その当時はもちろん舗装されているわけではなく、牛にくびきをつけた荷車がその地道の坂道を行き来していた。

そんな急な坂道で子どもを背負ったまま倒れ、両手をついた傷口からばい菌が入ったのだ。

祖母は自分は大丈夫とばかり、ろくに医者に診てもらうこともなく、子どもである父のことを気づかい、診療所をあとにしたのである。

その後、医者に診せたといっても、まともな抗生物質も薬剤も十分ではない時代のこと、やがて祖母の両手は腫れあがってきた。

ついには両手とも脱疽となり、全身に壊死が広がる前に手首から一〇センチくらいのところから両方切断しなければならなくなったのである。

 

しかし、私の知っている祖母は、いつも着物を着て、長火鉢にすわり、キセルできざみの煙草をふかしていた。

断端に骨のないやわらかい手でキセルにうまくきざみの煙草をつめるのである。もちろんマッチも上手に使った。

長火鉢の端には針山もついていて、自分の着物の繕いは全部自分でこなしていた。

食事のとき、小皿に盛ったおかずを左手のひじを曲げたところにうまくのせ、右ひじに箸をはさんで美味しそうに食べた。

とくに不安定なお粥さんの入ったお茶碗を左ひじにのせ、梅干しの種を出して上手に食べていたのをいまも覚えている。

 

祖母が両手を失って以来、すべてがあたりまえのようにできるようになるまでどれだけの時間がかかったことだろうか。

そしてどれほどの試行錯誤に悩んだだろうか。どれほどの試練を乗り越えたのだろうか。

多分その苦しみは祖母にしか分からなかったと思う。

私がいやいや高野山にのぼり(いやいやだったことは『田舎坊主のぶつぶつ説法』(文芸社)に詳しく書いた)、小坊主として師僧の寺から高野山高校に通った。


一年生のとき担任の先生に勧められ校内弁論大会にでた。

そのときのテーマは「僕のおばあちゃん」だった。


15歳で家を出て高野山にのぼり、いつも家族みんなのことばかり考えていた。なかでも四年前に亡くなった両手のない祖母のことは、私には見慣れたすがたで、どんなしぐさも普通であっても世間的にはそうではなかったのだ。

いまひとりになって考えてみると、祖母は「不自由であっても努力すればできるようになる。なにもなくなっても決して不幸ではない。恵まれないなかでこそ努力するのだ」と教えてくれているように思った。

そのとき優秀賞をいただけたのは、祖母という強い生き方をしたお手本が身近にいたからだった。


この祖母も自分は何も持たず、逝ったのは81歳だった。もちろん持つ手もなかったが・・・。

私には多くのものを残してくれた祖母だった。


合掌

...more
View all episodesView all episodes
Download on the App Store

田舎坊主の読み聞かせ法話By 田舎坊主 森田良恒