NYLON與我們的自由時代

鄭南榕記念館オーディオガイド 11.自由 · 生まれ変わる


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【自由 · 生まれ変わる】



国民党政府は彼の犠牲を意図的に中傷しようとしましたが、鄭南榕がもたら した影響を揺るがすことはできませんでした。点された自由の火は4月7日 に消されることなく、マンションの小さな一室から台湾中、いや、海外にい る台湾人の心の中まで蔓延していきました。士林の河川埋め立て地に建てた 葬儀式場のほかに、台湾各地に次々と自発的に鄭南榕を追悼する斎場が設置 されました。


鄭南榕の告別式に5月19日を選んだのは、彼が呼びかけた最初の社会運動 「519グリーンアクション」に呼応するためでした。葬送が始まると、雨 の降る中で延々に続く参列者の行列は尽きることなく、悲しみと厳かなムー ドに満ち満ちています。しかし、このような日でさえ、当局は相変わらず大 量の軍隊と警察を動員し、葬送の全過程を厳しく監視していました。


葬送行列の先頭が総統府に差し掛かる時、いつも鄭南榕を支持する社会運動 の同志・詹せん 益えき 樺か が突如、その身に火を点けて自決をとげました。「鄭南榕は 偉大なる美しい種である。自分も大きくて美しい種になりたい」と詹益樺の 言葉が遺っています。詹益樺は鄭南榕に追随する無数の同志の代表者として、 基層に根を下ろした実の力そのものです。目立つ経歴もない彼ですが、持っ ているのは台湾に対する真心。彼が灯したあの炎は、同じく台湾の民主化の 道のりの重要な糧と化したのです。


詹益樺だけではなく、鄭南榕の激励を受けた台湾人は数多くいます。この炎 は人々に困難を克服する勇気を燃え上がらせました。国内では、その後「懲 治叛乱条例」の廃止や「刑法100条」の修正案などを含め、より多くの人 たちが様々な改革運動に参画しました。一方、海外においてもブラックリス トに載せられた人々は国民党政府の封鎖を突破して帰国できるように試みま した。こういった諸々の行動の積み重ねが、絶えずに台湾を更なる自由な国 へ推し進める力になったのです。

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NYLON與我們的自由時代By 鄭南榕基金會