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青と白のストライプ柄の機動隊車両が音楽堂側の道路に駐車した。
車の中では様々な通信機器が搭載されていて、頻繁にどこかと交信している様子だ。
「あと30分。」
腕時計に目を落とした富樫が呟いた。
「5分前に出るか。」
「はい。」
富樫と横に並ぶように座っているのは椎名賢明だ。この車両の中には彼ら二人と機動隊員3名。通信手が2名の総勢7名が居る。
椎名は窓に掛けられたカーテンに隙間を作り、そこからのぞき込むように外の様子を見た。窓に張り巡らされた鉄格子が視界を邪魔した。
鉄道の運休が発表された駅からは続々と人が捌けていた。バスを待つ人の列が目立つ。
視線を隣接の商業ビルのほうに移すと、そこからも人がバラバラと出てきている。彼らもこのバスの列に加わるのだろう。
「あの人達はどれくらいで捌けるんですか。」
「あと15分もすれば捌ける。商業ビルのほうの誘導も順調やと報告がはいっとる。」
「予定通りですね。」
富樫は椎名のこの言葉には返事をしなかった。
「まぁ商業ビルの方は全く予定されとらんかった緊急のメンテナンスやし、テナント側からかなりの突き上げをくらっとるみたいやけどな。」
「今日の夜に予約はいってた飲食店なんかもあるんでしょう。」
富樫は頷く。
「基本、アパレル関係が充実したファッションビルの体やけど、最上階が飲食階やしな。損害賠償もんや。」
「あれですか。機密費とかでなんとかするんですか。」
「よくそんなもん知っとるな。」
「勉強しましたよ。警察の仕組みとか。」
富樫は肩をすくめる。
「すいませんでした。」
「!?」
椎名は唐突に富樫に謝った。
「今の今まで富樫さんを騙していました。」
「…。」
「あなたには本当にお世話になりました。なので、どこかの段階でちゃんと謝らなければならないと思っていました。」
富樫は大きくため息をついた。
「いや…お前さんのツヴァイスタンでの話を聞いとるから、然もありなんって感じや。」
軽く息をつい居た椎名は富樫から視線を逸らした。
「薄々感じとったことや。けどそれが決定的やって分かったときは正直、なんちゅうか…。このとしの爺にしては、けっこうショックやった。」
「…。」
「女子力高いやろ。わし。」
「女子力?」
椎名はきょとんとした顔になった。
「知らんがか?女子力。」
「あ…えぇ…。」
「お前さんの知識も結構偏っとるな。もう少し広く浅く知識は入れておいた方が良いぞ。」
富樫はその大きな手で椎名の背中を軽く叩いた。
彼の手が椎名に触れたとき富樫は気がついた。ぱっと見では分からない華奢な感じを受ける彼だったが、触れると筋肉質な体躯であることを瞬時に感じさせるものがあった。
いや、触った感じがそうだというだけではない。言葉に言い表せない椎名の肉体の、精神の強靱さが手のひらを通して伝わったのである。
逞しさと同時に、とげとげしいまでの殺気のようなものだ。
それは富樫にそこはかとない恐れのようなものを感じさせた。
富樫は咄嗟に椎名の背から手を離した。
「確かに、自分の知識は偏っています。」
「…何か思い当たる節でも?」
「つい三日前のことです。片倉京子さんの仕事を請け負った際に、あの人会社を通さずに自腹で自分にその分の代金を支払っちゃいまして、返金することになったんです。」
椎名と片倉京子に妙な金の流れがあると言うことは、富樫も聞いていた。なるほどそういうことだったのかと彼はここで改めて理解した。
「そこであの人、妙なこと言うんです。手数料引かずにお金返してくれって。」
「手数料引かずに?」
「はい。5万円を振り込む場合は5万円+手数料になる。これが手数料を引かない振込らしいですね。で、手数料を引いて振り込む場合は5万円から振込手数料分を差し引いた金額を振り込む。これ、日本の商習慣みたいなやつらしいですね。」
「え?そうなん?」
「え?富樫さんも知りませんでした?」
「あ…はい…。」
この富樫の反応に、椎名は少し得意げな表情を見せた。
「そうなんや…そういう支払い方法があるんや…。」
それならことあるごとに手数料を引いての振込にしておけば、人生においてどれだけの説くが自分にもたらされただろうか。このようなゲスな思いが一瞬、富樫の脳裏をよぎったのを椎名は見逃さなかった。
「富樫さん。商習慣上の話ですよ。一般消費者はこのかぎりではありません。なので富樫さんには何のご縁もないルールです。」
それにこの習慣も現在は廃れていると椎名は付け足した。
「自分のこの国の情報は私が十八の段階で基本的に止まっています。よく考えたらそれからなんですよね。社会のことが分かり始めるのは。ですが、自分は社会のことを知りはじめる段階でにツヴァイスタンです。あの国の体制が本当の社会の形だと思っていました。そんな自分にとって日本の様々な社会常識を修得するのはかなり難しかったです。」
椎名はため息をつく。
「長かった…。」
その場に沈黙が流れた。通信機器とそれを操作する通信員の話し声だけがこの車内に響く。椎名と富樫の側には機動隊員が3名。腕を組んで目を瞑って座っている。かなりの無言の時間だった。
「椎名。」
沈黙を破ったのは富樫だった。
椎名はうつむき加減の富樫を見た。
「お前さん。はなからこのテロ計画を潰そうとしとったんやろう。」
富樫はそのまま動かない。椎名もまた固まっている。
「ツヴァイスタンから命からがら逃げおおせてきたように振る舞い、しかるべき年月を経て、ツヴァイスタンの密命を成就せしめようとこれまた振る舞ってきた。その間、お前さんは日本に対してもツヴァイスタンに対しても欺き続けた。」
「…。」
「すべては今日のこのテロを自分の手で潰すため。」
「…。」
「ツヴァイスタン当局に打撃を与えるため。」
「…。」
「そうなんじゃないんか?」
椎名は依然として動かない。顔を上げた富樫の目を直視している。
「返事はいらんよ。自分はそう踏んどる。それだけや。」
「…。」
「孤独やな。」
「…。」
椎名は富樫から顔を背けた。
「お前さんの復讐心をそこまでのものに仕立て上げたもの。ワシはそれに関心がある。」
「アナスタシア。」
「アナスタシア?」
椎名の発した女性名詞を復唱するかしないかのタイミングで、富樫の額にナイフが突き立てられた。
その場にいた機動隊員による犯行だった。
彼は別のナイフを取り出すとそれを椎名に投げ渡した。ナイフを手にした椎名は彼と一緒にその場にいる機動隊員全員を瞬時に斬り殺した。
「クリア。」
通信員のひとりが返り血を浴びた様子でふたりに合流した。
椎名は富樫の額に刺さっていたナイフを引き抜いた。
「少佐。この男は何者ですか。」
「俺を365日24時間監視していた男だ。」
椎名は血塗られたナイフをそこにあった布で拭きながら応えた。
「話を聞いていると、かなり鋭い観察眼を持っているようでしたね。」
「いい加減俺の本当の立場に気づかれそうだったので、ここに引っ張り出した。」
機動隊員の彼は黙って頷いた。
「富樫は通称マサだ。声色の真似はできるな。」
「これでどうでしょう。」
機動隊員は富樫の声真似をした。
「上出来だ。」
とりあえずこの場に倒れる者達の所持品などを検めておくように椎名は機動隊員と通信員に指示を出した。