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今回のテロ計画はオフラーナの暴走であり、政府は一切関与していない。
またそのテロ計画をツヴァイスタン人民軍は、民間軍事会社アルミヤプラボスディアをして、阻止せしめようとしているわけだが、その内容はテロ実行部隊の殲滅を企図している。これはオフラーナの実働部隊であるウ・ダバの無力化のためで、この作戦で人民軍は、オフラーナに対して優位に立つことを画策している。
つまり今回のテロ計画を発端とした武力抗争は、日本を舞台にしたツヴァイスタン人民軍と秘密警察オフラーナとの権力闘争である。
そうツヴァイスタン外務省は認めた。
しかしオフラーナと人民軍、この二つの組織がツヴァイスタンの実質的な支配を行っている現状、政府指導部は彼らに歯止めがかけられない。ロシアに二つの勢力の仲を取り持つよう相談はしたが、他国の内政に関わる筋合いはないと突っぱねられた。
日頃、宗主国面して内政の様々に干渉してくるくせに、いざというときに知らん顔を通されたわけだ。
知らん顔ならまだしも、かの国はオフラーナと人民軍の双方の過激派に肩入れして、対立を煽ってすらいるようにも見受けられる。
このロシアに対して、ツヴァイスタン指導部も以前より不満を抱えており、近年の西側諸国との接近となっている。日本との友好関係構築もこの流れから来たものであると確認が取れた。
ともあれオフラーナによる目下のテロ計画は、20時間後に迫っている。先ほど指導部はオフラーナにテロ計画の中止を指示する文書を発出したが、それもどこでどうなっているのか、下に降りていない状況。指導部からストップを賭けるのは難しい状況だ。
事ここに至っては、日本政府の方に頼むしかない。それで今回の会談となった。
もちろんタダでお願いともいかない。
そこで先方から持ち出されたのは、ツヴァイスタンへ拉致されたとみられていた、特定失踪者に関する情報公開と、彼ら彼女らの返還だった。ツヴァイスタンとしては今回の両国政府の協力を持って、本格的な国交回復、経済支援を期待するというものだ。
「2,000人!?」
「はい。ツヴァイスタンに拉致された疑いがあると警察が発表しているの者は871名。民間団体がそれ以外にも470名程度はいるのではないかと言っていますが、それを足した数よりも遙かに多い人数です。」
「何てことなの…。」
鵡川政権の官房長官である櫻井淳子は驚きのあまり言葉を失った。
「因みに政府認定の拉致被害者は18名、うち6名は帰国済み。残る12名は既に死亡との奴らの回答でしたが、その情報にも誤りがあるとの話でした。」
「誤りとは。」
「まだ半数が生存していると。」
「何てことなの…。」
官房長官は頭を抱えた。
「ツヴァイスタン側は把握できている拉致被害者全員の即時返還を約束すると言っています。」
「即時返還とは。」
「今回のテロ事件が日本政府によって制圧された暁には、日を置かず直ちに。」
「しかし拉致の実行部隊は当のオフラーナであると聞いています。指導部のグリップが効いていない状況で、無理矢理そんなことをすると、拉致被害者にとっても危険な事になるのではないですか。」
櫻井官房長官の懸念はもっともだ。実力組織である秘密警察と軍が抗争に明け暮れている中、そのような芸当を誰がどうやってやってのけるというのか。
「地方の党委員会に指導部の手足となって動く連中がいるらしいです。」
「それで拉致被害者の安全は担保できるの?」
「それはできません。」
「…でしょうね。」
櫻井官房長官は首を振った。
「ですが、千載一遇のチャンスであるのは間違いないわ…。」
「はい。」
「共産党指導部の意見は一致しているの?」
これには上杉は首を振って応えた。
「博打ね…。国際世論だけが頼りになるわ。」
「ご明察です。」
すぐに鵡川総理と相談します。そういって彼女は電話の受話器を持ち上げた。
「待ってください。」
櫻井は手を止めた。
「総理に話す前に、官房長官にはお話しせねばならない事がまだあります。」
受話器を元の位置に戻した彼女は聞きましょうと応えた。
「先ほどの2,000人ですが、これはツヴァイスタン外務省が生存を確認している拉致被害者の数字です。拉致被害は警察が確認しているものでも戦後間もない頃から2,000年頃に渡っています。その間45年。この45年の内に病気や高齢によってあの土地で亡くなった方は少なからずいらっしゃるでしょう。」
「それは、つまり…。」
「お察しの通り、この人数を遙かに上回る人間が、奴らに拉致されていたという証拠です。」
櫻井官房長官は突きつけられた事実の重大さに身体を震わせた。2,000人、3,000人、いやもっと多くの国民の拉致を我が政府は今まで黙殺してきたのだ。生きて返還される喜びもあるが、それ以上に日本政府のこれまでの無為無策ぶりに激しく憤った。
が、大きく息をつくことで、いつもの平静を彼女は取り戻した。
しばらく黙って櫻井官房長官はひと言。
「ツヴァイスタンは亡くなられた方たちの情報もすべて把握していますか。」
「はい。それらすべての情報を公開する用意があると、申しております。」
もはや全面降伏と受け止められるほどの譲歩だ。あまりにもできすぎている話。
櫻井官房長官は疑いの眼で上杉を見つめた。
つい数時間前、櫻井はNSC(国家安全保障会議)において、椎名賢明の投降と協力状況について説明を受けた。
彼のいままでの動きはまさに今回のツヴァイスタン外務省申し出の露払い的なものと言える。
「今回の外務省の申し出は、先の仁川征爾の投降と協力に関係があるのかしら。」
「仁川に関してはらツヴァイスタン側には一切の情報を提供していませんのでわかりません。ですが…。」
「ですが、何?」
「今ほどツヴァイスタン外務省の交渉役として来日しているのは、外務省国際戦略調整局のエレナ・ペトロワです。彼女は仁川征爾の恋人である、アナスタシア・ペトロワの実の妹であることを我々は把握しています。」
「仁川征爾の恋人の妹?」
「はい。この仁川の恋人のアナスタシアは、反動的発言があったとかでオフラーナに逮捕され、現在でもその行方が知れません。」
「仁川の組織によって逮捕ですか…。」
「はい。エレナは以前よりこの仁川の存在を疎ましく思っていたようで、姉の連行によりエレナは仁川に対する悪感情を決定的にしました。」
「しかし今回、エレナは憎むべき対象の仁川と握っているかのような動きをしている…。」
「情報の世界で個人的な感情は抜きですが、遠く離れた国交もない国に身を置くもの同士。そして所属組織も全く違うもの同士が、こうも連携をとって動けるとは到底思えません。従って我々は仁川とエレナは別の意図を持って、今回の行動に出ていることが推察します。」
「偶然という事ね。」
「はい。」
「仁川の別の意図とは?」
「わかりません。ですが現在のところ仁川の協力が日本政府にとっても、ツヴァイスタン外務省にとっても、評価できる事であることは事実です。それだけで充分なのではないかと内調としては思料するところであります。」
「そうね。」
「ただ一点だけ、懸念がありますが。」
「アルミヤプラボスディアかしら。」
「はい。」
「それは心配ないわ。」
「と言いますと。」
「それについては自衛隊に任せてあります。最高司令官の鵡川総理も自衛隊に全幅の信頼を置いています。」
「はっ。勿論私どもも自衛隊を信頼しております。きゃつらの制圧は無事なされることでしょう。」
「では何が御懸念?」
「事後の国際関係です。ロシアとその友好国の中国は黙っていないでしょう。」
櫻井官房長官は顎に手をやる。
「それはあなた、米軍に睨みを効かせてもらうのよ。」
「その米国ですが、ジェレミー・カステリアン大統領の再選がやはり難しいのではとの情報です。」
「あなた、まだ5月よ。アメリカの大統領選挙は11月。選挙は最後まで分からないわ。」
「とはいえ我々としては全てに対して備える必要があります。」
「何が言いたいの。」
「野党進歩党のエリカ・ストーン候補にも張りましょう。進歩党は与党保守党に比べて、歴史的に見て対外政策に積極的に関与する傾向があります。」
「確かに進歩党は歴史的にみてその傾向はあるわ。けどエリカ・ストーンは女性よ。彼女が大統領になったら、それはアメリカ史上初の女性大統領の誕生だし、そんな彼女が外に強い姿勢をとれるかしら。」
「現在のカステリアン政権のスローガンはアメリカ第一主義。このスローガンは強いアメリカをイメージさせますが、結局のところ世界の厄介ごとから手を引いて、内向きになるスタンスです。事実カステリアン政権はNATOからの脱退検討しました。これは記憶に新しいところでしょう。」
「だからストーン女史がその反動で外向き姿勢をとるとおっしゃるの?」
「はい。」
櫻井官房長官はしばし考えた。確かに上杉の言葉は一理ある。
保守党支持層の中にカステリアン大統領の内向き過ぎる姿勢を嫌う勢力があるのは事実であり、これが急にエリカ・ストーン女史と交わりつつあるというのは以前から聞いていた。
「近頃、米国軍需産業トップ3であるFalcon Defense Dynamics、Atlas Arms Industries、Cerberus Systems CorporationのCEOがそろってストーン女史との会談を持ち、政治献金の提供を約束したとの情報があります。これを持って彼女の対外政策のスタンスを図ることができます。」
「ファルコン、アトラス、ケルベロス…。どれもカステリアン政権の軍縮の割を食っている企業ね。」
「はい。」
「わかったわ。ストーン女史には我が政友党から人を派遣します。」
「ありがとうございます。今のうちから次期政権とのパイプを作っておくことはきっと国益に適うことでしょう。」
「でもそれは今やる事じゃありません。」
「は?」
「私言ったわよね。今は5月よ。11月なんて先の話に力をかけるほど我が国には余裕はないの。」
今の説明における成果はなしか。上杉は嘆息した。
「上杉情報官。考えてもみなさい。」
こう言って櫻井官房長官は言葉を続ける。
「あなたは今回のテロ事件の後の国際関係に備えよとしてエリカ・ストーン女史に張れとおっしゃる。でもね。国際社会は仁義の世界なの。もしも今の段階で私らがカステリアンとストーンを両天秤にかけているなんて両陣営にバレてみなさい。それこそ保守党と前進党の両陣営から総スカンよ。総スカンならまだ良い。これがきっかけでシカトなんてされてみなさい。それこそ日米関係がひと昔前のように危機的な状況になるわ。そうなったらツヴァイスタンとロシアの思うつぼじゃないかしら。」
後ねと言って官房長官は続ける。
「ミリタリーミリタリーの関係は時の政権によって、そう左右されないものなの。今の自衛隊の姿は米軍が求める姿。だから時の政権が変わろうが、基本的な協力関係は変わらない。ここで風見鶏的な動きをする方が、政治的にもリスクを持つし、軍人同士の信頼関係にひびを入れかねないの。そのあたりの現実をもう少し見なさい。米軍は見ていますよ。我々日本が、今回のテロ事件をどう制圧するか。向こうも我々の実力を見ているんです。そして同盟国として値する存在かを試しているんです。ストーン女史に対する工作は今回の件が我々の力である程度抑え込めた暁にやればいい。私らは先のことよりも目下のことに全力を注ぐ。これです。いいかしら。」
ぐうの音も出ない。この女性は強い。上杉は出過ぎた事を詫びた。
「おわかりいただけて嬉しいですわ。」
櫻井官房長官は立ち上がり、机の上にある大きな地球儀に手をやった。そしてそれをゆっくりと回す。
「上杉情報官。先の大戦のことを考えてください。我が国は世界の半分を敵に回して、あの戦い方でした。しかし今はツヴァイスタンとロシアの二正面です。しかも今回はあのときみたいに戦端が切られているわけでも何でもありません。外交努力で我が国はなんとでもできます。」
引き合いに出す例が極端だ。反論しようとした上杉だったが彼女にそれは遮られた。
「組む相手を間違えず、アメリカと戦争さえしなければ、あのまま我が国は世界で最大で最強の国だった。私たちはそんなポテンシャルを秘めている。私はそう思うの。」
経験に学ばず歴史に学ぶ。その姿勢は政治家として評価できる。上杉は自分の歴史観とそう異ならない櫻井のものを評価した。
「今回のツヴァイスタン側からの提案は天佑としか言えないもの。話が出来すぎてイマイチ信用できませんが、私は賭ける価値はあると思います。上杉情報官。あなたはその提案内容をよくよく吟味して、拉致被害者の返還を実現するよう全力で臨んでください。」
「はっ。」
「人質救出は政府の責務です。直ちに総理との会談をセッティングします。あなたもその場に居なさい。」
「かしこまりました。」
「米軍の協力があって私たちの安全保障は成立する。これって自衛隊はいつまで経っても半人前的なイメージだけどそれは違う。米軍の全面的な協力さえあれば、私たちは無敵ということ。今の私たちは無敵になることを求められています。」
上杉が官房長官室を退出すると、自分と入れ違いに官房長官室に入っていく男があった。
野党前進党幹事長、仲野康哉だった。
ー目の前の危機を回避するために、対立野党の幹事長さえ協力者に引き込んでしまう豪腕…。
ー次期総理はこの方しかいない…。