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July 15, 2025鄭南榕記念館オーディオガイド 3.100%の自由を勝ち取る4 minutesPlay【100%の自由を勝ち取る】1984年、鄭南榕は週刊『自由時代』を創刊し、当時の情報統制を突破す ることを目ざしました。「私のような思想訓練を鍛えた人間にとっては、雑 誌を発行することは信仰を実践する最適な方法だ」と彼は言っています。雑誌社の至るところに注意をはらうことから、鄭南榕の繊細で周到かつ実直 な性格がうかがえます。当時、雑誌を発行する際には、「出版営業登記証」 の取得が必要で、国民黨当局の気に入らない記事を掲載するとすぐに発行禁 止や押収されることになります。発禁されると1年間の出版停止が処されま す。こういった状況に対処するため、鄭南榕は事前に18枚の登記証を申請 し、いずれも『〇〇時代』というタイトルにしました。いったん出版停止に されたら、すぐにほかの登記証に変えて『〇〇時代』の雑誌を発行しつづけ ました。そのため、週刊『自由時代』シリーズの雑誌は常に発禁、押収され ますが、廃刊までの5年8ヶ月の間、一度も途絶えることなく、合計302 号の雑誌をくり返し世に送り出しました。雑誌の発行に関して緻密な計画を立てるだけではなく、内容的にも少なから ぬ工夫を施しました。そもそも、国民党政府の思想的な封鎖を打破すために 発行した雑誌なので、内容は蔣介石一族を批判したり、軍のスキャンダルを 暴いたりする記事は少なくありません。また、政治犯の釈放や戒厳令の解除 の呼びかけもします。例えば「江南暗殺事件」「蔣経国危篤」など、主流的 メディアが敢えて報道しないニュースは、週刊『自由時代』をはじめとした 「党外雑誌」の報道に沿って真相が伝えられていくのです。当時の台湾民衆 は、社会で起こった事実を知るには、様々な手段でこっそりと雑誌を買い、 ひっそりと読むほかありません。そして、信頼できる友人に会って、その号 の記事を議論します。このように、台湾人の真相への欲求が増してきたこと は、週刊『自由時代』が持続的に経営できるカギとなり、また当時の台湾社 会の変化を反映しています。1980年代、新聞記者が監視、脅迫されることは日常茶飯事でした。週刊 『自由時代』の記者も匿名の寄稿者も例外ではありません。それがために、 雑誌の目次の頁に「当誌の文責はすべて編集長の鄭南榕にあり、目次に作者 の氏名を記さない」という文言が見られます。記者や匿名寄稿者に心配事な く真実な報道が書けるように、またニュースの質を確保するために、鄭南榕 はすべての責任を一身に負いました。これは社主の気迫でもあり、優しさで もあります。--Hosting provided by SoundOn ...moreShareView all episodesBy 鄭南榕基金會July 15, 2025鄭南榕記念館オーディオガイド 3.100%の自由を勝ち取る4 minutesPlay【100%の自由を勝ち取る】1984年、鄭南榕は週刊『自由時代』を創刊し、当時の情報統制を突破す ることを目ざしました。「私のような思想訓練を鍛えた人間にとっては、雑 誌を発行することは信仰を実践する最適な方法だ」と彼は言っています。雑誌社の至るところに注意をはらうことから、鄭南榕の繊細で周到かつ実直 な性格がうかがえます。当時、雑誌を発行する際には、「出版営業登記証」 の取得が必要で、国民黨当局の気に入らない記事を掲載するとすぐに発行禁 止や押収されることになります。発禁されると1年間の出版停止が処されま す。こういった状況に対処するため、鄭南榕は事前に18枚の登記証を申請 し、いずれも『〇〇時代』というタイトルにしました。いったん出版停止に されたら、すぐにほかの登記証に変えて『〇〇時代』の雑誌を発行しつづけ ました。そのため、週刊『自由時代』シリーズの雑誌は常に発禁、押収され ますが、廃刊までの5年8ヶ月の間、一度も途絶えることなく、合計302 号の雑誌をくり返し世に送り出しました。雑誌の発行に関して緻密な計画を立てるだけではなく、内容的にも少なから ぬ工夫を施しました。そもそも、国民党政府の思想的な封鎖を打破すために 発行した雑誌なので、内容は蔣介石一族を批判したり、軍のスキャンダルを 暴いたりする記事は少なくありません。また、政治犯の釈放や戒厳令の解除 の呼びかけもします。例えば「江南暗殺事件」「蔣経国危篤」など、主流的 メディアが敢えて報道しないニュースは、週刊『自由時代』をはじめとした 「党外雑誌」の報道に沿って真相が伝えられていくのです。当時の台湾民衆 は、社会で起こった事実を知るには、様々な手段でこっそりと雑誌を買い、 ひっそりと読むほかありません。そして、信頼できる友人に会って、その号 の記事を議論します。このように、台湾人の真相への欲求が増してきたこと は、週刊『自由時代』が持続的に経営できるカギとなり、また当時の台湾社 会の変化を反映しています。1980年代、新聞記者が監視、脅迫されることは日常茶飯事でした。週刊 『自由時代』の記者も匿名の寄稿者も例外ではありません。それがために、 雑誌の目次の頁に「当誌の文責はすべて編集長の鄭南榕にあり、目次に作者 の氏名を記さない」という文言が見られます。記者や匿名寄稿者に心配事な く真実な報道が書けるように、またニュースの質を確保するために、鄭南榕 はすべての責任を一身に負いました。これは社主の気迫でもあり、優しさで もあります。--Hosting provided by SoundOn ...more
【100%の自由を勝ち取る】1984年、鄭南榕は週刊『自由時代』を創刊し、当時の情報統制を突破す ることを目ざしました。「私のような思想訓練を鍛えた人間にとっては、雑 誌を発行することは信仰を実践する最適な方法だ」と彼は言っています。雑誌社の至るところに注意をはらうことから、鄭南榕の繊細で周到かつ実直 な性格がうかがえます。当時、雑誌を発行する際には、「出版営業登記証」 の取得が必要で、国民黨当局の気に入らない記事を掲載するとすぐに発行禁 止や押収されることになります。発禁されると1年間の出版停止が処されま す。こういった状況に対処するため、鄭南榕は事前に18枚の登記証を申請 し、いずれも『〇〇時代』というタイトルにしました。いったん出版停止に されたら、すぐにほかの登記証に変えて『〇〇時代』の雑誌を発行しつづけ ました。そのため、週刊『自由時代』シリーズの雑誌は常に発禁、押収され ますが、廃刊までの5年8ヶ月の間、一度も途絶えることなく、合計302 号の雑誌をくり返し世に送り出しました。雑誌の発行に関して緻密な計画を立てるだけではなく、内容的にも少なから ぬ工夫を施しました。そもそも、国民党政府の思想的な封鎖を打破すために 発行した雑誌なので、内容は蔣介石一族を批判したり、軍のスキャンダルを 暴いたりする記事は少なくありません。また、政治犯の釈放や戒厳令の解除 の呼びかけもします。例えば「江南暗殺事件」「蔣経国危篤」など、主流的 メディアが敢えて報道しないニュースは、週刊『自由時代』をはじめとした 「党外雑誌」の報道に沿って真相が伝えられていくのです。当時の台湾民衆 は、社会で起こった事実を知るには、様々な手段でこっそりと雑誌を買い、 ひっそりと読むほかありません。そして、信頼できる友人に会って、その号 の記事を議論します。このように、台湾人の真相への欲求が増してきたこと は、週刊『自由時代』が持続的に経営できるカギとなり、また当時の台湾社 会の変化を反映しています。1980年代、新聞記者が監視、脅迫されることは日常茶飯事でした。週刊 『自由時代』の記者も匿名の寄稿者も例外ではありません。それがために、 雑誌の目次の頁に「当誌の文責はすべて編集長の鄭南榕にあり、目次に作者 の氏名を記さない」という文言が見られます。記者や匿名寄稿者に心配事な く真実な報道が書けるように、またニュースの質を確保するために、鄭南榕 はすべての責任を一身に負いました。これは社主の気迫でもあり、優しさで もあります。--Hosting provided by SoundOn
July 15, 2025鄭南榕記念館オーディオガイド 3.100%の自由を勝ち取る4 minutesPlay【100%の自由を勝ち取る】1984年、鄭南榕は週刊『自由時代』を創刊し、当時の情報統制を突破す ることを目ざしました。「私のような思想訓練を鍛えた人間にとっては、雑 誌を発行することは信仰を実践する最適な方法だ」と彼は言っています。雑誌社の至るところに注意をはらうことから、鄭南榕の繊細で周到かつ実直 な性格がうかがえます。当時、雑誌を発行する際には、「出版営業登記証」 の取得が必要で、国民黨当局の気に入らない記事を掲載するとすぐに発行禁 止や押収されることになります。発禁されると1年間の出版停止が処されま す。こういった状況に対処するため、鄭南榕は事前に18枚の登記証を申請 し、いずれも『〇〇時代』というタイトルにしました。いったん出版停止に されたら、すぐにほかの登記証に変えて『〇〇時代』の雑誌を発行しつづけ ました。そのため、週刊『自由時代』シリーズの雑誌は常に発禁、押収され ますが、廃刊までの5年8ヶ月の間、一度も途絶えることなく、合計302 号の雑誌をくり返し世に送り出しました。雑誌の発行に関して緻密な計画を立てるだけではなく、内容的にも少なから ぬ工夫を施しました。そもそも、国民党政府の思想的な封鎖を打破すために 発行した雑誌なので、内容は蔣介石一族を批判したり、軍のスキャンダルを 暴いたりする記事は少なくありません。また、政治犯の釈放や戒厳令の解除 の呼びかけもします。例えば「江南暗殺事件」「蔣経国危篤」など、主流的 メディアが敢えて報道しないニュースは、週刊『自由時代』をはじめとした 「党外雑誌」の報道に沿って真相が伝えられていくのです。当時の台湾民衆 は、社会で起こった事実を知るには、様々な手段でこっそりと雑誌を買い、 ひっそりと読むほかありません。そして、信頼できる友人に会って、その号 の記事を議論します。このように、台湾人の真相への欲求が増してきたこと は、週刊『自由時代』が持続的に経営できるカギとなり、また当時の台湾社 会の変化を反映しています。1980年代、新聞記者が監視、脅迫されることは日常茶飯事でした。週刊 『自由時代』の記者も匿名の寄稿者も例外ではありません。それがために、 雑誌の目次の頁に「当誌の文責はすべて編集長の鄭南榕にあり、目次に作者 の氏名を記さない」という文言が見られます。記者や匿名寄稿者に心配事な く真実な報道が書けるように、またニュースの質を確保するために、鄭南榕 はすべての責任を一身に負いました。これは社主の気迫でもあり、優しさで もあります。--Hosting provided by SoundOn ...more
【100%の自由を勝ち取る】1984年、鄭南榕は週刊『自由時代』を創刊し、当時の情報統制を突破す ることを目ざしました。「私のような思想訓練を鍛えた人間にとっては、雑 誌を発行することは信仰を実践する最適な方法だ」と彼は言っています。雑誌社の至るところに注意をはらうことから、鄭南榕の繊細で周到かつ実直 な性格がうかがえます。当時、雑誌を発行する際には、「出版営業登記証」 の取得が必要で、国民黨当局の気に入らない記事を掲載するとすぐに発行禁 止や押収されることになります。発禁されると1年間の出版停止が処されま す。こういった状況に対処するため、鄭南榕は事前に18枚の登記証を申請 し、いずれも『〇〇時代』というタイトルにしました。いったん出版停止に されたら、すぐにほかの登記証に変えて『〇〇時代』の雑誌を発行しつづけ ました。そのため、週刊『自由時代』シリーズの雑誌は常に発禁、押収され ますが、廃刊までの5年8ヶ月の間、一度も途絶えることなく、合計302 号の雑誌をくり返し世に送り出しました。雑誌の発行に関して緻密な計画を立てるだけではなく、内容的にも少なから ぬ工夫を施しました。そもそも、国民党政府の思想的な封鎖を打破すために 発行した雑誌なので、内容は蔣介石一族を批判したり、軍のスキャンダルを 暴いたりする記事は少なくありません。また、政治犯の釈放や戒厳令の解除 の呼びかけもします。例えば「江南暗殺事件」「蔣経国危篤」など、主流的 メディアが敢えて報道しないニュースは、週刊『自由時代』をはじめとした 「党外雑誌」の報道に沿って真相が伝えられていくのです。当時の台湾民衆 は、社会で起こった事実を知るには、様々な手段でこっそりと雑誌を買い、 ひっそりと読むほかありません。そして、信頼できる友人に会って、その号 の記事を議論します。このように、台湾人の真相への欲求が増してきたこと は、週刊『自由時代』が持続的に経営できるカギとなり、また当時の台湾社 会の変化を反映しています。1980年代、新聞記者が監視、脅迫されることは日常茶飯事でした。週刊 『自由時代』の記者も匿名の寄稿者も例外ではありません。それがために、 雑誌の目次の頁に「当誌の文責はすべて編集長の鄭南榕にあり、目次に作者 の氏名を記さない」という文言が見られます。記者や匿名寄稿者に心配事な く真実な報道が書けるように、またニュースの質を確保するために、鄭南榕 はすべての責任を一身に負いました。これは社主の気迫でもあり、優しさで もあります。--Hosting provided by SoundOn