このブラウザでは再生できません。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
17時半
「おい!椎名!マサさん!返事しろ!」
片倉が無線機から何度も椎名と富樫の名前を呼ぶ声が聞こえていた。
「Слава Отечеству。」
「では始めよう。」
椎名は車両の中のキャビネットをまさぐり、武器を手に取り始めた。
「あぁすいません。無線の調子が急におかしくなってしまって。」
「なんや、ジャミングか。」
「わかりません。急に音が聞こえなくなってしまって。」
「椎名は。」
「出ました。」
「なに?」
「いま車から出ました。」
「な、もう!?」
森本の前に座る椎名はにやりと彼に微笑み返した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
交番の中で待機していた古田はおもむろに立ち上がった。
「どうしたんですか。」
相馬が声をかける。
「ちょっくらビルの方にいってくる。」
この場にいる古田、相馬、児玉、吉川はいま商業ビルで何が起きているのかを無線を通じて把握している。
相馬「今から行ってどうするんですか。」
古田「あそこには久美子がおる。」
相馬「久美子…。」
相馬の表情が曇った。
古田「ワシの最重要任務は久美子の観察と保護や。いまワシがここに居ることは主任務じゃあない。」
相馬は何も言えなかった。
「なんだ。久美子ってのは。」
吉川が尋ねた。
しかしこれを説明するには時間がかかる。
相馬「公安特課重要監視対象です。鍋島能力の真相解明の鍵を握るとされる人物です。」
古田は6年前の鍋島事件から、この久美子の監視要員として警察との雇用契約を結んでいる。そう相馬はざっくりと説明した。
吉川「ならばやむを得んな。」
吉川はどこか残念そうな顔である。
古田「久美子の保護が確認されれば、すぐに戻る。もしも情報があればすぐに寄こしてくれ。」
こう言って古田は交番を飛び出して駆け足でビルに向かった。
「どうした吉川。」
古田が駆けていく様子を窓から見つめる吉川に児玉が声をかけた。
「なんだろう…。猛烈に嫌な予感がする…。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「はい。みなさん!押さないで!落ち着いて!」
商業ビルの一階正面入り口に来ると、警察官が避難誘導をしていた。
今日は5月1日金曜日。明日は土曜。明後日は憲法記念日。翌日はみどりの日。そして5日はこどもの日だ。いわゆるゴールデンウィークの後半戦が明日から始まる。4月29日の昭和の日から有給休暇を巧みに利用して、すでにゴールデンウィークに入っている人も少なくない。アパレルと飲食、映画館間が入る商業ビルのウィークデーの客の入りはさほどでもないが、この日の17時半現在のここは、観光客を含めてかなりの客数であった。
「おい。」
古田は警察手帳を警察官に見せた。
古田の階級は警部である。県警本部では課長補佐、警察署では課長クラスであるため、この手の現場警察官より大体が上位の階級となる。
「どうや。誘導の状況は。」
発砲があり、一部の人間が上階に戻ってしまった。そのほかは順調にビルから捌けられている。そう彼は答えた。
「一部の人間って。」
「外国人です。日本語が分からないんです。そこにこのパニックです。通訳もいませんので手を焼いています。」
古田は彼の労をねぎらう言葉をかけ、そのまま上階目指して歩き出した。
エスカレーターは止められていた。
普段は登りと下りというように使い分けされているが、一階から二階へ続くエスカレーターは両方が下り専用の階段となっていった。
ここを逆流するように進むのは無理だ。
古田は業務用の階段を探し、それを登り始めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「はぁ、はぁ、はぁ…。」
マイペースに山を登るのと違って、今は一刻を争う状況。はやる気持ちと同じペースで階段を上った古田の呼吸は大きく乱れていた。
3階まで上がって山県久美子が勤務するショップの様子を覗う。そこはすでにもぬけの殻であった。
「もしもし。ワシや。」
古田は電話をかけた。相手は古田の代わりに山県久美子を監視していた協力者である。
商業ビルからの避難のアナウンスが流れ、彼女は店の売上金などを手にして業務用の階段で一階に移動。途中、オーナーらしき男性と合流したところで発砲音があり反転、上階へと移動したという。
「お前さんは。」
「近くにいると怪しまれると思ったので、一旦ビルから出ました。」
ならばここからは自分が久美子を見に行く。そういって古田は通話を切った。
「確かここは7階建てやったよな…。」
3階まで上がってきてこの息の切れ具合である。7階まで果たして自分はたどり着けるだろうか。などと泣き言に近い声を発した。そして手すりにつかまり、古田は一歩を踏み出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
商業ビルの7階は映画館がはいっている。スクリーン数は全部で9つ。
軽食を販売するコーナーの前にはソファが並べられており、そこに一階から避難してきた外国人が座っていた。
「お願いだから下に降りてください。」
誘導に当たっている警察官が日本語でこう彼らに呼びかけるもシカトである。
お互いがよく分からない言語で何かを話し、どこかおどけているようにも見受けられた。彼らの表情には危機感というものがない。ひょっとするとこのパニック状態を楽しんでいるのではないか。そう警察官は感じた。
「こちら7階。だめです。呼びかけに応じてくれません。」
「応援は到着したか。」
「いいえまだです。」
「おかしいな…。もう到着しても良いはずなんだが…。」
「どうしましょうか。あいつら完全無視です。」
「仕方が無い。携帯の翻訳アプリとかでなんとかコミュニケーションをとってみろ。」
「携帯アプリですか…。」
警察官はその発想はなかったと、思わず手を叩いた。
「何語しゃべっとるんや。」
「多分…英語…。」
この警察官。外国語のことはとんと分からないクチの人間らしい。そのことを無線を通じて悟ったのか、指揮を出すもそこで思わず黙ってしまった。
ここで携帯アプリを起動させようとしている警察官の肩を叩く者があった。
森だった。
「お困りのようね。」
手を差し伸べる彼のエレガントな様子に反して、その息は階段を上ってきたことによって見事に切れており、そのアンバランスさが警察官の笑いを誘った。
「なっ何よ…人が…親切心で…言ってるのに…。」
「英語だったら…私、少しは…。」
森の隣で同じく息を切らしている女性がかろうじて声を発した。久美子だ。
「本当ですか!それは助かります。」
「一体…なにが…あったんですか…。」
「実は爆発物が見つかったんです。」
「はぁ…はぁ…。…え?」
久美子と森が固まった。
「で更なるテロの兆候があるため、このビルから民間人は退去して欲しいんです。」
「嘘でしょ!」
森の大声に軽食コーナーにたむろする外国人達が一斉にこちらを見た。
「こっち見ましたよ。」
「話しかけには応じてくれそうね。」
「私通訳しますから、一緒に来てください。」
久美子は警察官の手を引っ張って、彼らの前に立った。
警察官「このビルで爆発物が見つかりかりました。その処理をするので、このビルにいる人は全員退去してください。」
久美子「An explosive device has been found in this building. We are in the process of handling it, so everyone in the building must evacuate immediately.」
久美子が通訳する言葉に彼らの中のひとりが応えた。
黒人「Why? I’m not afraid of explosives. Just go ahead and handle it without me.どうして?俺は爆発物なんてへっちゃらだ。勝手に処理してくれ。」
久美子「I understand you might feel confident, but for your safety and the safety of others, it’s crucial that everyone evacuates the building. The situation is being handled by professionals, and it’s important to follow their instructions.わかりますが、あなたの安全と他の人々の安全のために、全員がビルを退去することが重要です。専門家が処理を行っていますので、彼らの指示に従ってください。」
警察官をすっ飛ばして久美子が外国人に返答した。
「Hey, lady. I’m really enjoying this empty movie theater. Just look at it—I’ve only seen such a cool scene in zombie movies.おいおいねぇちゃん。俺はこの人がいない映画館の空間が気に入ってるんだ。見てみろよ。こんなクールな光景はゾンビ映画でしか見たことないぜ。」
「I get it, the atmosphere is definitely unique, but for your own safety, it’s best to leave for now. You can always come back when everything’s safe, and the experience will be even better!わかります、その雰囲気は確かに特別ですね。でも、今は安全のために退去した方がいいですよ。すべてが安全になったらまた戻ってきて、さらに良い体験ができるはずよ!」
「You’re talking about safety, but that would be a problem for me.安全って言うがよ、そうなっちまうとこっちが困るんだよ。」
こう言うと久美子と会話をしていた黒人が素早く銃を取り出した。そしてそれを即座に天井に向けて数発撃った。
パンパン
思わず久美子と森、そして警察官はその場にしゃがみ込んだ。
「Just stay calm.おとなしくしてな。」
「What are you doing!?」
大きな声が聞こえた。その方を振り返るとサングラスに制服姿の警察官がアサルトライフルを構えてこちらに向かってきていた。
「え?何だあいつの格好…。」
「どういうことですか。」
「警察官であんな物騒な銃持ってるの、SATくらいなんだけど…。」
「SAT?」
この時久美子はライフルを構えてこちらに向かってくる制服警官と目が合った気がした。
「Hey, what the hell did you guys do?」
「What did you do to Saki!?」
怒声のようなものを発しながら制服警官は銃を構えてこちらに近づいて来る。
「あの…何言ってるんですか。」
「お前達何やったんだ。さ…き?人の名前かしら…。サキに何したんだって怒ってる。」
「サキ?」
「…えぇ。」
「目を瞑れ!」
こう言って何の前触れもなく、制服警官が何かをこちらに向かって投げ入れた。
「伏せろ!」
咄嗟にその場の久美子と森、そして警察官は制服警官の指示通りの行動をとった。
「Sit!!!!」
閃光と同時に発砲音の数倍もあるかと思われる爆音が久美子の耳元で鳴った。
動けない。経験の無い轟音は人間の行動自由を奪った。久美子は閃光後うっすらと開いた目を持って、煙立つその場の様子をただ見つめるだけだ。
バタバタと人が倒れていく。
肉の塊に成り果てたものもあれば、痛みのためかその場でジタバタと身体を動かしている者もある。血が肉片が飛び散り、それが自分の手や頭に付着する感覚を覚えた。
聴覚が回復してきた。
キーンという耳鳴りのようなものの背後に連射する銃声が聞こえてきた。しかしそれもものの数秒で消えた。
「You dare to mess with us, knowing we’re Almiyaplavsdia…?」
「Yeah, I know everything.」
最後の銃声が聞こえた。
本当の静寂がこの場に訪れた気がした。
久美子はゆっくりと身を起こした。
信じられない光景がこの場にあった。
まるで戦争の一幕だ。
10名程度の遺体が自分の周りに転がっている。その遺体の様子に反射的に嘔吐をもよおした。
「大丈夫か。」
久美子の前方10メートルの距離に立った制服警官は彼女に声をかけた。
しかし彼女はそれに応えることはできない。目の前の状況を受け入れることができないからだ。
彼女は再び嘔吐した。
「大丈夫そうだな。」
こう言って制服警官はゆっくりとした足取りで止まったエスカレーターに向いたときのことだった。
「待って!」
背後から呼び止められた制服警官は振り向いた。
「あなた…。ここ数日、私のこと見てたでしょう!」
制服警官は床に座り込んでこちらを見つめる久美子の顔を見つめる。
「何のことかな。」
呟くように発せられた彼の声はきっと久美子には届いていない。だが久美子には彼の様子を見て何を言ったか感じとった。
「とぼけないで。あなたよね。遠巻きに店の様子を監視していたの。」
「…。」
「サキって何。」
彼の表情は一瞬固まり、次の瞬間には明らかに動揺が広がった。
久美子はそれを見逃さなかった。彼が「サキ」という名前に何か反応したのは確かだ。彼女は冷静さを保ちながらも、内心では手応えを感じていた。
「サキ…それが何なの?」
久美子は更に問い詰めた。彼の沈黙が続く間、彼女は視線を鋭くし、彼の目をじっと見つめた。静かな緊張感が辺りに漂い、時間がゆっくりと流れるように感じられた。
制服警官は、言葉を選ぶかのように、口を開くのをためらっていた。そして、ついにその沈黙を破るように彼は低い声で言った。
「サキは…関係ない。お前には関係ないことだ。」
警官は口を閉じ、久美子を見つめ返した。言葉にしづらい葛藤が見え隠れしていた。身を起こした久美子はそのまま一歩前に出て、彼に近づいた。
彼の目に浮かんだ葛藤の色が一瞬濃くなり、次の瞬間、制服警官は決断を下したようだった。彼は久美子から視線を外し、ふっとため息をつくと、何かを諦めたかのように顔を伏せた。
「じゃあな…。」
その言葉を最後に、彼は急に動き出した。まるで逃げるように、警官は背を向け、足早にその場を立ち去り始めた。久美子はその後ろ姿を見つめ、彼の言葉と行動に強い違和感を覚えたが、彼を追いかけることはしなかった。逃げるように去る彼の様子が、久美子の中にさらなる疑念と妙な安堵感を生み出した。
「何なの…。」
「あいつがあなたを見張ってた奴なの?」
ようやく森が身を起こした。
「な…に…。これ…。」
森の目の前に横たわる遺体の数々。その中には先ほどまで自分たちと会話をしていた警察官の姿もあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー