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「どうや。」
片倉の問いかけに古田は頭を振った。
「ほうか…。」
抜け殻のように取調室で佇む佐竹を窓から覗きこみながら、片倉はため息をついた。
「あぁトシさん。村上のほうは回復しとるみたいやぞ。」
「おう、ほうか。」
「意識ははっきりしとるし、じきに取り調べもできるやろ。」
「…岡田のタックルがなかったら、今頃全部ぱあやったな。」
古田と片倉は取調室を後にした。彼らは北署一階にある喫煙所へと向かった。
「どうなったんや。佐竹の立件。」
古田の問いかけに片倉は苦い顔をした。そして頭を掻いた。
佐竹が村上を撃ってしまった要因のひとつに、佐竹に村上の情報を聞き出してくれと依頼した、警察側の落ち度もある。これが世間に明るみになると、違法捜査の上、民間人を巻き込んだとマスコミ各社から叩かれるだろう。提案者の古田も採用者の松永も、本部長の朝倉も、現場に居合わせた片倉も相応の処分がされる。現時点ではマスコミには容疑者村上が佐竹を害する恐れがあったので、やむなく狙撃したと発表している。
途中、北署正面玄関口のロビーを通過した。事件当日には大手マスコミ各社をはじめとした報道関係者が、北署の前にずらりと並んでいたが、それはいま見る影も無い。マスコミ関係者らしき人間が時折、捜査課辺りをウロウロしている程度である。
「処分保留。釈放やな。」
「上はそう言っとるんか?」
「ああ…。」
「本当にそれでいいんか?ワシは処分を甘んじて受けるわいや。」
古田のこの言葉に再度片倉は苦い顔をした。
「トシさん。あんたはもう時期定年。やからそれでいいかもしれんけど、俺とか松永とか本部長はどうすれんて。生活とか家族とかいろいろあるやろいや。」
「んなもん知らんわいや。」
「だら。」
「だらっておまえ…。」
「あのな、トシさんひとりの問題じゃねぇげんぞ。」
「何言っとれんて、当初発表したマル被は死んでました。んで別の人間でした。でもその人間は逮捕時に怪我をしたんで、いま病院ですって時点で警察全体の信用失墜やがいや。」
「ほんな事よりも世間は別の方を見とる。トシさんも分かっとるやろいや。」
「本多か。」
ふたりは喫煙所に入った。そして煙草を加えてそれに火をつけた。
「そりゃそうやわ。おとといの朝入った検察のガサの方が世の中的にはでかい話なんや。何しろ本多、マルホン建設、仁熊会、金沢銀行、役所そして警察が関わる大不正事件。政界の大物が失脚する可能性があるスキャンダルやぞ。」
「それはそれやろいや。とにかく今回のヤマはワシの提案が佐竹を巻き込ませた。これはどう考えてもワシの落ち度や。」
「なのなぁ、検察のヤマはウチら県警が絡んどるって時点でズタズタなんや。ほんねんにわざわざおーいこっちの熨子山のやつにも残念な話があるぞってマスコミに手を上げることはねぇやろ。」
古田は黙った。
「いま世間の耳目はあの政官業の癒着の話で持ちきりよ。」
「ワシはそれが気に食わんげんて。」
「どこが?」
「どいや、今のマスコミは旧来型の利権構造の闇を司直が裁くって構図で話を作っとるやろいや。何とかして与党の大物政治家を引きずり下ろそうって躍起や。けどな、あっちはいいもんでこっちはわるもんなんて、ほんな単純な構造じゃねぇわいや。いろんな人間の思惑が複雑に絡まった事件なんや。ほんねんになんねんてあいつらは。」
「トシさん。あのな、あんたの言い分も分かっけど、世の中的にはその方が分かりやすいの。ね。それにまだ捜査中でしょ。何でもかんでも詳らかにできないでしょ。」
古田は明らかに面白くない風の顔つきである。
「それにな、世の中の人間は真実なんて結構どうでもいいんだよ。でけぇ力を持った奴が一気に転落していく様が面白いんや。悪もんがでかけりゃでかいほど話は盛り上がる。なんちゅうかいわゆる勧善懲悪劇。これやわ。これが見たいだけなんや。」
「…わかっとる。わかっとるから歯がやしいげんわ。」
片倉は頷きながら咥えていた煙草を灰皿に擦り付けて紫煙を吐き出した。
「…一色はどう思っとるんやろうな。」
喫煙所に署員が入ってきた。
「休憩中すいません。」
「なんや。」
「お二人に来客です。」
「来客?」
「山内美紀です。」
ソファに座り、山内から一時間ほど話を聞かされた片倉は天を仰いだ。
古田は殴り書きに近いメモ帳に目を落として話の内容を頭の中で整理し始めた。
村上は6年前、赤松忠志による田上地区と北陸新幹線に関わる用地取得の不正暴露を封じ込めるよう本多慶喜から依頼を受けていた。残留孤児問題の解決のため、議員になることを切望していた村上にとっては千載一遇のチャンス。これを成し遂げることで本多一族の信用を勝ち得ることができる。しかし相手は高校の同期の父親赤松忠司。村上は悩んだ。自分が直接手を下したくはない。そのため仁熊会を訪ねた。そこで偶然、高校以来連絡を取っていなかった鍋島と再開した。鍋島に残留孤児の地位向上を図るため、自分は議員を目指していると打ち明けた。そして今抱えている口封じの問題を相談したところ、鍋島がその交渉役を引き受けた。しかしその時点で鍋島は口封じの対象が赤松の父親であることは聞かされていなかった。やがてその事実は鍋島の知るところとなり、彼はこの件から降りる意思を村上に表明する。だが鍋島は村上にこう説得された。ここさえ乗り切れれば、積年の問題解決に一歩前進する。ひとりの命を引き換えにその他大勢の残留孤児の命、生活が救われる可能性があると。鍋島は忠志の殺害を決意。夜に熨子山へ忠志を誘き寄せ、事故に見せかけて殺害した。
忠志を殺し、口止めに成功した村上であったが、彼に対する本多の評価は変わらなかった。むしろそのことをネタに善幸も慶喜も村上をいいように使い始めた。自分の手を血に染めてまで協力した鍋島は再び村上との手切れを申し出た。しかし村上はもう逃げることはできないと鍋島をかえって脅迫するようになった。この時すでに、村上における残留孤児問題の解決という大義は消え失せ、保身のための秘書活動、政治活動となりつつあった。
村上と鍋島は友人の父親を手にかけたことに後悔の念があった。そのためせめてもの償いということで500万を赤松家に送りつけた。これは古田の推理通りである。
その2年後、県警の捜査二課に一色が赴任した。そこで病院横領事件が発生。仁熊会にガサが入るという情報を入手した村上はここで立ち止まった。このまま癒着構造がバレてもいい。ガサがきっかけで6年前の熨子山の事故に見せかけたコロシがバレてもいい。相手は同期の一色。本望であると。
しかしそこで鍋島が村上にこう言った。「自分は人を殺した。残留孤児が日本人を殺した。世間はそう報じる筈だ。そうなればお前が言っていた孤児問題は逆流して、自分のような人間はバッシングの対象になる。なんとかするべきだ。」と。
村上は自分がやってしまったことの重大さを痛感した。友人の父親を殺し、救うべき対象の鍋島を苦しませている。ここで村上はすべてのことを闇に葬り去ることを決意し、仁熊会と結託し殺人事件を引き起こし、捜査を撹乱させて一色の捜査の手から逃れた。
それから一年経ち村上に連絡が入る。一色からであった。
「鍋島といっしょに自首をしろ。」
「何でだよ。」
「調べは全部ついてるんだ。せめてもの配慮だ。時間をやるから自首しろ。」
「おいちょっとまてよ。」
「頼む…。俺も辛いんだ。」
「…わかった。一色。」
覚悟を決めた村上だった。しかしこうも警告した。
「俺や鍋島をしょっぴくのは結構だ。しかしその後お前は巨大な勢力を敵に回すことになる。だからそこで手打ちにしておけ。」
しかし一色は応じなかった。その先に控える仁熊会、マルホン建設、本多善幸、金沢銀行といった構造的なものにもメスを入れると言った。村上はそれだけは絶対にやめるよう警告した。そこに手を付けると一色はおろか身内の人間すべてが破滅する。それだけあいつらの力は強大だと。何度言っても一色は聞かない。そこで村上は強制的に一色の捜査の手を止めさせようと一計を案じる。それが婚約者山県久美子への強姦であった。
この強姦事件をきっかけに一色は村上とコンタクトを取らなくなった。村上は一色の追求の手が収まったと判断した。しかし今年の12月の中旬に村上のもとに情報がもたらされる。一色がどうやら再び仁熊会へガサを入れること考えているらしいと。そこで村上は再度一色と連絡をとろうと試みた。しかし彼は電話に出ない。ここで村上は再び一計を案じる。一色の留守電に言葉を残した。
「久美子さんの件は残念だ。俺が仇を取る。19日の23時半に熨子山の山小屋まで来てくれ。おまえならどこか分かるだろう。そこに鍋島もいる。」
このメッセージ通り一色はその時間に山小屋へ来た。先に山小屋で待ち伏せていた鍋島が穴山と井上を縛り上げていた。
「…これはどういうことだ。」
「一色。おれがお前の代わりに仇をとってやる。」
村上がそう言うと鍋島が穴山の喉を掻っ切った。そして間髪入れずに井上をハンマーで撲殺した。またたく間の出来事だった。
「これで手打ちにしろ。悪いことは言わない。」
「…殺してしまったらそれで終わりだろう。」
ポケットに手を突っ込んで一色はため息をついた。
「実行犯は確かにこいつらだ。でもな黒幕はお前だろ。ん?」
やけに冷静な一色を前に村上の額に冷や汗が滲み出てきていた。
「こいつらもそんなことできませんって言えばそれで終わりだったんだよ。」
一色は穴山と井上を冷ややかな目で見つめた。
「そ、そうだな…。そうだよ断ればこんなことにはならなかったんだ…。」
「がっかりだよ。」
「え?」
「このタイミングで俺をここに呼び出して、これか…。」
「…。」
「がっかりだ。」
「一色…。」
「お前らとはここでお別れだ。」
「な、なに?」
「心配するな。一瞬だ。」
そう言って一色は二人に背を向けた。
「お前らのほうなんだよ。勇気を失ったのは。」
瞬間、鍋島が一色を羽交い締めにし、ハンカチで彼の口元を覆った。抵抗した一色だったがまもなく気を失った。そしてそのまま倒れ込もうとする彼を抱えた。
「おい、鍋島!」
「村上。引くことは許されん。おれはこいつを別のところで始末する。穴山と井上への犯行は一色のものだと工作しておいてくれ。あとで落ち合おう。」
そう言って鍋島は凶器のナイフとハンマーを床に落とした。
「そのナイフとハンマーに一色の指紋をつけろ。」
村上は鍋島に言われるがまま、ぐったりとした一色にそれらのものを握らせた。
「よし。次はそいつらの顔を潰せ。」
「何?」
「いいから、そのハンマーで潰すんだ。原型をとどめないようにしろ。」
「ま、まて…そんなことは俺には…。」
鍋島は一色を村上に預け、手袋のままハンマーを掴み、それを穴山の顔面めがけて降りおろおした。鈍い音がしてそれはめり込んだ。鍋島は躊躇うことなく何度も繰り返した。
「あ…ああ…。」
「こうすることで一色は猟奇殺人者になる。穴山の身元もわかりずらい。」
手を止めて彼はハンマーを村上に手渡した。
「井上はお前がやれ。」
そう言って鍋島は自分の靴を脱ぎ始めた。
「お前…何するんだ…。」
横たわる一色から靴を脱ぎ剥がした彼は、それを履いて一色をおぶった。
「…っしょっと…。」
「ま、待てよ…。」
「…お前がやろうとしていたことがここで潰えては何もならん。俺はお前に賭けた。だからここで引き下がるわけにはいかない。」
「な、鍋島…。」
「これも絆…かもな。」
「絆?」
「辞書で調べた。こう書いてあった。世間一般では良い意味で絆って言われるけど、その語源は犬とか馬をつなぎとめる綱のことらしい。離れ難いかけがえのない繋がりっていうよりも、むしろ束縛だな。」
「束縛…。」
「俺ら残留孤児の間にあるのも絆だし、高校の同期の間にあるのも絆。俺は束縛から解放されたいんだよ。」
「鍋島…。」
「村上。時間がない。頼む。」
こう言い残して鍋島は一色をおぶったまま闇夜に消えていった。
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