オーディオドラマ「五の線3」

206.2 第195話「生者の義務」【後編】


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大型のモニター群には、浅野川流域の濁流、金沢駅東口の冠水、そして各部隊の無線通話ログが並んでいた。
警報の断続音のなかで、状況監視班のオペレーターたちは端末に次々と入力を走らせていた。

その中央――防衛班長・佐藤陸将補が、報告書類を片手に首を上げる。

「金沢駅周辺、第14普通科連隊・川島一佐からの現地報告。人民軍の指揮系統は既に崩壊。武装集団の戦力も散発的。現在、戦術目標の終了とともに、音楽堂地下に取り残された民間人の救助支援へ転進中とのことです」

参謀幕僚の一人が補足した。

「特殊作戦群の黒木群長も、現場指揮下にある部隊の一部を南側へスライド。戦線は実質的に収束と見て差し支えありません」

佐藤が頷いたそのとき――

通信士の一人が振り返った。

「官邸より直通回線、入ります!」

オペレーターが切り替えた回線の先、壁の大型モニターに官邸地下の危機対策室が映し出され、櫻井官房長官が正面を見据えていた。

「防衛省、陸幕聞こえるか。こちら官邸、災害対策本部。もはや軍事状況よりも、金沢市民の安全確保が優先される局面に入ったと判断する。救助支援のため、必要な部隊を即時動員せよ。国は、今、命を守ることに全力を尽くす」
一拍の静寂。
佐藤は小さくうなずいた。

「――了解。第14普通科連隊、及び現地展開中の部隊へ指令を下ろします」

画面が切れた後、彼は部下たちに短く命じた。

「川島一佐の現地判断、正式に認可。災対法第83条に基づき、災害派遣任務への移行を即時実施。記録は後追いでいい。責任は俺が持つ」

情報幕僚が端末を叩き、即座に指令電文の入力にかかる。

佐藤は端末越しに金沢の航空映像を見ながら、唇の端を一瞬だけきつく結んだ。

「これが“戦後”というやつか……兵隊が、人を撃つ手を止めて、人を運ぶ手に替える。俺たちは、そこまで来た」


【官邸】


官邸地下の情報対策室。
モニターには金沢駅周辺の航空偵察映像と、災害対策本部からの情報が同時に流れていた。
浅野川の堤防決壊。駅周辺の浸水進行。もてなしドーム北側の冠水。状況は悪化の一途を辿っていた。

「……救出部隊を即時展開させます。自衛隊だけでは足りないわ。警察と消防の責任も示さねばならないわ。」

櫻井官房長官が静かに言った。決断は一瞬だった。
即座に上杉情報官が手元のタブレットに指を滑らせる。警察庁の指揮回線が確立され、次の瞬間には公安局の百目鬼理事官が接続先に表示された。

「百目鬼。現地はどうだ」
「……浸水進行中。現場機動隊は駅東口周辺の治安維持を継続中。音楽堂地下に駅からの避難民数百人が取り残されています。」
「救出に入れ。自衛隊は軍事対応で手一杯だ。ここは警察と消防が連携してやる局面だ。」
「……了解。すぐに公安特課主導で現場救出作戦に入ります。」

通信が切れた。


---
県警本部。
百目鬼が、無言で片倉の肩に手を置いた。
県警警備部公安課出身、そして現・特高班長。金沢入りして以来、百目鬼の右腕として作戦全体を実質的に差配してきた。

「……マルトクから現場に伝達だ。音楽堂地下に避難民が取り残されている。対象、数百。今すぐ救出に入る。」

百目鬼の言葉に、片倉は一度だけうなずき、無言のまま無線に手を伸ばす。その表情に迷いはなかった。

「機動隊、第一班は音楽堂正面から地下へ。第二班は外周の水位と安全ルートを確保。救助は消防隊と連携、搬送は一部自衛隊に預ける。」

周囲の隊員たちが迷うことなく動き始めた。誰一人、片倉の判断に疑義を挟む者はいなかった。
一拍の間。

「現場指揮は……俺が執る」

言い終えると同時に、片倉はヘッドセットを外し、指揮卓の椅子から立ち上がった。
百目鬼が、彼の背に声をかける。

「頼んだぞ、片倉。お前にしか任せられん」

片倉は振り返らないまま、低く答えた。
背筋を伸ばしたその背中には、長年、公安現場で修羅場をくぐった者の気迫がにじんでいた。


【金沢駅東口・市道を走行中の機動隊車両内】

暴風雨がフロントガラスを横殴りに叩きつけていた。車内の空調は切られて久しく、窓の内側には曇りが生じている。運転席を含め、誰一人として口を開こうとしない。バックミラーには、もてなしドームの崩れた骨格と、沈みかけた駅東口広場が映っていた。
その沈黙を破ったのは、突如鳴り響いた無線だった。

「機動隊、第一班は音楽堂正面から地下へ。第二班は外周の水位と安全ルートを確保。救助は消防隊と連携、搬送は一部自衛隊に預ける。」

言葉が終わるのを待たずに、車内の空気が固まった。

「……は……?」

助手席の機動隊班長が、一拍遅れて振り返った。眉をひそめ、疑念を隠さなかった。

「撤収命令が出てたはずだ……この車両だって、民間人搬送が目的だったろ」

その言葉を遮るように、後部座席から久美子が身を乗り出す。

「お願いです、引き返してください!」

班長が驚いたように彼女を見た。

「音楽堂に残ってる人たちは、私たちと同じです。あの人たちが置いていかれる理由なんて、どこにもない……」

一瞬の沈黙。隣で森が、静かに補った。

「そこには高齢の人も、ベビーカーの母親もいるはずよ。この洪水の中あそこに取り残されたら……手遅れになるわ。」

言葉は熱を帯びていたが、感情に溺れすぎてはいなかった。冷静さの中に、誇りと責任が混じっていた。
助手席の班長は、短く息を吐いた。そしてフロントガラス越しに、崩れかけた駅ビルの外壁を見つめた。
無線機を取り、声を張る。

「反転だ! 目的地を音楽堂地下避難所に変更。展開準備開始!」

タイヤが濡れたアスファルトを巻き上げ、水飛沫がルーフを叩く。ブレーキとハンドルが一斉に旋回し、車列は反転した。雨のベールの向こう――暗く沈みかけた駅前広場へ、再び戻っていく。


【石川県立音楽堂 地下避難エリア】
停電によって暗闇に包まれた空間。スマートフォンの微かな光だけが頼りだった。

「もう、電波入らん……っ。」
若い女性が不安げにスマホを掲げ、誰かが叫ぶ。

「どこかに……出口はないんですか!?」
「誰か来て……!」

子どもの泣き声が響き、駅員が必死に声を張り上げていた。

「落ち着いてください! ここは安全です……外と連絡は……」

その声も、すでに嗄れていた。
足元の水位は膝下に迫り、壁からは濁流がじわじわと染み出していた。浮き始めたゴミ、異臭、崩れた天井の破片。混乱の淵にある400人。

【久美子・森 現場到着】
機動隊車両が音楽堂前で停車。泥水がタイヤの半ばまで達していた。

「着いたぞ、ここで降りる!」

班長が声を上げると、後部ドアが開き、久美子と森が濁流の中に飛び出した。

「こっちです!中の構造、ある程度把握してます!」

久美子は自分のスマホに保存していた音楽堂の構造図を取り出し、森とともに非常階段へ向かう。
階段は既に浸水が始まっており、森が一歩踏み出した瞬間――

「うわっ!」

コンクリの破片に足を取られ、体を大きく傾ける。久美子が咄嗟に腕を掴み、なんとか踏みとどまらせた。
そのとき、後方からヘルメット姿の消防隊員が駆け寄る。

「警察ですか?こちら消防第六救助隊!地下の水位、あと30センチで限界です!」

久美子が振り返り、深くうなずく。

「わかりました……すぐ中の状況を確認して、搬送体制を整えます!」
「機動隊は二手に分かれろ!一班は地下の避難民誘導、もう一班は外周ルートの確保と自衛隊との連携だ!」

即座に班長は指示を出した。
久美子は民間人として、その状況判断力と情報提供の正確さで、間接的に現場対応を支えていた。
---
【地上:音楽堂南側広場】
豪雨が音楽堂南側広場を容赦なく叩きつけていた。
広場の一角には、警察・消防・自衛隊が混在しながらも秩序だった動きを見せている。濁った水が足首のあたりまで迫る中、自衛隊のゴムボートが次々と準備され、建物の柱にロープが括りつけられていた。

「こちら第14普通科連隊・副連隊長の川島一佐。」

川島一佐は、防水ケースに入った作戦地図を確認しながら、通信装置に指をかけた。
戦闘の最前線はもはや制圧済み。プリマコフ狙撃以降、人民軍の動きは明らかに鈍っていた。

(……もはや掃討戦。ここから先は、どれだけ早く“日常”に戻せるかだ)

彼は無線を開いた。

「百目鬼理事官からの要請を受け、音楽堂前へ援護部隊を派遣中。災対法第83条に基づき、臨時の災害派遣任務とする。第3小隊の一部が現場に到達済み、搬送支援の準備に入る。」

無駄な言葉はなかった。
上空には自衛隊のUH-60JAヘリコプターがホバリングし、そのサーチライトが暴風雨の中で建物の周辺を照らし出していた。
地上では、県警公安特課と消防隊員、そして自衛隊の陸曹たちが連携を取り合いながら、音楽堂内部から避難民を搬出するルートを構築していた。

「高齢者が多く、ストレッチャー搬送が必要です!」

小隊指揮官が川島に叫ぶ。

「了解。警察・消防との連携を最優先にしろ。民間人の救助が最優先だ」

川島はそう返しながら、視線を音楽堂の入り口に向けた。
そこでは機動隊と公安特課の隊員たちが次々と民間人を誘導しており、顔には疲労と緊張の色が濃く浮かんでいた。
水位はなおも上昇していた。雨は止まない。もはや現場の時間は、分単位ではなく秒単位で削られつつあった。
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