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オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
作詞作曲 楠元純一郎
編曲 山之内馨
<LeoNRadio日の出 われらの法学入門21(人権思想の系譜)>
ラジオ収録20201115
講師 楠元純一郎(法学者)
録音師 レオー(美術家)
ゲスト 松尾欣治(哲学者・大学外部総合評価者)
福留邦浩(国際関係学者)
jialin(大学院博士課程)
<人権思想>
マグナカルタ(1215年)→大憲章(「自由の大憲章」)←ハーバード・ロースクール図書館でその原書を見たことがある。
https://today.law.harvard.edu/hls-scholar-explores-the-complicated-legacy-of-the-magna-carta/
https://etseq.law.harvard.edu/2015/04/852-rare-medieval-manuscripts-online-magna-carta-more/
https://exhibits.law.harvard.edu/one-text-sixteen-manuscripts
権利請願(1628年)→イギリス議会が国王に対して出した請願
人権保護法(1679年)→イギリス議会が制定した逮捕状なしの拘束の禁止等
権利章典(1689年)→国王の存在を前提として、国王に忠誠を誓う議会および国民
のみが享受できる権利と自由を定めた法律
ロック・ルソー→近代的人権宣言→自然権論・社会契約論
ジョン・ロック(1632年〜1704年)→イギリスの哲学者(自由主義の父)→イギリス名誉革命(1688年)→アメリカ独立宣言・フランス人権宣言
人間は本来、理性的な存在で自然状態も比較的平和な状態。自分の権利をより確実なものにするため、社会契約を行なって権利の一部を政府に委ねる必要があるが、国家が市民の意志に反した場合は、抵抗して委ねた権利を取り戻すことができる。→民主主義の原理
デカルト→生まれながらにしてボンサンス(理性の働き)をもっていいる(大陸合理論)。→経験論者(ロック)→いやいやそうではない。デカルトに刺激を受けた。
「経験論」→一切の認識は知覚経験に基づいて形成される→バークリー→ヒューム
「社会契約論」→自由で平等な人間が社会契約を結ぶ→民主主義の基礎 ※ホッブス・リバイアサンとの対比
「教育論」→子供の教育は経験的な訓練から始めるべき→知識・規則で縛るのではなく習慣の形成・家庭教育が大事
『人間知性論』→経験論の立場から人間の知性のあり方と限界を考察
『統治二論(市民政府二論)』→①王権神授説(絶対王政の時代、王権は神から授けられた神聖絶対なるものであり、王は神に対してのみ責任を負い、神以外の誰も対抗できない)の否定、②社会契約こそが政治権力の起源→自由主義の思想→アメリカ独立宣言、フランス人権宣言 →財産権の保障、民法の所有権絶対法法則。
ジャック・ルソー(1712年〜1778年)→啓蒙思想家→民主主義(人民主権と公共の福祉→近代デモクラシーの父)、個人主義、近代教育思想(近代教育の父)
「人間は生れながらにして自由であるが、しかしいたる所で鉄鎖に繋がれている。」←妄想?
自然状態は自由・平等で理想的状態であるが、私有財産による文明の発達が不平等を招いたので、人民は欲望を抑えて公共の福祉のために社会をつくりなおすことが必要。←民主主義と全体主義は紙一重?
『学問芸術論」→学問芸術は一握りの天才がするもの。凡人にとっては腐敗、堕落をもたらすもの?←私のような凡人にも機会を与えてもらっていることにむしろ感謝したい。
『人間不平等起源論』→私有財産による文明の発達が社会の不平等を招いた?←だから人生やる気が出るんじゃないのかな?見えざる手。利己心と虚栄心に基づく自己利益の追求が結局は社会全体の利益をもたらすはず。自然調和。
『社会契約論』→個人相互の約束が社会の基礎→人民を主権者とする国家の成立→近代政治思想の基礎←直接民主制?ム、ムリ。
『エミール』→孤児エミールの誕生から成長の過程を考察。人間の本源的善性をいかに守るか?「人間でも動物でもない、まさに子供だ」→子供の発見者。知育教育よりは人間教育、体育、品性の陶冶を重視。←品性ってなに?
生まれながらにして有する一定の権利・自由
バージニア権利章典(1776年)
フランス人権宣言(1789年)
初期→国家からの自由が中心→自由権→国に「放っておいてもらう」権利
資本主義の進展→貧富の格差
ドイツ・ワイマール憲法(1919)→社会権→国に「構ってもらう」権利
日本国憲法→平等権、自由権、参政権、受益権(国務請求権)、社会権
基本的人権の保障→裁判所による違憲審査権→国会による立法、行政行為(法の執行)
→実際には、憲法判断回避の準則→具体的な訴訟の解決に必要な場合だけ憲法判断をし、それ以外はその判断を避ける。違憲審査に対する消極性
憲法の私人間効力
→憲法は国家と私人との間の関係を規律している(憲法は国家を縛るもの)→本来、私人間とは関係なく、それには適用されないはず。→でも、人権侵害は、私人間でも起こりうる。→どのような理論で私人間に憲法を適用すべきか?
①無適用説
②直接適用説
③間接適用説(通説)→私法の一般条項(民法90条→公序良俗→公の秩序、善良な風俗に反する法律行為は無効)に憲法の趣旨を取り込んで解釈・適用。→三菱樹脂事件
<三菱樹脂事件の概要>
被上告人(原審高裁で勝訴し最高裁に訴えられた人)は大学時代に学生運動の積極的な活動家であったが、民間企業への就職採用試験では、「学生運動はしたことがないし、興味もなかった」旨を身上書に虚偽の記載、秘匿をし、面接でも虚偽の回答をしていた。採用後、それが発覚し解雇された。
原判決は、試用期間を3か月とする雇用契約の性質について、被上告人が管理職要員として不適格であると認めたときはそれだけの理由で雇用を解約しうるという解約留保の特約のある雇用契約と認定し、この権利の行使は、雇入れ後における解雇にあたると解したうえ、解雇理由としての政治的思想、信条は、憲法19条の保障する思想、信条の自由をその意に反してみだりに侵すことは許されず、これによって雇用関係上差別することは憲法14条、労働基準法3条に違反するものであるから公序良俗に反して許されず、応募者がこれにつき秘匿等をしたとしてもこれによる不利益をその者に課することはできないとし、本件本採用の拒否を無効とした。
これに対して最高裁は原判決が法令の解釈、適用を誤ったものとして、原判決を破棄し、差し戻した。最高裁は、まず、思想、信条の自由、法の下の平等にかかる憲法上の規定は、他の自由権的基本権の保障規定と同様に、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではないと判示した。そして、私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、その対立の調整は近代自由社会においては原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであって、憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互間の関係についても適用ないしは類推適用すべきものとすることは決して当をえた解釈ということはできないという。さらに、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によってその是正を図ることが可能であるし、また、場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、一面で私的自治の原則を尊重しながら、多面で社会的許容性の限界を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのであるとする。そのうえで最高裁は、憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、22条、29条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障しているため、企業者はかような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇用するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであって、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえんをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできない。
(本判決の意義)
要するに、憲法の人権規定は国家と個人を規律するものであるから、私人間に直接それを適用することはできず、私的自治において行き過ぎがあれば、立法で対処するか、民法の一般原則である権利濫用の無効、公序良俗の無効、不法行為の損害賠償の規定の適切な運用で調整を図るべき、と判示した。その意味で、最高裁は憲法規定の私人間への間接適用に含みをもたせた。
オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」
エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」
作詞作曲 楠元純一郎
編曲 山之内馨
<LeoNRadio日の出 われらの法学入門21(人権思想の系譜)>
ラジオ収録20201115
講師 楠元純一郎(法学者)
録音師 レオー(美術家)
ゲスト 松尾欣治(哲学者・大学外部総合評価者)
福留邦浩(国際関係学者)
jialin(大学院博士課程)
<人権思想>
マグナカルタ(1215年)→大憲章(「自由の大憲章」)←ハーバード・ロースクール図書館でその原書を見たことがある。
https://today.law.harvard.edu/hls-scholar-explores-the-complicated-legacy-of-the-magna-carta/
https://etseq.law.harvard.edu/2015/04/852-rare-medieval-manuscripts-online-magna-carta-more/
https://exhibits.law.harvard.edu/one-text-sixteen-manuscripts
権利請願(1628年)→イギリス議会が国王に対して出した請願
人権保護法(1679年)→イギリス議会が制定した逮捕状なしの拘束の禁止等
権利章典(1689年)→国王の存在を前提として、国王に忠誠を誓う議会および国民
のみが享受できる権利と自由を定めた法律
ロック・ルソー→近代的人権宣言→自然権論・社会契約論
ジョン・ロック(1632年〜1704年)→イギリスの哲学者(自由主義の父)→イギリス名誉革命(1688年)→アメリカ独立宣言・フランス人権宣言
人間は本来、理性的な存在で自然状態も比較的平和な状態。自分の権利をより確実なものにするため、社会契約を行なって権利の一部を政府に委ねる必要があるが、国家が市民の意志に反した場合は、抵抗して委ねた権利を取り戻すことができる。→民主主義の原理
デカルト→生まれながらにしてボンサンス(理性の働き)をもっていいる(大陸合理論)。→経験論者(ロック)→いやいやそうではない。デカルトに刺激を受けた。
「経験論」→一切の認識は知覚経験に基づいて形成される→バークリー→ヒューム
「社会契約論」→自由で平等な人間が社会契約を結ぶ→民主主義の基礎 ※ホッブス・リバイアサンとの対比
「教育論」→子供の教育は経験的な訓練から始めるべき→知識・規則で縛るのではなく習慣の形成・家庭教育が大事
『人間知性論』→経験論の立場から人間の知性のあり方と限界を考察
『統治二論(市民政府二論)』→①王権神授説(絶対王政の時代、王権は神から授けられた神聖絶対なるものであり、王は神に対してのみ責任を負い、神以外の誰も対抗できない)の否定、②社会契約こそが政治権力の起源→自由主義の思想→アメリカ独立宣言、フランス人権宣言 →財産権の保障、民法の所有権絶対法法則。
ジャック・ルソー(1712年〜1778年)→啓蒙思想家→民主主義(人民主権と公共の福祉→近代デモクラシーの父)、個人主義、近代教育思想(近代教育の父)
「人間は生れながらにして自由であるが、しかしいたる所で鉄鎖に繋がれている。」←妄想?
自然状態は自由・平等で理想的状態であるが、私有財産による文明の発達が不平等を招いたので、人民は欲望を抑えて公共の福祉のために社会をつくりなおすことが必要。←民主主義と全体主義は紙一重?
『学問芸術論」→学問芸術は一握りの天才がするもの。凡人にとっては腐敗、堕落をもたらすもの?←私のような凡人にも機会を与えてもらっていることにむしろ感謝したい。
『人間不平等起源論』→私有財産による文明の発達が社会の不平等を招いた?←だから人生やる気が出るんじゃないのかな?見えざる手。利己心と虚栄心に基づく自己利益の追求が結局は社会全体の利益をもたらすはず。自然調和。
『社会契約論』→個人相互の約束が社会の基礎→人民を主権者とする国家の成立→近代政治思想の基礎←直接民主制?ム、ムリ。
『エミール』→孤児エミールの誕生から成長の過程を考察。人間の本源的善性をいかに守るか?「人間でも動物でもない、まさに子供だ」→子供の発見者。知育教育よりは人間教育、体育、品性の陶冶を重視。←品性ってなに?
生まれながらにして有する一定の権利・自由
バージニア権利章典(1776年)
フランス人権宣言(1789年)
初期→国家からの自由が中心→自由権→国に「放っておいてもらう」権利
資本主義の進展→貧富の格差
ドイツ・ワイマール憲法(1919)→社会権→国に「構ってもらう」権利
日本国憲法→平等権、自由権、参政権、受益権(国務請求権)、社会権
基本的人権の保障→裁判所による違憲審査権→国会による立法、行政行為(法の執行)
→実際には、憲法判断回避の準則→具体的な訴訟の解決に必要な場合だけ憲法判断をし、それ以外はその判断を避ける。違憲審査に対する消極性
憲法の私人間効力
→憲法は国家と私人との間の関係を規律している(憲法は国家を縛るもの)→本来、私人間とは関係なく、それには適用されないはず。→でも、人権侵害は、私人間でも起こりうる。→どのような理論で私人間に憲法を適用すべきか?
①無適用説
②直接適用説
③間接適用説(通説)→私法の一般条項(民法90条→公序良俗→公の秩序、善良な風俗に反する法律行為は無効)に憲法の趣旨を取り込んで解釈・適用。→三菱樹脂事件
<三菱樹脂事件の概要>
被上告人(原審高裁で勝訴し最高裁に訴えられた人)は大学時代に学生運動の積極的な活動家であったが、民間企業への就職採用試験では、「学生運動はしたことがないし、興味もなかった」旨を身上書に虚偽の記載、秘匿をし、面接でも虚偽の回答をしていた。採用後、それが発覚し解雇された。
原判決は、試用期間を3か月とする雇用契約の性質について、被上告人が管理職要員として不適格であると認めたときはそれだけの理由で雇用を解約しうるという解約留保の特約のある雇用契約と認定し、この権利の行使は、雇入れ後における解雇にあたると解したうえ、解雇理由としての政治的思想、信条は、憲法19条の保障する思想、信条の自由をその意に反してみだりに侵すことは許されず、これによって雇用関係上差別することは憲法14条、労働基準法3条に違反するものであるから公序良俗に反して許されず、応募者がこれにつき秘匿等をしたとしてもこれによる不利益をその者に課することはできないとし、本件本採用の拒否を無効とした。
これに対して最高裁は原判決が法令の解釈、適用を誤ったものとして、原判決を破棄し、差し戻した。最高裁は、まず、思想、信条の自由、法の下の平等にかかる憲法上の規定は、他の自由権的基本権の保障規定と同様に、もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではないと判示した。そして、私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、その対立の調整は近代自由社会においては原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであって、憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互間の関係についても適用ないしは類推適用すべきものとすることは決して当をえた解釈ということはできないという。さらに、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によってその是正を図ることが可能であるし、また、場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法1条、90条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、一面で私的自治の原則を尊重しながら、多面で社会的許容性の限界を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのであるとする。そのうえで最高裁は、憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、22条、29条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障しているため、企業者はかような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇用するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができるのであって、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえんをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできない。
(本判決の意義)
要するに、憲法の人権規定は国家と個人を規律するものであるから、私人間に直接それを適用することはできず、私的自治において行き過ぎがあれば、立法で対処するか、民法の一般原則である権利濫用の無効、公序良俗の無効、不法行為の損害賠償の規定の適切な運用で調整を図るべき、と判示した。その意味で、最高裁は憲法規定の私人間への間接適用に含みをもたせた。