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金沢駅隣接の商業ビル。ここでは30分前から施設の緊急点検を行うということで、ビルに入居する店舗と来店客に一斉退去を求めていた。
山県久美子が店長を務める店舗も例外ではなく、アルバイトを先に帰宅させた彼女は売上金や釣り銭を手持ちの巾着袋にまとめて、それを抱えて業務用の階段で移動していた。
「久美子!」
人の流れに逆らうようにこちらに向かって来る者があった。
オーナーの森である。
彼女らは一旦人の流れから距離をとった。
「なんだかショップの方が騒がしいって聞いてきたら、なにこれ。」
「設備に不具合があったらしくて、緊急の点検のため全員退去しろって。」
「そんな馬鹿なことある?」
契約警備会社だけでは対応ができないのか。POLICEと書かれたジャケットを羽織る人員もその誘導にかり出されていることを森は久美子に指摘した。
「ひょっとしたら爆発物とか見つかったのかもしれないわよ。」
「確かに…警察まで出てるって普通じゃ考えられませんね。」
「正直なこというとパニックになっちゃうから。」
もしもそうだったらこんなところで油を売っている場合ではない。森は久美子の手を握って業務用階段を駆け下り出した。
そのときである。階下からぱんっという乾いた音に続いて悲鳴が聞こえた。
「なに…。」
ふたりは足を止めた。
階下からは人が撃たれたとの声が聞こえてきた。
「ちょっと…これ、何?一階の出口に銃を持った奴がいるって言うの?」
「…それだと、このビルから出れないですね…。」
今まで下へ下へと流れていたものが、逆流するように上に上がってきた。
「ちょっと!あんた!」
森は側に立っていた警察官らしき男の袖を掴んだ。
「何よ!何が起こってるの!?」
警察官は頭を振る。自分も状況を把握できていないとのことだ。
「何よ!役立たず!」
森はこう吐き捨てると久美子の手を取って最上階へと進路を変更した。
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「商業ビル班から本部。」
現場からの無線がテロ対策本部に入った。
「はい本部。」
「現在、商業ビル一階で発砲事件が発生。けが人が数名出ています。」
「なに!」
片倉と岡田は立ち上がった。
「犯人は!」
「避難誘導の人混みのため、対象特定できず。現場は混乱しています。」
「現場の安定と市民の安全確保と避難。引き続きこれを最優先に対応されたい。」
「しかし犯人が取り押さえられないと、現場の混乱を鎮めることができません。一階から再び最上階へ移動する人も出てきています。」
「そこをなんとかしろ。」
無茶な指示だと分かっている。分かっているが今こちらにできることはない。岡田は全てを現場に委ねた。
「それでいい。」
片倉が岡田をフォローするように言った。
「こちらがどうこう指示を出す状況ではない。」
ただし言って片倉は無線マイクに口を近づけた。
「本部から商業ビル班。」
「はい。商業ビル班。」
「現在こちらも対応方法を検討中だ。それまでは対応は全て現場に任せる。最良と思われる対応をとってくれ。責任はこちらが全てとる。都度の報告は無用だ。ただしどうにもならない状況になったら即座に報告をしてくれ。そのときはこちらで別の対応を図る。」
「了解。」
岡田は思いきった判断をする片倉を横に見て得心がいったようだった。
「椎名。」
「はい。」
「いまの無線聞いたか。」
「はい。」
「どう見る。」
「始まったのかもしれません。」
「予定より早いぞ。」
「不確実性というものもあります。始まったとみてこちらも対応を始めましょう。」
「どうする。」
「商業ビルの民間人を強制的に音楽堂に避難させてください。」
「強制的に。」
「はい。金沢駅構内の民間人も同様です。」
「爆発物が見つかった、テロの兆候があるとしてか。」
「それでいいと思います。ビルの中で発砲した犯人はおそらく人混みに紛れて、既にどこかに逃亡したものと考えます。奴らを捜索するのは現時点で労力の無駄です。次なるテロの恐れがある。このフレーズで大衆は自分にとって何が一番脅威になるか理解するはず。素直に言うことを聞いてくれるでしょう。」
片倉は分かったと言って、この椎名の対応案を現場に伝えるよう指示を出した。
「SATは。」
「まだ不要です。ビルの発砲はおそらく威力偵察です。ヤドルチェンコは見ています。軽く一発殴って、相手がどう出るかを。」
「ここで派手な対応を始めると、手の内をさらけ出してしまうって事か。」
「はい。それこそ思うつぼかと。今は静観し、粛々と避難を進めましょう。」
「マサさん。」
「はい。」
「そこから見たビルの様子、金沢駅全体の様子はどうや。」
「ビルからは蜘蛛の子を散らすように人が出てきています。彼女らは機動隊員に誘導されて、音楽堂に移動しています。バス待ちの人らもビルの様子を見て身の危険を感じたのか、同じく音楽堂へ移動しています。」
「金沢駅からは人がいなくなりつつある。」
「その通りです。順調です。」
「しかしあれだな…。」
片倉はこういってしばし沈黙した。
「椎名の言うとおり、これが威力偵察やとしたら、金沢駅から民間人は全て避難させた。駅におる人間はなにかしら警察関係者ばかり。その状況をウ・ダバは知った上で行動するっちゅうことや。」
「はい。」
「そんなところにウ・ダバは攻撃をしかけてくるやろうか…。」
「飛んで火に入る夏の虫ですからね。」
「そうなんや。」
「来ます。」
椎名が二人の会話を遮った。
「来させるんです。」
「どうやって。」
「攻撃命令を私が出します。」
「え?」
そう言うと椎名は無線を切った。
そして車両の中にいる機動隊員の姿をした男、通信員に扮した男の二名を前にあらためて座り直した。
「君たちの名前を聞こう。」
「森本 翔太 であります。アルミヤプラボスディアでトゥマンの後方支援を担当しています。」
機動隊員が返事をした。
「高橋 昇 であります。」
通信員が続いた。
「同じくアルミヤプラボスディアでトゥマンの後方支援を担当しています。」
おそらく偽名であろう。ただしどちらも日本人であることは、二人の言葉の流暢さから分かる。
「俺は今から鼓門の方に行く。これはウ・ダバ側への俺からの合図だ。奴らはすぐ近くの場所に待機している。俺の姿を見て作戦開始が早まったのは理解するはずだ。俺がこの車両を出たその時からトゥマンの作戦開始となる。」
森本も高橋も表情に緊張の色が見える。
「同志森本。」
「はっ。」
「君はこのままこの車両に留まり、富樫として振る舞って公安特課の攪乱をせよ。富樫が死んだことに気づかれた段階で同志の任務は終了だ。」
「はっ。」
「同志高橋。」
「はっ。」
「君もこの車両に留まって、同志森本と共に公安特課の攪乱に従事せよ。時折偽情報を織り交ぜることを怠るな。撤収時期は同志森本と相談の上決定せよ。」
「はっ。」
「本作戦は祖国ツヴァイスタン人民共和国の極東地域における軍事的プレゼンスを強化せしめるためのものである。各員一層奮励努力せよ。」
椎名は自身の左胸に右拳をたたきつけた。
「Слава Отечеству。」
森本と高橋も椎名にならって同じように右拳を胸にたたきつける。
「Слава Отечеству。」
「では始めよう。」