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July 15, 2025鄭南榕記念館オーディオガイド 5.鄭南榕と三大運動:(2) 逮捕されて投獄4 minutesPlay【鄭南榕と三大運動:(2) 逮捕されて投獄】1986年、最初の「519グリーンアクション」をへて、鄭南榕は国民党 政府当局にとって「目の上のたんこぶ」のような存在となりました。それか らほどなく、6月2日の朝、所管の派出所に呼び出された彼は、その途中で 中山警察署、続けて地方裁判所に移送され、ついにその夕刻には、土城拘置 所に送られて身柄を勾留されました。公式には、鄭南榕は「選挙罷免法」違反の容疑で起訴されましたが、じつは、 これは当局からの迫害行為にほかなりません。なぜなら、鄭南榕が文章を書 き、雑誌を発行し、運動を呼び掛けるなどの行為とその影響力は、すでに当 局の統治を揺るがすほどだったからです。その結果、「選挙罷免法」違反を 名目に8ヶ月間も投獄させたわけです。 脅威を受けた鄭南榕は、これからも恐怖の中に生きていくよりも、直接に当 局に真正面から反抗する道を選びました。投獄された期間中、鄭南榕は日記を書き、彼の日常や感想、そして発想を記 録しました。口数の少ない彼ですが、日記の行間から少なくとも3つの顔を うかがうことができます。まずは、部下を信頼し仕事を任せられる経営者としての顔。投獄された時、 彼は雑誌社の運営のすべてをスタッフたちに委ねました。それは、はっきり とした仕事分担と協力体制ができており、たとえ鄭南榕が不在でも業務はス ムーズに運営できるようになっていたからです。 2つ目は、ひとりの行動的思想家としての顔。普段、雑誌社の運営策略を緻 密に考えるかたわら、政治・哲学・経済から台湾の将来まで数々のテーマを 常に思考していました。彼曰く、「身を挺して立ち向かい、自らのヌシにな るべきだ」と。彼は思考するだけではなく、誠実実行の精神で理想を追い求 め続けていたのです。 そして、誰とも同じ、人の子として、兄弟、友人、夫、父親としての顔です。 日記には、葉よう 菊きく 蘭らん 夫人が面会した時の様子や、娘の竹ちく 梅ばい の成長ぶりまで詳し く記録されており、そのことからも、家族愛の篤さがうかがい知れます。獄中日記の最後に、鄭南榕は「私たちは小さい国の小さな民。但し、私たち はよき国のよき民だ」と記しています。そして、これは台湾の未来の基礎だ と追記しています。この日は判決が言い渡される前日ですが、未知の判決結 果に直面していながらも、鄭南榕の関心事は依然として台湾の未来だったの です。--Hosting provided by SoundOn ...moreShareView all episodesBy 鄭南榕基金會July 15, 2025鄭南榕記念館オーディオガイド 5.鄭南榕と三大運動:(2) 逮捕されて投獄4 minutesPlay【鄭南榕と三大運動:(2) 逮捕されて投獄】1986年、最初の「519グリーンアクション」をへて、鄭南榕は国民党 政府当局にとって「目の上のたんこぶ」のような存在となりました。それか らほどなく、6月2日の朝、所管の派出所に呼び出された彼は、その途中で 中山警察署、続けて地方裁判所に移送され、ついにその夕刻には、土城拘置 所に送られて身柄を勾留されました。公式には、鄭南榕は「選挙罷免法」違反の容疑で起訴されましたが、じつは、 これは当局からの迫害行為にほかなりません。なぜなら、鄭南榕が文章を書 き、雑誌を発行し、運動を呼び掛けるなどの行為とその影響力は、すでに当 局の統治を揺るがすほどだったからです。その結果、「選挙罷免法」違反を 名目に8ヶ月間も投獄させたわけです。 脅威を受けた鄭南榕は、これからも恐怖の中に生きていくよりも、直接に当 局に真正面から反抗する道を選びました。投獄された期間中、鄭南榕は日記を書き、彼の日常や感想、そして発想を記 録しました。口数の少ない彼ですが、日記の行間から少なくとも3つの顔を うかがうことができます。まずは、部下を信頼し仕事を任せられる経営者としての顔。投獄された時、 彼は雑誌社の運営のすべてをスタッフたちに委ねました。それは、はっきり とした仕事分担と協力体制ができており、たとえ鄭南榕が不在でも業務はス ムーズに運営できるようになっていたからです。 2つ目は、ひとりの行動的思想家としての顔。普段、雑誌社の運営策略を緻 密に考えるかたわら、政治・哲学・経済から台湾の将来まで数々のテーマを 常に思考していました。彼曰く、「身を挺して立ち向かい、自らのヌシにな るべきだ」と。彼は思考するだけではなく、誠実実行の精神で理想を追い求 め続けていたのです。 そして、誰とも同じ、人の子として、兄弟、友人、夫、父親としての顔です。 日記には、葉よう 菊きく 蘭らん 夫人が面会した時の様子や、娘の竹ちく 梅ばい の成長ぶりまで詳し く記録されており、そのことからも、家族愛の篤さがうかがい知れます。獄中日記の最後に、鄭南榕は「私たちは小さい国の小さな民。但し、私たち はよき国のよき民だ」と記しています。そして、これは台湾の未来の基礎だ と追記しています。この日は判決が言い渡される前日ですが、未知の判決結 果に直面していながらも、鄭南榕の関心事は依然として台湾の未来だったの です。--Hosting provided by SoundOn ...more
【鄭南榕と三大運動:(2) 逮捕されて投獄】1986年、最初の「519グリーンアクション」をへて、鄭南榕は国民党 政府当局にとって「目の上のたんこぶ」のような存在となりました。それか らほどなく、6月2日の朝、所管の派出所に呼び出された彼は、その途中で 中山警察署、続けて地方裁判所に移送され、ついにその夕刻には、土城拘置 所に送られて身柄を勾留されました。公式には、鄭南榕は「選挙罷免法」違反の容疑で起訴されましたが、じつは、 これは当局からの迫害行為にほかなりません。なぜなら、鄭南榕が文章を書 き、雑誌を発行し、運動を呼び掛けるなどの行為とその影響力は、すでに当 局の統治を揺るがすほどだったからです。その結果、「選挙罷免法」違反を 名目に8ヶ月間も投獄させたわけです。 脅威を受けた鄭南榕は、これからも恐怖の中に生きていくよりも、直接に当 局に真正面から反抗する道を選びました。投獄された期間中、鄭南榕は日記を書き、彼の日常や感想、そして発想を記 録しました。口数の少ない彼ですが、日記の行間から少なくとも3つの顔を うかがうことができます。まずは、部下を信頼し仕事を任せられる経営者としての顔。投獄された時、 彼は雑誌社の運営のすべてをスタッフたちに委ねました。それは、はっきり とした仕事分担と協力体制ができており、たとえ鄭南榕が不在でも業務はス ムーズに運営できるようになっていたからです。 2つ目は、ひとりの行動的思想家としての顔。普段、雑誌社の運営策略を緻 密に考えるかたわら、政治・哲学・経済から台湾の将来まで数々のテーマを 常に思考していました。彼曰く、「身を挺して立ち向かい、自らのヌシにな るべきだ」と。彼は思考するだけではなく、誠実実行の精神で理想を追い求 め続けていたのです。 そして、誰とも同じ、人の子として、兄弟、友人、夫、父親としての顔です。 日記には、葉よう 菊きく 蘭らん 夫人が面会した時の様子や、娘の竹ちく 梅ばい の成長ぶりまで詳し く記録されており、そのことからも、家族愛の篤さがうかがい知れます。獄中日記の最後に、鄭南榕は「私たちは小さい国の小さな民。但し、私たち はよき国のよき民だ」と記しています。そして、これは台湾の未来の基礎だ と追記しています。この日は判決が言い渡される前日ですが、未知の判決結 果に直面していながらも、鄭南榕の関心事は依然として台湾の未来だったの です。--Hosting provided by SoundOn
July 15, 2025鄭南榕記念館オーディオガイド 5.鄭南榕と三大運動:(2) 逮捕されて投獄4 minutesPlay【鄭南榕と三大運動:(2) 逮捕されて投獄】1986年、最初の「519グリーンアクション」をへて、鄭南榕は国民党 政府当局にとって「目の上のたんこぶ」のような存在となりました。それか らほどなく、6月2日の朝、所管の派出所に呼び出された彼は、その途中で 中山警察署、続けて地方裁判所に移送され、ついにその夕刻には、土城拘置 所に送られて身柄を勾留されました。公式には、鄭南榕は「選挙罷免法」違反の容疑で起訴されましたが、じつは、 これは当局からの迫害行為にほかなりません。なぜなら、鄭南榕が文章を書 き、雑誌を発行し、運動を呼び掛けるなどの行為とその影響力は、すでに当 局の統治を揺るがすほどだったからです。その結果、「選挙罷免法」違反を 名目に8ヶ月間も投獄させたわけです。 脅威を受けた鄭南榕は、これからも恐怖の中に生きていくよりも、直接に当 局に真正面から反抗する道を選びました。投獄された期間中、鄭南榕は日記を書き、彼の日常や感想、そして発想を記 録しました。口数の少ない彼ですが、日記の行間から少なくとも3つの顔を うかがうことができます。まずは、部下を信頼し仕事を任せられる経営者としての顔。投獄された時、 彼は雑誌社の運営のすべてをスタッフたちに委ねました。それは、はっきり とした仕事分担と協力体制ができており、たとえ鄭南榕が不在でも業務はス ムーズに運営できるようになっていたからです。 2つ目は、ひとりの行動的思想家としての顔。普段、雑誌社の運営策略を緻 密に考えるかたわら、政治・哲学・経済から台湾の将来まで数々のテーマを 常に思考していました。彼曰く、「身を挺して立ち向かい、自らのヌシにな るべきだ」と。彼は思考するだけではなく、誠実実行の精神で理想を追い求 め続けていたのです。 そして、誰とも同じ、人の子として、兄弟、友人、夫、父親としての顔です。 日記には、葉よう 菊きく 蘭らん 夫人が面会した時の様子や、娘の竹ちく 梅ばい の成長ぶりまで詳し く記録されており、そのことからも、家族愛の篤さがうかがい知れます。獄中日記の最後に、鄭南榕は「私たちは小さい国の小さな民。但し、私たち はよき国のよき民だ」と記しています。そして、これは台湾の未来の基礎だ と追記しています。この日は判決が言い渡される前日ですが、未知の判決結 果に直面していながらも、鄭南榕の関心事は依然として台湾の未来だったの です。--Hosting provided by SoundOn ...more
【鄭南榕と三大運動:(2) 逮捕されて投獄】1986年、最初の「519グリーンアクション」をへて、鄭南榕は国民党 政府当局にとって「目の上のたんこぶ」のような存在となりました。それか らほどなく、6月2日の朝、所管の派出所に呼び出された彼は、その途中で 中山警察署、続けて地方裁判所に移送され、ついにその夕刻には、土城拘置 所に送られて身柄を勾留されました。公式には、鄭南榕は「選挙罷免法」違反の容疑で起訴されましたが、じつは、 これは当局からの迫害行為にほかなりません。なぜなら、鄭南榕が文章を書 き、雑誌を発行し、運動を呼び掛けるなどの行為とその影響力は、すでに当 局の統治を揺るがすほどだったからです。その結果、「選挙罷免法」違反を 名目に8ヶ月間も投獄させたわけです。 脅威を受けた鄭南榕は、これからも恐怖の中に生きていくよりも、直接に当 局に真正面から反抗する道を選びました。投獄された期間中、鄭南榕は日記を書き、彼の日常や感想、そして発想を記 録しました。口数の少ない彼ですが、日記の行間から少なくとも3つの顔を うかがうことができます。まずは、部下を信頼し仕事を任せられる経営者としての顔。投獄された時、 彼は雑誌社の運営のすべてをスタッフたちに委ねました。それは、はっきり とした仕事分担と協力体制ができており、たとえ鄭南榕が不在でも業務はス ムーズに運営できるようになっていたからです。 2つ目は、ひとりの行動的思想家としての顔。普段、雑誌社の運営策略を緻 密に考えるかたわら、政治・哲学・経済から台湾の将来まで数々のテーマを 常に思考していました。彼曰く、「身を挺して立ち向かい、自らのヌシにな るべきだ」と。彼は思考するだけではなく、誠実実行の精神で理想を追い求 め続けていたのです。 そして、誰とも同じ、人の子として、兄弟、友人、夫、父親としての顔です。 日記には、葉よう 菊きく 蘭らん 夫人が面会した時の様子や、娘の竹ちく 梅ばい の成長ぶりまで詳し く記録されており、そのことからも、家族愛の篤さがうかがい知れます。獄中日記の最後に、鄭南榕は「私たちは小さい国の小さな民。但し、私たち はよき国のよき民だ」と記しています。そして、これは台湾の未来の基礎だ と追記しています。この日は判決が言い渡される前日ですが、未知の判決結 果に直面していながらも、鄭南榕の関心事は依然として台湾の未来だったの です。--Hosting provided by SoundOn