才能は何処にでも転がっている、目が出るも出ないも徴用する者次第──こんな意味合いのことをふと思い付き、中国の故事成語にでもないかと調べてみると「嚢中の錐」という言葉に出会った。 デジタルツールを駆使することで没個性化する時代には「能ある鷹は爪を隠す」的な謙虚さで待ちの姿勢を決め込んでも、余りにヒトが多過ぎる故に埋没してしまうのも事実。 ならば前述の故事のように自ら名乗りを上げて主張するような「行動力」も時には必要だろう。それで選抜・徴用されるか否かは、それを見極めるチカラが必要とされるのもまた事実。 テクノロジーの進化により知識もツールも益々容易く安価で手に入る時代には、理論武装・機能実装ともに付け焼き刃の応急措置で間に合う面も多々あろう。それ故にシゴトしている・できる奴のように見える演出も実に容易いが、何処か空虚な雰囲気から逃れられないのは、達成感が持続せずに疲労感ばかり残るからか。 第三次世界大戦をも思わせるグローバルな経済戦争の下では中国の故事成語は含蓄に富む示唆を与えてくれるが、内乱的なことを殆ど経験していない日本人的に分かりやすいのは、やはりごく一般的な日本のコトワザかも知れない。 雀百まで踊り忘れず 三つ子の魂百まで どちらも「幼い時に身についた習慣は年をとっても直らない」や「幼時の性格は年をとっても変わらない」といったやや否定的な文脈で引用されることが多いのは、基本的に横並びを好む日本において周囲と違うことを疎む空気を正当化できることもあろう。しかし見方を変えれば、これらはヒトの個性に言及しているとも言える。 誰にでもクセはある。それが個性だ。デジタル時代の知識やツールは自分の個性〜才能を強化する目的で利用すれば、必ずチカラになってくれるだろう。世論に流されるままに、他人と同じ言葉をつぶやいていても没個性の中に埋没していくだけだ。 さて今週のサウンドキッチンは、電力不足・節電努力の渦巻く昨今、例年以上に寒暖差の激しい生活を強いられたシェフこと @daycraze が突然に声を失いそれを取り戻すまでのエピソードをお届け。音楽家として軽い絶望の縁に立たされ、地獄の一丁目で出会った女医さんは果たして女神だったか。さらには少年サッカーからハワイアンまで、てんやわんやのシェフの厨房は相も変わらず話題が尽きない。これもまた、雀百まで踊り忘れず 番組で紹介したiOSアプリ NanoStudio – Blip Interactive Ltd FL Studio Mobile – Image Line Software 番組に関するお問合せ: FM小金井 〒184-0004東京都小金井市本町6-5-3 シャトー小金井1階 (消防署側) TEL/FAX: 042-207-7777 110625 Texture artwork used in the movie by courtesy of alfastock at deviantART. photo credit: threephin