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先の記事でツヴァイスタンの工作員が登場した。彼は鍋島惇への資金提供を行い、日本国内での協力者(エージェント)として利用した。熨子山事件から横道に逸れるようだが、これを機に今一度ツヴァイスタンと言う国と工作員(スパイ)についての記事を書きたい。
<ツヴァイスタンとスパイ防止法>
ツヴァイスタン民主主義人民共和国は中央アジアの共産国だ。一党独裁の政治体制を敷く共産国ネットワーク(通称CN)の主要国でもあり、基本的に自由主義経済権との国交はない。
ツヴァイスタンは自由主義陣営を敵視し、ことあるごとに自国の政策の失敗を自由主義圏の陰謀によるものとし、自国民を煽っている。この敵視政策で最も問題なのが我が国日本が主導して共産国に陰謀を張り巡らしていると定義していることにある。
ツヴァイスタンの我が国に対する工作活動は8年前の東京地下鉄爆破テロ未遂事件が記憶に新しい。テロの実行部隊は国際テロ組織ウ・ダバ。東京に地下鉄で同時多発的に爆発を起こして首都を混乱に陥れることを企図したものだった。しかし当時の公安はこれを未然に防いだ。その後捜査が進むに連れて明らかになってきたことがあった。ウ・ダバはツヴァイスタンからの多額の資金援助を受け、あの国からと指令を受けてこの事件を計画していたのである。この事実を踏まえ、時の政府はインテリジェンス機能の強化のためのスパイ防止法案を国会に提出。外国からの工作活動を封じ込めるための手を打とうとした。しかしこれに左派である野党が猛烈に反対した。国民の人権侵害に繋がるおそれがあるというのである。
野党の反対は想定の範囲内だった。しかし思わぬところからも反対意見が噴出した。法案を提出した当の与党内部からスパイ防止法の信義は一旦見送ろうという意見が出てきたのですある。
X氏はこういう。
「野党は与党の反対のことをするためにその存在意義がある。一方与党は政権を維持することに存在意義がある。そう考えると土壇場で味方であるはずの与党内部から土壇場で反対意見が噴出するのも理解できる。」
現在もそうだが、当時は日本の近隣諸国、とりわけ共産国の経済的台頭が目立ってきた時期だった。当時の日本はそれらの国の経済成長に乗っかる外需依存型の経済政策をとっていた。スパイ防止法はツヴァイスタンのような共産国からのスパイを取り締まるためのもの。この成立はそれら共産圏の国々の反発を買う。反発を買えば友好関係は棄損され、経済にも悪影響が及ぼされる。経済に悪影響がでれば票を失う。票を失えば政権の維持は難しくなる。
野党は人権、与党は経済とか票。その手の議論が国会内を覆い尽くし、気が付くとスパイ防止法議論からツヴァイスタンという存在は掻き消えていた。
「スパイ防止法が成立して誰が困るか。スパイ防止法が廃案になって誰が喜ぶか。」
このX氏の問いかけはシンプルであり核心を突いている。一般的な常識を持っていればこの解は直ぐに導き出せる。そうスパイである。そしてそのスパイに指令を出す敵対勢力である。
「当時すでに政治家や政権中枢にツヴァイスタンのエージェントが多数入り込んでいた。だから土壇場で論点を逸らして与党内の切り崩しが行われた。気が付くとツヴァイスタンのツの字も出てこない議論がそこにあった。」
X氏はこう私に漏らした。
これが事実であるとすらなば、政権中枢にすでにスパイの手が入っていながら、当時の国会はそれを排除することを拒否した。そしてあろうことかスパイ活動自体にお墨付きを与えてしまったということになる。
日本は間もなく戦後70年を迎える。日本の軍部が近隣諸国に侵略戦争をしかけ多大な迷惑をかけた結果、世界の反感を買い結果として日本は敗戦。国土は焦土と化した。日本はアメリカに負け、アメリカが勝利を収めたという見方が一般的である。しかしそれは本当のことだろうか。戦後の世界地図を見てみよう。朝鮮半島では北朝鮮、支那大陸では中国共産党、東南アジア諸国にも次々と共産国が樹立した。ヨーロッパ諸国でも共産国が多数誕生している。世界地図の多くが赤色に染まった。結果を見れば自由主義を標榜するアメリカも敗者であるといえるのではないだろうか。
戦前日本の中枢にはコミンテルン(共産党の国際機関 別名第三インターナショナル)が入り込んでおり、この勢力が巧みに日本を泥沼の戦争に引きずり込んでいったとされる説がある。日本の脅威はあくまでもソ連であった。しかしいつの間にかその矛先は支那事変の拡大、南進、アメリカへと変わった。結果日本はソ連とは真逆の方向に戦線を拡大。ソ連は日米双方が消耗しきったところで、参戦。火事場泥棒的にまんまと数多くの国々を自国の影響下に置くことに成功した。この現象は毛沢東が言ったとされる砕氷船テーゼをそのまま具現化したようなものである。
スパイ防止法廃案の流れもこのようなコミンテルンの策謀に似たような現象が起こっているのではないかとX氏は危惧する。
X氏はヴァイスタンの工作活動は現在でも活発であり、8年前のものよりも現在のほうがはるかに影響力は強いと言う。
ツヴァイスタンによる我が国への浸透工作の状況を危惧した彼は、私にあの国が具体的にどういった形で工作活動を行うのかの一例を教えてくれた。
<福井県の失踪した人物>
20年前、近畿地方の山間で土石流災害が発生した。日本の伝統的農業を継承し、牧歌的風景が評価される景色を有していたその地域は、カメラ愛好家の中で人気の場所であった。土石流はこの素晴らしい景色のすべてを破壊した。そして当時の住人と、その景色を抑えるために訪れていたカメラ愛好家の命を奪った。
土石流災害の死者行方不明者は8名。この中にいまだ行方不明の人物がいる。それが仁川征爾という当時高校生だった人物だ。
福井県の人里離れた山奥に瀬嶺村という廃村になった村がある。ここに残留孤児である仁川征爾の父親は辿り着いた。当時の地主は残留孤児の悲惨な状況を憂いて仁川の引き受けを買って出た。地主は彼に住まいを提供し日本語を教えた。仁川の父は勤勉で頭もよくわずか2年で日本語を習得、地元の工場にも勤務し、そこで日本人の女性と出会って征爾が生まれた。
征爾は写真が趣味だった。それはカメラ愛好家の父の影響によるものである。征爾は牛乳配達や新聞配達のアルバイトをして、フィルム代などを捻出して暇さえあれば父のお下がりのカメラで写真を撮った。その腕前はなかなかのもので、地域の新聞社が主催する写真コンテストで入賞するほどであった。当時の嶺南新聞の記事を見つけたのでここに貼っておく。
征爾はコツコツ貯めた金を使って時々遠征をするようになる。遠征先で見る新しい景色と向き合うことで征爾は腕に磨きをかけていくのであった。
しかしそんな中、彼は遠征先で運悪く土石流災害に遭う。
災害が起こっていつまでたっても征爾の安否が明らかにならないことに両親は精神的に追い詰められた。心労がたたったのかそれから間もなく事故で父親と母親が死亡する。
残留孤児という社会的ハンデを克服し、なんとか日本社会で再起を図ろうとしたひとつの家族の血がここで絶えることとなってしまった。私はこの取材を通して当時の地主から依頼されたことがある。未だ征爾は行方不明。せめてこの安否だけははっきりさせて欲しい。もしも何らかの形で征爾が生き延びているならば、彼の父が使っていたカメラを使って、その姿を映してくれと。私は地主から仁川の遺品であるカメラを預かった。
災害から20年。人々の記憶からあの悲惨な情景は消えつつある。そんな中で私個人の力で征爾の安否をはっきりさせるのは難しい。私はダメ元でX氏に協力を仰いだ。意外にも彼は私の依頼をすんなりと引き受けてくれた。私は彼に仁川のカメラを託した。それから数日後、X氏は私にこう言った。
「仁川征爾は生きている。しかしその人間は土石流で行方不明になった仁川征爾ではない。」
X氏の言葉の意味がわからない私は戸惑った。彼は続けてこう言う。
「背乗り。ツヴァイスタンがよくやる手口だ。」
背乗りとは戸籍を乗っ取ることで、その人物になりすます行為を指す。X氏は仁川征爾を名乗る男の写真を携帯で撮って私に送ってきた。私は先ほどの嶺南新聞の仁川征爾の写真とそれを見比べた。結論は全くの別人である。
X氏は現在の仁川征爾の情報を私にもたらしてくれた。福井県出身。38歳。東京第一大学卒業後、大手商社に勤務。現在石川県の人材派遣会社の社長であるそうだ。
<仁川両親の死の謎>
さらにX氏は衝撃的な事実を明かす。
「仁川征爾の両親は事故死とされるがそれは嘘だ。事故に見せかけて殺された。」
征爾の両親は自宅近くのカーブが続く道でハンドル操作を誤って、車ごと崖から転落した。一見ありそうな事故であるが不可解な状況が記録されているという。当時の現場の状況を示す資料を見るとブレーキを踏んだ跡がないとのことなのだ。通い慣れた自宅近くの道での事故にも関わらず、危険回避動作が全くされていない。これは地主も同じことを話していた。そのため子供の安否がわからないことを苦にした仁川が、妻とともに心中を図ったのでないかと噂されていた。しかしX氏はこれを殺人であると断じる。
瀬嶺村は若狭湾の山間の集落。ここは原子力発電所の集積地で、原発銀座とも言われる。度重なる不幸が仁川家に押し寄せたそのころ、この辺りは原発の新規建設ラッシュであった。幾つもの半島からなるこの若狭湾地方は原発誘致によってヒト・モノ・カネが集まりだした。原発は我が国の科学技術の粋を集めたもので、産業スパイが入り込まないよう当時の公安は警戒をしていた。そこで公安はある人物の存在を確認する。この人物を仮にSとしよう。
原子力工学の専門家であるSがこの時期に若狭湾周辺にいることは何の不思議もないことだった。何故Sが公安にマークされていたか。そうツヴァイスタンへの渡航歴があったためだ。日本を敵視する国交のない国ツヴァイスタンを行き来する人間。これには必然的にスパイの疑いがかけられる。
「当時ある空き家から乱数表が発見されたり、不審な船を目撃したとか、妙な短波放送が飛んでいるといった報告が寄せられていた。」
X氏はこう言って持論を展開する。
当時、若狭湾周辺はSだけでなく他にもスパイは複数いた。それらは辺りのめぼしい住民に金を渡し、協力者(エージェント)として取り込んだ。なぜ彼らは協力者を募るのか。それはスパイ自身が動くといろいろと足がつきやすいためだ。あくまでも実行部隊は現地協力者。むしろスパイ自身は主にそれらを組織して監督・調整をするほうに活動の主軸を置く。仮に特定のコミュニティの内部情報を得たいとする。その場合、スパイ自身がそこに乗り込んで自ら情報を仕入れるような真似はしない。そのコミュニティにすでにつながりがある人間にスパイが接触。その人間と信頼関係を構築し協力者とする。そして協力者に情報を獲ってきてもらうと言った具合だ。
仁川は事故当日、自分の車を自動車修理工場に入れている。その時の修理記録はエンジンオイルの交換と各種点検だ。そんな整備済みの車が突如ブレーキの不具合などを起こす可能性は低い。当時の警察の記録はブレーキオイルが全くない状況だったとの記載があるが、前後関係を考えてそんなことがはたしてあり得るだろうか。仮にそれが事実だとすると、その修理工場が車の走行中徐々にオイルが抜ける細工を施したとしか考えられない。当時Sをはじめとするスパイが若狭湾周辺に潜伏して現地協力者を組織していた。仮にこの修理工場が協力者だったら…と考えると身の毛もよだつ。その修理工場は仁川の事故後暫くして店をたたみ、経営者家族はどこかに行方をくらました。仁川家の存在はこの事件を持って世間から消し去られたのである。
「待って…。この記事にあるSって…。」
相馬は唾を飲み込んだ。
「おい。相馬おめぇこんな時に何携帯なんか見とれんて。」
「まて...まてま…長谷部。お前もこれ読んでみぃま…。」
「あん?」
車を止めた長谷部は携帯を手にして相馬同様「ほんまごと」を麗と一緒に読み始めた。