NYLON與我們的自由時代

鄭南榕記念館オーディオガイド 6.鄭南榕と三大運動:(3) 二二八事件の名誉回復


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【鄭南榕と三大運動:(3) 二二八事件の名誉回復】



1987年1月、8ヶ月間にわたる勾留の後、鄭南榕は無罪放免されました。 彼はすぐさま、来たる「二二八事件40周年」記念活動の準備を始めました。 二二八事件のおこった1947年に、外省人と台湾人のハーフとして生まれ た鄭南榕は、成長する過程で二二八事件に深く悩まされました。40年来、 国民党政府は二二八虐殺事件を忘れさせるために絶えずに人民を抑圧し、情 報を隠蔽した上で、人々を監視してきました。人々はその中で、公には敢え て口にすることなく、恐怖を心のなかに隠すだけでした。被害者とその遺族 たちは立ち上がることもできず、台湾人は敢えて政治に触れなくなりました。 二二八事件そのものは、まるで台湾という土地につけられた深い傷のようで、 その被害は台湾人全員の心の奥に沈殿していると、鄭南榕は考えました。ま た、この問題に直面するには、まずは二二八事件の真相を社会に公表しなけ ればならないと、彼は考えていました。


鄭南榕、陳永興 、李勝雄たちが組織した「二二八平和の日促進会」は、2月 13日に記者会見を開いてから、翌日台南で史上初の「二二八事件の名誉回 復運動」のデモ行進を敢行しました。それから鄭南榕たちは台湾全域の各町 で講演会とデモ行進を始めました。 デモを行進するには常に軍人、憲兵隊と特務の妨害を受けていました。大が かりの捜査、押収、封じ込め、こん棒の応酬などの行為を受けるほか、流血 をともなう衝突事件まで発生しました。しかし、鄭南榕はこれで足を止める ことなく、かえって台湾全土で名誉回復運動を継続しました。ある日、嘉義 という街でデモ行進をする際、鄭南榕と参加者たちは嘉か 義ぎ 駅の前で二二八事 件の被害者と遺族たちに最敬礼をおこないました。これまで、誰一人として 二二八虐殺事件によって傷ついた魂をなぐさめることはありませんでした。 しかし鄭南榕は、これはやらずにいられないことだと考えました。国家が黙 って何も語らない時、鄭南榕は率先して一歩を踏み出したのです。


それぞれの町でデモ行進や講演会をおこなううち、時として被害者の遺族が ひそかに涙を流しながら鄭南榕に握手を求め、感謝の声を上げました。鄭南 榕曰く、「我々が立ち上がったからこそ、彼らは後について行動することが できるわけだ。しかし、行動するとはいえ、やはり暗い隅っこに身を隠すし かないのだ」と。これは台湾史上初めて一人の人物が、公式に二二八事件を 記念し、真相を究明し、冤罪をそそぎ、名誉回復を要求したのです。これに よって各エスニックグループの間に和解をおこなう第一歩となりました。こ んにち、我々が「移行期の正義」を議論する際、「二二八事件の名誉回復運 動」は歴史的に最も大きなキーポイントになる時期といえるでしょう。

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NYLON與我們的自由時代By 鄭南榕基金會