NYLON與我們的自由時代

鄭南榕記念館オーディオガイド 0.自由時代雑誌社元の場所


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とある路地が台北市内にあります。学校と集合住宅に挟まれた、ありふれた 街の路地です。



ただ、すこし特殊なことといえば、この路地は「自由の路地」という別名を 持っており、その中ほどに変わった建物があることです。マンション3階の 外壁に「鄭南榕記念館」という看板が掛かっており、窓にはアルミの格子や 有刺鉄線がはめ込まれ、外壁には焼け焦げた黒い痕跡が残っています。


そのマンションにある鄭南榕記念館。こぢんまりした部屋には台湾社会を啓 蒙する莫大なエネルギーが潜んでいます。それもそのはず、ここは台湾の民 主化運動の過程で先人たちが払った努力の代償と、市民たちが力いっぱいに 自由を勝ち取ろうとした精神を象徴する場所なのですから。


1988年12月、鄭南榕が自ら創設した週刊『自由時代』に「台湾共和国 新憲法草案」を掲載しました。これにより、翌年1月に「反乱罪容疑」との 出頭命令が届きました。


鄭南榕としては、「新憲法草案」を掲載することは個人の基本的権利獲得へ の実践であり、反乱罪とはでっち上げの容疑であり、言論の自由を抑圧する 象徴になると考えていました。


「台湾独立」という主張を含む確かな言論の自由を堅持するため、鄭南榕は この容疑の受け入れを拒否し、『自由時代』雑誌社に籠城し「抵抗権」を行 使することにしました。


4月7日、国民党政府は大勢の警察隊を雑誌社に出動させ、彼を逮捕するた め突入を強行しました。すでに71日に及ぶ籠城をおこなっていた鄭南榕は、 編集長室で焼身自決をとげました。


自由、それが重みのあるものだということを、彼はその一いち 命めい をもって我々に 示したのです。


まず、鄭南榕記念館にお越し下さり、まことにありがとうございます。ここ は鄭南榕が在りし日に創設した『自由時代』雑誌社の跡です。


これから、鄭南榕の生い立ちと、どのように雑誌社を創設し、社会運動を組 織したかのプロセスをご紹介いたします


写真や映像、鄭南榕の遺品と肉筆の原稿などをとおして、彼の足跡そくせき をたどる 旅にご案内します。彼の置かれた環境に心をよせ、彼の考え方を理解してゆ きましょう。


一緒に1980年代にタイムスリップして、鄭南榕の勇気と決意を目撃しに 行きましょう。

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NYLON與我們的自由時代By 鄭南榕基金會