NYLON與我們的自由時代

鄭南榕記念館オーディオガイド 3.100%の自由を勝ち取る


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【100%の自由を勝ち取る】


1984年、鄭南榕は週刊『自由時代』を創刊し、当時の情報統制を突破す ることを目ざしました。「私のような思想訓練を鍛えた人間にとっては、雑 誌を発行することは信仰を実践する最適な方法だ」と彼は言っています。


雑誌社の至るところに注意をはらうことから、鄭南榕の繊細で周到かつ実直 な性格がうかがえます。当時、雑誌を発行する際には、「出版営業登記証」 の取得が必要で、国民黨当局の気に入らない記事を掲載するとすぐに発行禁 止や押収されることになります。発禁されると1年間の出版停止が処されま す。こういった状況に対処するため、鄭南榕は事前に18枚の登記証を申請 し、いずれも『〇〇時代』というタイトルにしました。いったん出版停止に されたら、すぐにほかの登記証に変えて『〇〇時代』の雑誌を発行しつづけ ました。そのため、週刊『自由時代』シリーズの雑誌は常に発禁、押収され ますが、廃刊までの5年8ヶ月の間、一度も途絶えることなく、合計302 号の雑誌をくり返し世に送り出しました。


雑誌の発行に関して緻密な計画を立てるだけではなく、内容的にも少なから ぬ工夫を施しました。そもそも、国民党政府の思想的な封鎖を打破すために 発行した雑誌なので、内容は蔣介石一族を批判したり、軍のスキャンダルを 暴いたりする記事は少なくありません。また、政治犯の釈放や戒厳令の解除 の呼びかけもします。例えば「江南暗殺事件」「蔣経国危篤」など、主流的 メディアが敢えて報道しないニュースは、週刊『自由時代』をはじめとした 「党外雑誌」の報道に沿って真相が伝えられていくのです。当時の台湾民衆 は、社会で起こった事実を知るには、様々な手段でこっそりと雑誌を買い、 ひっそりと読むほかありません。そして、信頼できる友人に会って、その号 の記事を議論します。このように、台湾人の真相への欲求が増してきたこと は、週刊『自由時代』が持続的に経営できるカギとなり、また当時の台湾社 会の変化を反映しています。


1980年代、新聞記者が監視、脅迫されることは日常茶飯事でした。週刊 『自由時代』の記者も匿名の寄稿者も例外ではありません。それがために、 雑誌の目次の頁に「当誌の文責はすべて編集長の鄭南榕にあり、目次に作者 の氏名を記さない」という文言が見られます。記者や匿名寄稿者に心配事な く真実な報道が書けるように、またニュースの質を確保するために、鄭南榕 はすべての責任を一身に負いました。これは社主の気迫でもあり、優しさで もあります。

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NYLON與我們的自由時代By 鄭南榕基金會