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FAQs about オーディオドラマ「五の線」リメイク版:How many episodes does オーディオドラマ「五の線」リメイク版 have?The podcast currently has 89 episodes available.
March 29, 202049,3年前 8月3日 水曜日 15時13分 フラワーショップアサフスこのブラウザでは再生できません。文子は固唾を呑んだ。「忠志さんは知ってしまったんです。指定暴力団の仁熊会が公共事業に関する用地取得に深く関わっていることを。それもこの開発目覚しい田上地区に関する用地取得。そしてこれから本格着工される北陸新幹線沿線の用地取得についてです。用地取得にありがちな不正は、地権者が取得者に対して賄賂を送って、その査定に便宜を図るよう依頼するというものです。これだけなら話は簡単です。」彼女はだまって眼鏡の奥に光る一色の目を見ている。「忠志さんが知ったのは用地取得に関する複雑な構造だったのです。」すると一色は自分にお茶うけとして出された3つの最中を文子の前に横一列に並べた。「左から順番にマルホン建設。仁熊会。そして国としましょう。」「国の用地取得での当事者における関心事は2つ。ひとつはその承知取得そのものの実施、そしてもうひとつがどの土地が取得対象になるのかということです。そこでまずこのマルホン建設工業が登場します。」一色は左側の最中を手にとった。「マルホン建設工業。石川県の地元有力土建会社です。先代社長は現在の衆議院議員、本多善幸です。彼は土木建設業界出身ということもありその分野に関しては深い見識を持っています。またマルホン建設自体が公共事業を生業としていることから、省庁にも顔が利きます。本多は国土建設省の族議員として政界で活躍をします。政務次官や党の部会長などを経てその影響力を高め、国土建設省の政策決定に深く関与して来ました。」一色は最中を畳の上に置いて話を続ける。「今から25年前のことです。マルホン建設はここ田上地区周辺の土地を買い漁っています。バブル華やかなりし時代です。誰もが投資をすれば儲かるなんて言われたばかみたいな時代です。マルホン建設も周囲と同じように不動産投資を積極的に進めます。しかしそれは見事に崩壊。マルホン建設は多額の含み損を抱えることになった。」ぬるくなってしまった茶をすすり、彼は真ん中の最中を手に取った。「続いてベアーズデベロップメントという会社が登場します。不動産投資業を営む会社ですが、その正体は仁熊会のフロント企業です。ベアーズは多額の含み損を出したマルホン建設の土地をすべて購入しました。バブル崩壊から1年も経たないころのことです。土地の価格は下落傾向。これからどれだけその下落が進行するかわからない。不動産投資に誰も見向きもしない時期にベアーズはそれをすべて買い取ったのです。その後本多善幸が国会に進出、やがて田上地区の開発計画の噂が流れだします。この噂を受けて田上地区の地価は下落から横ばいに推移しました。そして噂が実際の計画として発表された頃から、地価は上昇に転じました。計画の実施にあたってこのこの辺りの用地取得が必要となります。結果的にベアーズがマルホン建設から買い取った土地の殆どが国の用地取得の対象となり、国に買い取られることになりました。」彼は右側の最中を手にした。「お母さん。お分かりでしょう。マルホン建設は評価損の土地をさっさと売却したかった。それに応じたのがベアーズデベロップメント。時代が時代です。バブル崩壊のあおりを受けて、今後どれだけの不利益を被るかわからない不動産投資の契約なんぞ誰も自ら進んで結びません。しかし仁熊会のフロント企業がそれを引き受けた。不自然ですね。おそらくマルホン建設の社長であった本多善幸が公共事業に何らかの影響力をもつ存在になることで、将来的にベアーズに利益をもたらす密約でもあったのでしょう。事実、ベアーズはマルホン建設から購入した金額よりも3割高値で国に売却しています。ベアーズは多額の利益をこの取引で得ることとなった。」一色は右側の最中を2つに割って、その一方を口に入れた。「ぎっしりと詰まったこの最中の餡は実は全て税金だった。国民の血税が特定の連中に食い物にされている。それを忠志さんはどこかで知った。」「…はい。その通りです…。」「忠志さんは現在進行中の北陸新幹線建設にかかる用地取得でも、田上地区の用地取得に関するマルホン建設、ベアーズ、国の三者構造が潜んでいることを忠志さんは知った。田上地区は終わった話。しかし新幹線に関することは現在進行形の話。」「そうです。」「忠志さんは正義感が強い人です。それはむかしこの家に出入りしていた私が身を持って知っている事実です。忠志さんは警察に行きます。忠志さんが金沢北署に来ていたことは当時の資料からすぐに分かりました。これが6年前の事故の2ヶ月前のことです。」ここで一色は言葉に詰まる。「しかし警察は動かなかった。」「そうです。主人は警察に行きました。何度も。ですが証拠も何もないのに動くことはできないと言われたそうです。」「知ってしまった事実と現実社会の間で忠志さんは苦悩します。忠志さんはあなたにも相談します。自分は一体どうすればよいのか。このまま黙って見過ごすことは容易いが、人としての良心が放っておかない。そんな中、この用地取得の関係者と忠志さんは接触します。おそらく向こう側から接触してきたのでしょう。この手の話の場合、口止めが接触の主な動機です。忠志さんは先方の申し出を断ります。」「当時、私達の店は決して楽な経営状態ではありませんでした。500万円という口止め料を提示されたと主人から聞かされたときは心が揺らぎました。しかしあの人はその場で断ったそうです。その原資も税金からくるものなのかもしれない。それを考えると尚更、先方のやり口に腹が立つと怒っていました。一度こうだと思ったら頑としてブレないのは主人の性格ですからね。でも現実問題としてまとまった資金は店を経営していく上で必要でした。」一色の物語を自然と補足するように語りかける文子に彼は頷いた。「あなたはご主人に無断で先方と連絡をとって入金口座を教えた。ある日口止め料が入金されます。コンドウサトミという人物からです。あなたはコンドウサトミさんを御存知ですか。」文子は首を横にふる。「そうでしょうね。このコンドウサトミという人物はこの世に実在しません。銀行にある本人確認書を照合した結果、偽造されたものだとわかりました。架空の人物を創りだすことにその筋の人間は長けています。おそらくこれにも裏社会のパイプを持つ仁熊会が絡んでいるんでしょう。」「いつものように銀行にいって通帳を記帳するとその人から500万が入金されいていました。その数字が記帳された通帳を見て、私は主人を裏切ってしまった後ろめたさよりも正直ホッとしたんです。」一色は彼女の様子を黙ってみる。「綺麗事ばかりでは生活は成り立ちません。この店は火の車でした。このままじゃ京都で生活している剛志たちにも迷惑をかける事になる。だから私はそうしたんです。ですが主人は違いました。あの人は曲がったことが大嫌いです。今回の件もそうです。ですから私が口止め料をもらったと知ったときは恐ろしいまでに怒りました。」「そうでしょうね。」「私は間違っていました。今回の件はあくまでも主人とマルホンとベアーズとの間での話です。私はそのことについて主人に相談されただけ。そこに降って湧いたように500万が入ってくるかもしれないと話があって、それに縋った。目先のお金に目が眩んだんです。」「お気持ちはよくわかります。あまり自分を責めないで下さい。」「主人は絶対に受け取れないお金だと私を諌めました。そして翌日銀行でそのお金を全額引き出しました。」一色は通帳の写しを眺めて払い出しの欄に500万の数字が記入されているのを確認した。「その夜のことです。主人が事故で死んでしまったのは。」文子はその場で泣き崩れた。「私が悪いんです。私が目先のお金に目が眩んだからです。」文子に掛ける言葉がなかったが、このまま彼女の様子を見ている訳にはいかない。うかうかしていると赤松も店に帰ってくる。「お母さん。自分を責めても何の解決にもなりませんよ。」そう言うと一色はハンカチを取り出して文子に差し出した。「涙を拭いてください。」一色は通帳の写しに目を落として話しを続けた。「500万は確かに事故当日に引き出されています。忠志さんはこのお金を持って関係者と接触を図る。それがひょっとしたら夜の熨子山だったのかもしれない。そこで事故を装って関係者に殺害された。そして500万も関係者に回収された。」文子は涙を拭っていた手を止めた。「…違います。500万円はここにあります。」「…え。」おもむろに立ち上がった文子は、押入れの奥から現金が入った封筒を持ってきて一色に見せた。「…どうして。」「葬儀も一段落して、剛志がこっちに帰ってくるかこないかの話をしていた頃です。店番をしていたアルバイトが私に渡して欲しいってお客から預かったそうです。お菓子の箱だったんですが、中を開けるとこれが入っていました。」封筒には文字が書かれていた。彼は声に出してそれを読んだ。「コンドウサトミ。」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【公式サイト】http://yamitofuna.org【Twitter】https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVMご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。すべてのご意見に目を通させていただきます。場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。...more16minPlay
March 29, 202048,12月21日 月曜日 9時5分 フラワーショップアサフスこのブラウザでは再生できません。桐本家の通夜は今日の19時からとの報が、町内の回覧板からもたらされた。赤松剛志の頭の中には昨日のうちに桐本家へ弔問した時の光景が巡っていた。ひとの不幸を知り仮通夜というものに足を運んだことが何度かある。自宅の仏間にその亡骸は安置され、顔には白布が被せてある。遺族と二三言葉をかわして焼香。近しい間柄なら顔を見ていってくれと言われ、その白布をとって対面する。この通常の仮通夜での粛々とした営みが、桐本家では行われていなかった。一枚の紙が桐本家の玄関に貼られていたのみであった。その紙には『通夜 明日19時~ 告別式 22日10時~』と書いてあった。場所はここから最も近いセレモニー会館だった。赤松は昨日の仮通夜へ駆けつけるかどうか最後まで迷っていた。事件が事件だ。突然のわが子の死を両親が受け入れるには時間がかかる。当の自分でさえそうなのだから。町内会長にも弔問に行くべきか相談したが判断はお前に任せるといわれ逡巡した挙句、訪れようと決めた。だが玄関に貼られた紙を見て赤松は立ち入れない雰囲気が充満する桐本家を前に立ち尽くすしかなかった。邸内からは泣き叫ぶ声、それと同時に激しい怒号が聞こえた。間もなく勢い良く玄関の扉が開かれ、喪服を着た二人の男が追い払われるように外に出された。その男たちは跪き、雨で濡れた地面に頭をこすりつけるように土下座をしている。「もうしわけございません。」二人の男めがけて塩が撒かれる。「帰れ!!二度と来んなま!!」声の主は桐本由香の父親だった。普段は温厚な由香の父親が阿修羅のごとく怒るさまを目の当たりにした赤松は呆然とした。這這々の体でその場を立ち去る二人の男に、再び塩を撒こうと玄関から外に出た時、彼は赤松と目があった。桐本は立ち止まり掴んでいた塩を力なく落とした。そして彼は赤松の方を見て大粒の涙を流し、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。赤松はその場で桐本の嗚咽を黙って見るしかなかった。この場で泣いていては風邪をひいてしまうと、桐本を抱えて家の中に運んだが、その後のことはあまりよく覚えていない。アサフスは月曜定休としている。定休日の朝食後に微睡む時間を過ごすのが赤松の日課となっていたが、昨日から自分の周辺でおこっている出来事に翻弄されろくに睡眠もとっていない有様だった。桐本家での顛末を目の当たりにした赤松には、一色に対する憎悪の念が湧き上がっていた。朝から病院へ行っているため部屋に文子はいなかった。赤松は彼女の部屋に入ってそこにある仏壇と相対した。ろうそくに火をつけ、次いで線香にもつける。キンを二度叩いて合掌ししばらく目をつむった。目を開けると仏壇の傍らに置かれた父、忠志の遺影と目があった。赤松は昨日、桐本家の弔問から帰って文子から父に関する詳細な情報、一色と赤松家の関係性を聞いた。そのため桐本家から帰ってきた時に抱えていた一色に対する憎悪の念はやり場のない怒りとなり、そのもどかしい状況にあぐねていた。赤松は合掌を解き、父の遺影を眺めて思いを巡らせた。父は6年前、深夜の県道熨子山線を走行中に車ごと崖から転落。その翌日遺体で発見された。京都から駆けつけた赤松は文子の憔悴しきった表情をみて、息子として何かの手を差し伸べずにはいられないとの衝動から、このアサフスを継ぐ決意をした。親の仕事は幼少からこの目で見てきたが、実際にその仕事をするとなると全く勝手がわからなかった。急な代替わりは客を逃す。赤松がアサフスを継ぐために帰郷してからの3年間は、店の経営は非常に苦しかった。父についた顧客が他店に流れたり、不慣れな赤松の対応に業を煮やした客がアサフスに見切りをつけて他へ行ってしまうケースもあった。生活がかかっている赤松は必死だった。がむしゃらに働いた。客にも同業の連中にも一人前と認められるように昼夜を分かたず働いた。そのため父の死を悲しんでいる暇はなかった。事業が軌道に乗りだしてようやく赤松にも心の余裕が出てきた時に、ふとひとつの疑問が湧いて出てきた。なぜ父は当時深夜に熨子山を車で走行していたのか。このことについて文子に何度か尋ねたことがある。そのたびに文子は「よくわからない」とか「たまたま通ったのではないか」とはっきりとした答えを示さなかった。事故当時の母の憔悴しきった表情を見ている赤松は、文子が父の事故のことを思い出したくないがために、話をはぐらかしていると思っていた。しかし自分が知りたいと思っていたこのことを、あろうことか文子は他人である一色に話していることが昨日わかった。そのため感情的になり文子を詰問した。一色は父の死に疑問を抱いて赤松家にやってきた。彼がアサフスにやってきたのは今から3年前になる。亡き父の事故に不審な点があると警察が再びやってきたこと、その担当が息子の友人だった一色だったことで文子は二重の驚きだった。このとき既に赤松はアサフスの2代目社長として店を切り盛りしていた。一色は彼がいない時を見計らってアサフスに来ていたようだった。見ず知らずの警察官ではない。昔は時々このアサフスに剣道部の連中と一緒に遊びに来ていた男だ。そのため文子は彼に対して警戒感を抱くことなく、素直に聴取に応じた。「当時の捜査資料を何度読み返しても、ブレーキ痕が確認できないんです。」一色はこのように文子に言っていたようだ。「ただでさえ暗い夜道。注意深く運転するのが普通の人間です。なのに熨子山のカーブでブレーキひとつ踏まずに崖から転落なんて、僕にはちょっと考えられないんですよ。」しかし警察では事故と判断されてすべてが解決している。自分たちは事故の分析に関しては素人だ。この手のことに対してプロである警察がそういうのだから間違いはないと思っていると文子は言った。「お母さん。申し訳ないんですがちょっと私なりに調べさせてもらいました。」そう言うと一色は何枚かのコピー用紙を文子に見せた。「忠志さんの通帳の写です。」左から順番に日付、摘要、払い出し金額、預入金額、差し引き残高の欄がある。忠志の通帳に記載されている殆どが払い出し。ATMで現金を払い出したり各種引き落としの形跡が確認できる。預入は月一回の給与分しか見受けられない。しかしこの通帳をざっと眺めていると不自然な額の金額が突然入金されているのに気づく。金額は500万。振込だ。振込人はコンドウサトミ。日付を見ると忠志が事故で死亡する1週間前だった。「お母さん。このコンドウさんとお父さんは一体どういう関係なんでしょうか。」この質問を投げかけられた文子は黙ってしまった。「当時の捜査官からこの件について質問を受けましたか。」首を横に振った文子を見て一色はため息を吐いた。当時の捜査官の無能さを嘆いたものであったのかもしれない。「お母さん。僕は別にあなたを詰問しているわけじゃないんですよ。このお金を亡くなったお父さんが受け取ったから罪になるとか言ってるんじゃないんです。ましてや忠志さんの女性関係を詮索しているわけでもありません。」文子は依然として黙ったままだ。「わかりました。こちらからお話をさせてもらいます。お母さんは私の質問にイエスかノーかの返事だけして下さい。よろしいですか。」無反応でだんまりを決め込んでいる文子に念を押した。「イエスですかノーですか。」文子は頷いた。「…結論から言います。 この500万は仁熊会からの入金ですね。」彼女の体は硬直した。「いいですか、私の質問にはイエスかノーの二通りだけで答えて下さい。」一色を見て文子はぎこちなく首を縦に振った。「イエスですね。わかりました。ここからは僕の推理も多分に入っています。聞いている間に違う点があればそこで違うと行って下さい。概ね合っていると判断すればそのまま話を聞いてください。」一色は腕時計に目を落とした。「現在時刻は15時13分。手短に済ます予定ですその間に赤松本人と奥さんがここに帰ってくることはありませんか。この内容は当面はお母さんだけとの話にとどめておきたいので。」「はい。」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【公式サイト】http://yamitofuna.org【Twitter】https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVMご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。すべてのご意見に目を通させていただきます。場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。...more16minPlay
March 29, 202047,12月21日 月曜日 9時56分 喫茶BONこのブラウザでは再生できません。金沢駅構内のテナントスペースの一角にあるBONに、佐竹が銀行員特有の大きなカバンをもって入ってきた。「あら、佐竹さんじゃない。」マスターの森は中年の男性であるが、女性のような口調で佐竹を意外そうに見ながら、声をかけた。佐竹は森の言葉には耳を貸さず、店内をひと通り見渡していた。入り口から見て死角となるところに陣取っていた古田は、入店してきた佐竹に手を上げて合図した。それに気づいた佐竹はようやく森の言葉に反応した。「ああ、マスター。ちょっと約束があったんだ。」「あらそう。」「このことは誰にも内緒でお願い。」「いいわぁ。で、コーヒーでいいのかしら。」「あぁそれで。」佐竹は店の奥にあるテーブル席でメモ帳を開いて座っている古田と正体した。「おまたせしました。」「こちらこそ、突然すいませんでした。」古田は佐竹に頭を下げた。テーブルに配された灰皿に三本の吸殻を見て古田が喫煙者であることを確認した。「私も吸っていいですか。」「おう、佐竹さんも吸われますか。」「ええ。」「これは嬉しいですな。ガンガン吸ってください。とかくこの世は喫煙者には肩身が狭いですからね。」古田は苦笑いを浮かべた。「いつかは警察の方が来られるだろうと思っていましたが、こんなに早く来られるとは。」佐竹は勢い良く吸い込んだ煙を吐き出した。「ほう、どうして我々が来ると思われたのですか。」「私と一色は何の関係もない間柄ではありません。ですからひょっとしたら話を聞かれることになるかもしれないと思いましてね。」「そうですか。それなら話は早いですな。」「刑事さん。実は私、仕事が立て込んでいるんですよ。ですから出来れば今日の晩に変更していただけないですか。」ただでさえ慌ただしい年末。それなのに朝からマルホン建設の融資に関して揉めている。これだけで自分は手いっぱいだ。そこに無粋な来訪者。彼は事件のことについて聞きたいと言っている。時間がなければ連絡がほしいと言われた。自分の業務に支障が出るくらいなら後日改めてもらうのが適切だ。しかしなぜ自分はいまこの時間にこの場所でこの刑事と合うことを選択したのだろうか。そしてあろうことかこの場で時間を変更してくれと言っている。「それはそれは大変申し訳ないことをしました。それならわざわざこちらまで足を運ばなくても電話で連絡をくださればよかったのに。」おそらく佐竹の心の奥底にある事件に対する不安感が、彼をこの場に呼んだのだろう。佐竹は自分が昨日赤松にこの事件について「怖い」と漏らしていたのを思い出した。「ちょっと不安でして。」「不安というと。」「なんて言うのか…高校の同級生ですから…。」「一色がですか。」「ええ、ひょっとしたらこっちまで何か巻き込まれてしまうんじゃないかと。」古田は佐竹が自分と目を合わさないようにしていることに気がついた。これも佐竹の不安心理がさせている表情なのかもしれない。彼は佐竹の視線のやり方、挙動のひとつひとつを確認するように注意深く観察した。「どうして巻き込まれるのですか。」「いえ、なんとなくです。」「高校時代の一色とあなたとは何か特別な関係でもあったのですか。」「刑事さん。深い意味は無いんですよ。確かに高校時代はあいつと同じ部活をしていましたけど、卒業以来連絡も何もとっていないんではっきりいって関係はないんです。」「佐竹さん。心配はありませんよ。」「え。」このとき初めて佐竹と古田の視線が合った。「別に私は佐竹さんを疑って、いまここに居るわけではないんです。高校時代の一色貴紀という男と、その周辺の人間関係をお聞きしたいだけなんです。」「どうして高校時代の人間関係なんですか。」「熨子山のことです。」「熨子山?」「ええ、あなたは高校の剣道部時代に熨子山で鬼ごっこをしていましたね。」「はい。」「非常にユニークなトレーニングだ。」「ええ、まあ。」「おまちどうさま。」マスターが煮えたぎったコーヒーを二人の間にそっと出した。「佐竹さんのお客さん?」「あぁちょっと昔いろいろとお世話になった人。」佐竹がこういうと古田はそれに合わせてマスターの方を向いて軽く会釈した。「ふふっいい男。ゆっくりしていってね。」そういうと森はカウンターの方へ少し体をくねらせながら戻っていった。 「佐竹さん、この店よく使うんですか。」「まあ、一応お客さんなんで。」「実は私初めてここ使うんですよ。ここのマスターって…。」そう言って右手の甲を自分の左頬にあてがった古田を見て佐竹は笑みを浮かべた。森のコーヒーを出す絶妙なタイミングによって、先程から緊張感がある会話のやり取りをしていた二人に若干和んだ空気が流れたようだった。「あのトレーニングは一色の発案です。」「ああそう、その話をしていたんですよ。まずはそのトレーニングについて聞きたいと思いまして。」「どうぞ。」「熨子山全体を使った鬼ごっこと聞いていますが、どうでしょう。やはり佐竹さんは熨子山の地理について相当熟知されてらっしゃるんでしょうか。」「まあそこら辺の人よりは知ってると思いますよ。」「一般的に使用される車道とか遊歩道以外の道もですか。」「ええまあ。あのトレーニングに参加していた人間はだいたい知っているんじゃないでしょうか。でないとすぐに捕まりますから。」「そのトレーニングの中で最も優秀な人物は誰でしたか。」佐竹はしばらく考えた。随分と昔の話なのでその当時の記憶はおぼろげだ。大会の成績の事ならばいざ知らず、トレーニングの中で優秀だった人間の名前を挙げろと言われても、なかなか思い出せない。「当時、金沢北高は団体戦は県大会で準優勝。個人戦では鍋島さんがインターハイで優勝したと聞いています。大会成績の優秀さから考えて鍋島さんがそのトレーニングでも力を発揮していたんじゃないかと思いまして。」古田の方を見ていた佐竹は額に手を当てて再び考えた。「いや、刑事さん。僕も普通に考えて鍋島じゃないかと思ったんですが、あまり記憶が無いんですよ。」「ほう。」「当時としては画期的な練習方法だと、内輪で自画自賛して楽しんでやっていたトレーニングなので、その記憶は残ってるんですが、個別に優秀だった奴と言われるとちょっと思い出せません。」「わかりました。じゃあ優秀じゃなくて目立っていた人間ではどうでしょう。」「それならなんとなく覚えています。一番はしゃいでいたのは村上だったように思います。」「村上さんですか。」そう言うと古田は手帳の中に書き込まれている剣道部の当時のメンバー表に指をあててその名前を探した。「村上隆二さんですか。」「そうですね。」「村上さんとあなたは今も連絡を取り合っているのですか。」「はい。時々ですけど。」「具体的には。」「ばらばらですよ。頻繁に連絡をとりあう時もあれば、ひと月ほどぽっかり空く場合もあります。」「なるほど。で、今回の事件が発生してからは何度連絡を取り合いましたか。」「二三回ですか。」「すいません。正確な回数を知りたいんです。差し支えなければご確認下さい。」すると佐竹は携帯電話の着信履歴を確認した。20日10時10分に村上からの着信があった。「昨日の10時頃に電話で連絡をとっています。あと、たしか昼の2時頃にあいつとメールでやり取りしただけです。」何を書いているのかは分からないが、古田のメモを書く手は止まらない。「ちなみに他の剣道部仲間の方と連絡は取られましたか。」「赤松です。」「赤松さんもよく連絡をとりあうのですか。」「いえ、随分と久しぶりに連絡をとりました。」「高校卒業以来?」「そんなもんです。」「どうして。」佐竹は言葉に詰まった。明確な理由はない。ただ単に衝動的に連絡をとったと言っては変に相手に勘ぐられるかもしれない。佐竹はふと自分の腕時計に目をやった。時刻は10時20分を回っていた。ここで赤松とのやり取りまでいろいろ聴取されると時間が取られる。橘には本部へ稟議書を持って行って一件だけ客先によって帰店する旨を伝えているので、帰る時間が遅いと何を言われるかわからない。朝からの一件でただでさえ仕事が立て込んでいるのに油を売っていると思われては大変だ。マルホン建設の融資に関しても気が気でない。「刑事さん。すんませんけど、仕事が立て込んでいますのでこれで失礼していいですか。」「ああ、すいません。こちらこそお引止めしてしまいまして。申し訳ないですが佐竹さんの携帯電話と住所を教えてくれませんか。」「わかりました。今日の晩ならいくらでも体空いてますので。」そういうと佐竹は自分の名刺の裏に古田に求められた情報を記入して席を立った。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【公式サイト】http://yamitofuna.org【Twitter】https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVMご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。すべてのご意見に目を通させていただきます。場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。...more15minPlay
March 29, 202046,12月21日 月曜日 9時05分 金沢銀行金沢駅前支店このブラウザでは再生できません。今年も余すところ少しとなり、金沢銀行金沢駅前支店の週明け月曜日は朝から混雑していた。クリスマス向けの現金引き出しで来店する個人客もいれば、年末の差し迫った資金繰りの悩みを抱えてくる企業の経理担当者もいる。時間的なもの、金銭的なもの、多種多様であるが皆一様に余裕が無い。どうしてこうも日本の年末というのは気忙しいのだろうか。古田はその落ち着きのない店内に入るやその周囲を見渡した。佐竹康之がここにいるかを探るためだった。「いらっしゃいませ。どういったご用件でしょうか。」店内の隅から隅まで見渡している古田を見て、フロアに立っていた女性行員が声をかけた。現金の入出金や振込はATMで済ませることができる。銀行側にとってはそれを利用してもらうほうが、単純作業だけを行う人員の削減につながる。人と人が顔を合わせて生まれるコミュニケーションもあろうが、そのコミュニケーションは時としてトラブルを招く要因ともなる。単なるオペレーションであるならば人がそれをする必要はない。機械の方が人と比べてより正確で迅速だ。そのため銀行ではこの手のフロアレディがよく立っている。彼女らは手取り足取り機械操作が不得手な連中を相手に、それを教授する。機械の操作が不得手な老年層にとってはこれは苦行のようなものかもしれない。せっかく自分の資産を預けているのに、それを引き出すたびにわざわざ苦手なものと対峙せねばならないというのか。「あのー佐竹さんに用事があってきたんやけど。」「代理の佐竹でしょうか?」「あぁそう。佐竹代理。」店内をひと通り見回した古田だが、彼が知る佐竹の顔はあくまでも高校時代のもの。人はその経験や環境によって顔立ちが変わることがある。よってこの時の古田は誰が佐竹であるか特定できなかった。「失礼ですが、どういったご用件でしょうか。」「あ…お礼を言いたくて来たんやけど。」「お礼?」「そう。ちょっと一言だけお礼を言おうと思って来たんや。」「あ…しょ、少々お待ち下さい…。」彼女は店内のバックヤードにあるパーテションで仕切られている向こう側に一旦消えた。しばらくして細身のスーツを見に纏った男がこちらの方へやってきた。高校の卒業アルバムにあった面影を色濃く残したその男の顔を見て、古田はこの男が佐竹康之であると確信した。「えっと…どちら様…でしたっけ。」「あーいやいや、どうも。その節はありがとうございました。佐竹さんのおかげでうちの弟の商売も今んところうまいこといっとります。本当に助かりました。」「え?弟?」古田はさりげなく自分の名刺を佐竹に手渡した。名刺に書かれている肩書を見た瞬間。佐竹の顔はこわばった。「佐竹さんですね。ちょっとだけ時間が欲しいんです。金沢駅にBONって喫茶店があるでしょう。そこで待ってますんで来てください。もし無理ならそこに書いてある電話番号に連絡して下さい。」古田は周囲に聞こえないように体を佐竹に近づけてささやいた。そしてすぐさま佐竹と距離を置くように立ち位置を変え、深く頭を垂れた。「弟がお世話になった方には兄としてちゃんとお礼せんとイカンと思いましてね、急に押しかけてしまいました。お忙しいところすいませんでした。また何かありましたらよろしくおねがいします。」「いえ…こちらこそ。」佐竹は複雑な表情を浮かべて、その場から立ち去る古田の後ろ姿をしばらく見送った。ー警察か…彼は再び渡された名刺に目を落とした。県警本部捜査二課課長補佐とある。佐竹は警察の組織のことなど知らない。この肩書きを持つ者がどういった身分で、どういった仕事をしているのか分からない。ただ一つ察しがつくのは、今回の熨子山連続殺人事件に関する何かの事情を尋ねに来たのだろうということ。ーまさかこんなに早く俺のところに来るなんて。自席に戻ると次長の橘が佐竹に声をかけた。「代理、誰や。」「いえ…ちょっと…個人的な関係です。」「代理ぃ。こんな年末のクソ忙しい時に個人的な用事を店内に持ってくんなや。」支店長とのやり取りを経て、橘は朝から苛立っていた。「すいません。以後注意します。」「ったく。」そう言って橘は店内に掲げてある時計に目をやった。時刻は9時15分だった。「支店長から何も連絡ないな。」支店長の山県は融資部長から呼び出しを受けた。マルホン建設への1億円の手形貸付稟議を融資部まで上げていないことについてである。山県は呼び出しを拒否した。電話のやり取りは応接室で行われたため、その一部始終は橘と佐竹も知っている。佐竹は今朝のやり取りを思い出していた。 「支店長。融資部からお電話です。」「ああ、わかった。」テーブルの上に置かれた電話の保留ボタンが点滅していた。「お前らは黙って見とれ。」そう言うと山県はスピーカボタンを押してその受話器を持ち上げた。「はい山県です。」「支店長。マルホン建設の融資稟議はまだか。」声の主は融資部長の小堀である。「あぁあれですか。稟議はありますけどはんこ押せません。」「あん。何言っとるんや。」「何度も言いますがはんこ押せません。ですから上げれません。」「だらみてぇな冗談を週明けの朝から言っとんなや。午前中まで待ってやっからさっさとこっちに持って来い。」「冗談ではありません。本気です。健全でないところにこれ以上の融資は私は認めません。」しばらく電話の向こう側が静まり返った。「だらぁ!!おめぇの意見なんか聞くために電話しとるんじゃねぇ!!手貸実行せんかったら飛ぶがいや!!」「ほんなこと子供でも分かるわ!! ほんなところに上積みして貸して回収なんかできるか!! なんや?部長は回収できんくなったら責任とってくれるんか!?」「山県!!今日の13時からやぞ役員会。それまでに稟議なかったらどうすれんて!!」金沢銀行の幹部同士が大声で怒鳴りあう様を見せつけられた橘と佐竹は黙るしかなかった。「小堀さん。俺はもう無理や。もう我慢できん。」「山県。悪いことは言わん。思いとどまれ。専務がこのことを知ったら俺はお前をもう庇えん。」「覚悟の上です。」「マルホン建設の社員が路頭に迷うことになるぞ。」「知りません。経営者の責任です。」「お前の首も飛ぶぞ。」「どうぞご自由に。私の首だけでは足らんでしょうな。」「山県、この件は俺も黙って見過ごすことはできん。いまから役員に報告させてもらう。」「報告連絡相談は部下の勤めです。」 このやりとりの後、山県は取引先と予定が入っているといって店を出ていったきりだ。「はい橘です。ええ。」橘に内線電話がかかってきたようだ。橘は佐竹の方を見て相槌を打ちながら唇を動かした。佐竹は自分なりの読唇術を駆使して橘が発するメッセージを読み取った。ー小堀部長…。「えっ?…いいんですか。いや、ですが…。…はい。…ですが支店長には私からどう報告すれば…。」しばらく話した後、力なく橘は電話を切った。「どうしたんですか次長。」「ふー。代理…外で一服せんか。」店の勝手口から外に出た橘と佐竹は、それぞれ自前の携帯灰皿を手に周囲から死角となる場所に立ってタバコを吸った。「稟議持って来いって…。」橘は力なく言葉を発した。「マジですか。」「マジや。」「でも稟議は支店長の机の中ですよ。」「代理。稟議の中身覚えとるか。」「書き直しますか。」「それしかないわ。」佐竹はため息をついた。それにつられるように橘も大きく息を吐く。そして左腕につけている腕時計に目を落とした。「9時半か…。」「次長。あそこの稟議はしょっちゅう書いているので書き直しはすぐに出来ます。」「ただなぁ。気にかかるんやわ。少しでも中身が違う稟議書が融資部に直接行ってしまったら、それはそれで支店長が怒りそうな気がすれんて。」「でも融資部が言ってるんでしょう。」「そうやけど、俺らは融資部の部下ってわけじゃないし。」佐竹はタバコの火を消してしばらく黙って考えた。「ひょっとして。」そう言うと佐竹はそそくさと店内に戻った。そして無造作に支店長の机の引き出しに手をかけた。銀行員たるもの様々な個人情報を取り扱っているため、離席の際は必ず机に施錠をするのが基本だ。これは金沢銀行で徹底されている。なので不在の席の引き出しが開くことは通常考えられない。今、佐竹がとっている行動は彼が求める成果から考えて望み薄のものであることは彼自身よく知っている。おもむろに引き出しをひくと、難なくそれは開かれた。ーしめた。外で一服を終えて店内に戻ってきた橘と目があって、佐竹は獲物を仕留め喜びを噛み締める狩人のような表情をした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【公式サイト】http://yamitofuna.org【Twitter】https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVMご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。すべてのご意見に目を通させていただきます。場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。...more14minPlay
March 29, 202045,12月21日 月曜日 9時10分 金沢北署1階このブラウザでは再生できません。「なんやこれ…すごい人や…。」北署の前に小西は立ち尽くした。報道関係者が歩道に所狭しと待機している。このあたりではそうも見ない全国ネットのテレビ局の中継車、自らが所属するメディアを証明するための腕章をつけた記者と思われる者たちが通りを行き交っている。これらの者たちを横目に小西は北署の正面玄関をくぐって目の前にある生活安全課の若い署員に声をかけた。「あの、すんません。」「何ですか。」「えーっと。」小西が北署にくるのは初めてのことではない。北陸タクシーに勤務してから過去一度だけ人身事故を起こしたことがある。その時にここに来た。幸い相手側は軽傷であり、ちゃんとした事故処理をすればそれで良いとのことだったので、そのまま会社に報告。現在の部長が小西と会社の間を取り持つことで、懲戒免職は免れることとなった。相手側も北陸タクシーの迅速な対応を好感し、事故は円満に処理された。一般の人間が警察署へ行くということはほとんどない。この小西のように事故の関係でやむを得ず行く程度のものだ。特段の事情がない限り縁のない役所である。今回の小西の北署訪問は昨日明らかになった殺人事件に関する情報の提供だ。その殺人事件の捜査の行方を追いかけるために、この北署に大マスコミから大勢の人員が派遣されている。世間が注目するこの事件の有力な情報になるかどうかもわからない、得体のしれない情報だけをぶら下げてきた小西は一種の恥じらいと緊張をもっていたため言葉に詰まったのだ。「どうかしましたか。」小西の緊張ぶりが伝わったのか、若い署員は緊張を解すために笑顔で接した。笑顔というものは妙な力を持っていた。「あのー、そのー...熨子山の件で…。」署員の表情は一転して険しいものになった。「熨子山…ですか。」「はい。」「…ちょっと待って下さい。」署員は奥にいる上司と思われる男と二三言葉をかわして再び小西の前に立ち、関係課は三階にあるからそちらの方に行ってくれと言った。身を堅くしたまま刑事課のドアの前に立った小西は深呼吸をしてそのドアを開けた。「えーな、だら!!」この怒号に驚いた小西は周囲を見渡した。どの署員も忙しなく動きまわっている。立て続けに電話をかける者。山のように積み重なっている資料を漁る者。パソコンに向かってひたすら何かを入力している者。「だからぁ、言っとるやろいや、わしが欲しいんはその資料じゃねぇんやて!!」声の主は刑事課の奥に座っている役付きと思われる中年の男だった。瞬間小西と目があったその男は小西を見るや目をそらして先ほどまで怒鳴っていた自分の声のトーンを落とした。「情報提供の方ですね。そこにかけてください。」側にいた刑事課の若い署員が小西に声をかけた。小西は求めに応じてパイプ椅子に腰をかけた。「すいません。いまこんな状況なんで…。あまり気にしないでください。」「はい。」署員は机の引き出しから罫紙を取り出してメモの準備をしながら小西に話しかける。「えーっと、まずはあなたのお名前と住所、お仕事、連絡先をお教えください。」小西のような者が事件発生時からよく来るのだろうか。彼は非常に慣れた感じでひな形どうりの質問を小西にする。ひととおり小西がそれに答えたところで署員は質問をした。「で、小西さんは今回の事件についてどういったお話を?」「えー、まぁ役に立つかどうかわからんのですが、一昨日に熨子山へ男を送ったんです。」署員の手が一瞬止まった。「ほんで、ちょっと気味悪かったんで役に立つかどうかもわからんけど、警察に話してみようと思ったんですわ。」「昨日のいつの話ですか。」そう尋ねられると、小西は持っていたカバンの中から一枚のコピー用紙をとりだして、机の上に広げた。「一昨日の私の運転日報です。18時15分に小松空港で一人の客を乗せて、19時35分に熨子町でその客を降ろしました。」「確認ですが、それは男だったんですね。」小西は頷いた。「ちなみにどのような風貌でしたか。特徴的なところなどがあれば教えてください。」「えっと…サングラスをかけていました。」「サングラス?」「ええ。丸いサングラスです。真冬のこの時期に珍しかったんでよく覚えとります。」「丸のサングラス…あ、他には。」「時間も時間でして、日も暮れとったんではっきりとは覚えとらんですが、紺か黒のコートを着とりました。」署員は机の引き出しから、一枚の顔写真を取り出してそれを小西の前に見せた。「小西さん。あなたが見たっていうのはこの男ですか?」小西もテレビや新聞で何度となく見た一色の顔写真であった。一色は事件当日の19時まで県警本部で仕事をしていた。これは熨子山連続殺人事件の帳場で共有されている情報だ。小西が熨子山へ男を乗せたのは18時15分から19時35分。小西が乗せた乗客が一色である訳がないのだが、とりあえす署員はぶつけてみた。「うーん…。」小西は考え込んだ。「似とるって言えば似とるし…似とらんって言えば…。」「…そうですね、サングラスをしていたらわかりませんよね。」「はい…。」「その人とあなたは何か会話を交わしたのでしょうか。」「会話らしい会話じゃないですわ。こっちから聞くことには基本的に『はい』とか『いいえ』とかしか答えませんでしたから…。ただその客は東京から来た人やってことは聞きました。こっちは不景気ですが東京の方はどうですかと聞いたら、『地方にいたらそれなりにしか稼げない。稼ぎたかったら人の多いところで商いをすることだ』とアドバイスされました。」「ほう…。」この時点で署員は捜査本部が現在躍起になって情報収集している穴山と井上の線も薄いと考えた。両者とも県外出身者といえども金沢在住。しかし念には念を入れてこのあたりの情報もぶつける必要がある。署員は立ち上がって、室内にあるキャビネットから一冊の資料を取り出して、それをパラパラとめくり、そこから二枚の写真を持ってきて小西に見せた。「ちなみに、こちらはまだ報道などに公表されていない写真ですが、見覚えはありませんか。」小西は二枚の写真を見て自分の記憶を辿った。小松空港から熨子町集落までの道程を振り返りながら乗客の隠された表情、仕草などできる限りの記憶を呼び起こした。交差点で停車した時にルームミラーに写り込んだ彼の顔。そういえば走行中に前を向いていた彼の顔が突如として左側の方をくるりと向いたことがった。「あ…。」「どうしました。」「見ました。」署員の顔つきが厳しいものに変わった。「ニケツです。」「どういうことでしょうか。」「乗客を熨子町まで送る途中に確かに見ました。原付に二人乗りしていました。」罫紙に走らせるペンの勢いが増してくる。「どこで。」「たしか田上あたりやったと思います。乗客は本当に無口な人で、ずっと前の方しか見てなかったんです。変でしょう。普通の人は普段あんまり来ん地域の風景を窓から眺めるもんでしょう。ほやけど私が乗せた客はずっと前の方しか見とらんかったんです。その客がふっと窓の外を見たことがあったんですわ。私もその先に何があるのかとサッとだけ見たら、そこにこの写真の顔とそっくりの男がニケツでおったんですわ。」「時間は。」「んー…確か19時ちょっと前ぐらいやったと。」「その二人乗りの原付バイクはどの方向に行きましたか。」「あぁ、のろのろ走っとったんで抜いてしまいました。だからよく分からんです。」署員は再び立ち上がって先ほど見ていた資料をそのままこちらに持ってきた。そしてあるページを開いて小西にさらに一枚の写真を見せる。「そのバイクはこの写真のものじゃないですか。」小西は写真を見つめた。「あぁ、多分これと同じ形やったと思いますよ。」署員は深呼吸をして小西の顔を見た。「小西さん。もう少し聴取に付き合ってくれませんか。」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【公式サイト】http://yamitofuna.org【Twitter】https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVMご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。すべてのご意見に目を通させていただきます。場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。...more14minPlay
March 29, 202044,12月21日 月曜日 8時45分 県警本部駐車場このブラウザでは再生できません。「よし勤務先と住所は抑えた。」そう言うと車に乗り込み、エンジンをかけた片倉は手にしていたスマートフォンを胸元にしまいこんだ。「便利やなぁ。」「トシさん、もう紙を持ち歩く時代は終わったんやぞ。」「ほうか、ワシはいつまでたってもメモ帳や。ちょっとそれ見せぇや。」「何や。」「それ、ここに書き写す。」片倉と古田は、佐竹、赤松、村上の三名の住所と勤務先を仕入れて県警本部の401資料室からそそくさと出た。その際に片倉は書き写していると時間がかかると言って、つい最近手に入れたスマートフォンのカメラでそれらの情報を撮影し、そこに保存した。古田は片倉から手渡されたスマートフォンを慣れない手つきで操作しながら、その情報を愛用のメモ帳に書き写した。「先ずはどこから行く。」「兵は神速を尊ぶ。ほやから別々にあたらんか。」「おう。」「ワシはこの佐竹と赤松っちゅう奴を当たる。お前は村上を当たってくれんか。」「わかった。」「ワシは自分の車を使う。お前もあんまり不在の時間が多いと怪しまれるから、その辺りは注意せいや。」「じゃあ、先ずはトシさんを一旦家まで送るとするか。」片倉はサイドブレーキを下ろしてアクセルを踏み込んだ。「金沢銀行金沢駅前支店か。ワシの家の近くやな。」「誰がや。」「佐竹や。」「あれか。剣道部のムードメーカー的な存在やったって奴か。」「そうや。とある組織の潤滑油。この手のポジションにある奴がだいたいの情報を持っとる。広く浅くな。」「捜査の順番から言って、妥当な手順やな。」「片倉、金沢銀行までそのまま行ってくれ。そこで降ろしてくれ。」「わかった。」片倉が運転する車は県警本部を出て、国道8号線と交差する信号の前で止まった。彼は背広のポケットからおもむろにタバコを取り出してそれを咥えた。「しっかし、でっけぇヤマねんな。」「まあな。」「なんか俺、妙に興奮して昨日の晩、寝れんかったわ。」そう言って片倉は火をつける。それにつられて古田も一服する。「落ち着けや片倉。ワシらはワシらや。特捜がどうこう言うことよりも、先ずは目の前のことを1つずつ潰して行くことが先決や。」「わかっとる。あっちはあっち。こっちはこっちやな。」「そのとおり。」ここ石川県では昨日からの報道で凶悪犯罪が発生したことは誰もが知るところだ。だがこの時間の通りを行き交う人達の表情はいつもと変わらない。容疑者は拳銃を携行して、ひょっとするとこのあたりに潜伏しているかもしれないというのに、市民は無防備である。普段より警邏活動を強化してはいるが、警察としては市民に対してできることは現状この程度。一刻もはやく容疑者の一色を確保することが求められる。信号が青になり、片倉は車を進める。「トシさん。いま何考えとった。」「あん?」「黙って遠くの方見とったけど。」「遠謀深慮…か…。まさにあいつのためにあるような言葉やな…。」「遠い先のことまで深く考えて、緻密な作戦を立てる。遠すぎるわ。」「深すぎる。」「だから誰も分かるわけない。」「とんでもねぇ奴、相手にしちまったな。」あまり人前で表情を変えない古田がこの時は俯き加減で元気の無い顔をしていた。「トシさん。例のあれや。」片倉は首をくいっと前方に上げ、その対象を指す。そこには現在工事中の金沢駅舎が建っていた。「トシさん。やることはいっぱいある。特捜は特捜、俺らは俺らや。s俺はとにかく事件の真相を暴く。ただそれだけや。全身全霊でいくぜ。」むき出しの闘志ではない。秘めた闘志を感じさせる片倉の言葉に古田は奮い立った。「よし片倉、徹底的にいくぞ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー...more8minPlay
March 29, 202043,12月21日 月曜日 8時15分 熨子山連続殺人事件捜査本部このブラウザでは再生できません。昨日開設されたこの捜査本部には捜査員が始終詰めている状況だった。松永は捜査本部に入ってからというもの、一睡もしていない。流石に彼の顔に疲労がにじみ出てきていた。犯人の確保を最優先した検問体制を取るも、めぼしい情報は松永の元には入ってきていなかった。そんな中、一人の捜査員が気にかかる箇所があるとして、熨子山の検問状況報告書を持って松永と向き合った。「どうした。」「昨日の熨子山ですが、一点だけ気になる箇所があるのです。」「言ってみろ。」捜査員は資料を松永の前に広げた。そこには熨子山の検問地点を通過した人物のリストが並んでいた。「ここです。」捜査員はその中の一人の人物名を指した。「村上隆二…」「ええ、本多善幸議員の秘書です。」疲れ眼の松永の目に鋭さが戻った。「これがどうかしたか。」「有力者の秘書ということで、ちょっと気にかかったのです。」「それで。」「私の方で現場に聞いてみたところ、富山県の高岡の方で党の会合があるということで、この道を利用したそうです。確かにこの県道熨子山線は金沢から高岡までの最短ルートでした。しかしこちらから民政党高岡支部へ何の会合があるかと聞いたところ、そのような会合は無いとのことだったのです。また、この村上という男は高岡支部へ顔を出していません。」松永はリストに書かれている検問時刻を見た。「昨日の11時50分か…。」「理事官が山狩りを指示され、13時半から16時半までの3時間は熨子山線は封鎖されています。その後、県境を中心に検問体制の再編成を指示したのが16時50分。仮にこの村上が本当に高岡方面へ行ったとするならば、距離的に考えてその帰路で再び検問に引っかかるはずです。ですが現在のところ村上隆二という名前は確認できていません。」「まぁ警察の対応が面倒くさくて適当なことを言う奴もいるからな。こいつもそのクチかも知れん。それに往路と復路は必ずしも同じとは限らないし、単純にこの男がまだ金沢に戻っていないのかもしれない。」「理事官。この男のことですが私に調べさせていただけませんか。」「調べてどうする。」「無駄足かもしれませんが、現状一色に関する手がかりが入ってこない以上、気になることを1つずつ潰していきたいんです。」捜査員のこの言葉に松永の表情は一変した。「俺は無駄足とわかっていることを承認するほど馬鹿じゃねぇ。」捜査一課の片倉然り、無差別殺人を推測した捜査員然り、松永に意見するものは酷い仕打ちが待っている。自分も同じ仕打ちをされるかもしれない。だが事件発生から24時間以上経過するも、被疑者逃亡に関する情報が捜査本部に一切もたらされていない現状を少しでも打破するために、この捜査員は覚悟を決めた。「無駄足かどうかはまだ決まっていません。民政党石川県支部に聞くところ、村上隆二は20日の夜に本多善幸の国土建設大臣就任記念式典に同席しています。つまりこの男は金沢に既に帰ってきています。」松永は捜査員の目を見つめた。そしてそっと口を開く。「お前、名前は。」「北署の岡田です。」「現場か…。」松永は苦虫を噛み潰したようなような表情で岡田を見る。「どうやってこの検問状況リストを入手した。」「熨子山の警備から入手しました。」「規定違反だ。また現場の暴走か。」「いいえ、情報の共有化です。」ああ言えばこう言う。そう思ったが松永はそれを言葉に出さなかった。「いいだろう。岡田。」意外な松永の応えに岡田は肩の力を抜いた。「しかし条件がある。」松永は捜査本部を見渡した。松永が引き連れてきた捜査スタッフがパソコンに向き合って資料を作成したり、現場から上がってきた報告を取りまとめていた。各々自分が与えられた任務に全神経を集中させている。松永は捜査員たちがこちらの方を見ていないことを確認し、岡田に自分の横に来るように手で指示した。「今後お前は俺の前に姿を現すな。」そう言って岡田に一枚の小さな紙切れをこっそりと渡した。「そこにお前が入手した情報はすべて送れ。どうしても俺と話をしなければならんようだったら、先にメールで俺の指示を仰げ。極秘だということを肝に銘じろ。」岡田は松永のメールアドレスが記載されたその小さな紙を握りしめた。瞬間、松永は岡田の首元を掴んで自分の顔に引き寄せ、急変させた。「てめぇ、ノンキャリの分際で知った口聞くんじゃねぇよ。あん?」「あ、あの…。」「ここの捜査員はどいつもこいつも反抗的だなぁ。」そのまま松永は岡田の首元を掴んで引きずり、彼の背中を壁に叩きつけて凄まじい形相で岡田を睨みつけた。「何度言ったら分かるんだ!!お前らは機械だといっただろう!!俺にくだらんことを話しかけんじゃねぇ!!」松永の激昂ぶりを目の当たりにした捜査本部のスタッフたちは静まり返った。捜査員たちは岡田に詰め寄っている松永の背中を見た。「穴山と井上がなぜ熨子山に行ったか、どうやって行ったのかそんな報告もままならんというのに、糞にもならんことを意見すんじゃねぇ!!」松永の豹変ぶりに圧倒され混乱していた岡田だったが、自分の目の前にある松永の表情を見て事を悟った。松永の表情は言葉と裏腹に冷静そのものだった。「悪く思うな。少しだけ付き合え。」松永は岡田にしか聞こえない程度の声で呟くと、そのまま岡田を床に叩きつけた。そして渾身の力を込めた一発の蹴りを入れる。「ぐはっ。」岡田は思わず身をよじって声を出した。「ったく…クズばっかりだよ現場は。お前の顔も見たくない。さっさとここから消えろ。」這いつくばって身動きが取れないようだった岡田を捜査スタッフが起こし上げた。松永の一蹴がよほど強烈だったのか、彼の足元はふらついていた。「消えろっていってるだろ。」松永のふてぶてしい物言いを横目に、岡田は体を引きずるようにそのまま捜査本部を後にした。「おい、お前ら何見てんだ。手ェ止めんじゃねぇよ。さっさと情報を寄こせ。よこせって言ってんだろ!!それでもお前ら察庁か!!」この叱責に松永に同行してきた察庁スタッフは無言のまま視線を落とした。「お前らが捜査の脳みそだ。お前らが機能しないことには体は動かない。井上と穴山の情報すらまだ俺のところに上がってこない。どうなってるんだ。少しは自分にプレッシャーをかけたらどうなんだ。今のままじゃ捜査本部は脳死状態だ。」松永は部屋にかけてる時計を見た。時刻は8時30分だった。「よし、今日の正午迄に穴山と井上の情報を俺に上げろ。そのための指示を現場に出せ。もちろん県境の警戒態勢を解くことなくだ。」「はっ。」「さて、俺は少し休むことにする。」そう言って部屋の片隅に畳んであったコートを手にとって、松永はそれを羽織った。「関。」「はっ。」「ここは一旦お前に預ける。何かあれば俺に連絡しろ。正午には戻る。」「かしこまりました。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー...more13minPlay
March 29, 202042,12月21日 月曜日 7時45分 金沢銀行金沢駅前支店このブラウザでは再生できません。支店長の山県を前にして、20名いる行員が二列横隊で並んでいる。支店長代理の佐竹はその中央に居た。山県は先週の総括、そして今週の動きについて自分の考えを述べる。彼の話は簡潔だった。今期の金沢駅前支店の預貸金の実績は順調だ。今後はその中身、すなわち不良な債権を処理するべく行動をして行って欲しいとのことだ。そして土曜日に結婚をした服部を指名し、職員を前に簡単なスピーチをさせた。軽くジョークを挟んだ内容に、週明け月曜日の駅前支店の重たい雰囲気は和んだ。結びに山県は熨子山連続殺人事件を引き合いに出して、年末であるため、銀行としても特別警戒体制をとって万が一に備えよと指示を出し、朝礼は終了した。「次長、代理ちょっと。」話し終えた山県が佐竹と次長の橘に向かって手招きをした。山県と二人はそのまま店の奥にある応接室へ入った。「土曜日はご苦労さん。」応接室のソファに深く腰をかけ、山県は煙草に火をつけた。「支店長もお疲れ様でした。」次長の橘はそういって山県に続くように煙草をくわえた。佐竹は橘の横に座って二人のやり取りを聞くスタンスを取った。金沢銀行は全店禁煙である。しかし応接室だけは違う。客をもてなすという位置づけで九谷焼の灰皿が配されていた。ヘビースモーカーである山県にとってはお堅い仕事場の唯一の心の拠り所でもあった。無論この応接室での喫煙が職員全員に許されている訳ではない。山県と一緒にこの部屋に入るときだけに許される行為だった。金沢駅前支店独自の山県ルールである。「あのなぁ、マルホン建設の融資稟議やが…」「あぁ23日実行予定の1億円の手貸ですか。」「あれは駄目や。」「は?」橘と佐竹は驚きのあまり言葉を失った。マルホン建設工業は今回国土建設大臣に就任した本多善幸と金沢銀行専務取締役の本多慶喜の実家でもある。善幸が大臣に就任することで、今後の公共事業に関する受注が伸びる見込みがあるとされる得意先である。「すいません。支店長。おっしゃる意味がよくわかりませんが。」「駄目なもんは駄目や。判子押せん。」「ちょっと待ってください支店長。唐突すぎます。」「何が。」「ちょっと待ってください。支店長に稟議を出したのは2日前ですよ。まさか、まだ手元にあるんじゃないでしょうね。」「あぁ俺の引き出しの中にあるわ。」橘の顔は青ざめた。「どうするんですか!!支店長!!。」「だから、判子押せんって。」「ふざけないでくださいよ。」「ふざけるなって…。俺はあそこの経営改善をちゃんとさせぇって言っとらんかったか。」「言ってはいましたけど…。」「あのなぁ麻薬中毒の患者に麻薬打ち続けとっても、いづれ死ぬだけや。しかも綺麗な死に方じゃない。人を巻き添えにすることもある。」マルホン建設の財務状況は芳しくない。現状は要注意先。といっても貸出条件緩和債権がある時点で要管理先である。経営改善計画書の提出はされてはいるが、その進捗度合は全くと言っていいほど芳しくない。「支店長のお気持ちはよくわかります。ですが、専務の実家でもありますよ。」「もう、その手の言い訳は聞かん。」「ですが、支店長の一存でそんな勝手なことができるはずもありません。私も今から本部に行って決裁を貰ってこなければなりません。いつものことじゃないですか。」「次長、あんた本当にこんなんでいいと思っとるんか。」「…。何がです…。」紫煙を吐きながら山県は落ち着いた声で言った。「お前、公共工事がこれから伸びると思うのか。」「…いえ、ですが無くなりはしません。」「お前なら追加融資したいか。」「したくはありませんが…。」言葉に詰まった橘を見て、山県は佐竹の方を見た。「代理、お前はどうや。」融資の稟議を実際書いたのは佐竹だった。その校正をマルホン建設の前担当者であった橘が行い、それに判子を押した。そのため唐突な山県の決定とそれに狼狽する橘を目の当たりに見て動揺していた佐竹は、不意を打つ質問に答えるのに時間がかかった。「…いえ。」「そうやろうな。普通の人間なら変だと思う。それなら稟議なんか描くべきじゃないな。」「しかし支店長。唐突すぎます。」「債権の利子分を回収するために、さらに貸出先に融資の上積みをする。経営改善計画書を出しはしたが、その中身が全く実行されとらん。相変わらずの公共事業頼り。素人の目から見てもおかしいと思われることを、世の中の金融機関はバブル期から平気で行ってきた。自行の目先の利益確保を最優先にする現状の融資体制には問題がある。目先の損得で判断する時代は終わったんや。」正論だ。だがこの切羽詰まった状況で唱えることではない。そう橘は山県に言った。「あのなぁ、次長。小さな勢力が巨大な勢力に挑むときに有効な手立てって知っとるか。」「支店長、話をそらされては困ります。一刻も早く本部に掛け合ってこの融資を実行しないと、マルホン建設は飛びます。」「奇襲や。」このセリフに橘と佐竹は固まった。山県は確信的な表情をしていた。「しかし、支店長…。確かに私も今までの矛盾を抱えた銀行業務には疑問をもつ身です。ですから支店長の意見には賛成です。ですが、ことは急を要します。それにマルホン建設の債務者区分やその中身に関して金融庁から一度も指摘されたことはありませんよ。」「たしかに役人は何にも言わなかったな。何でやろうな。不思議なもんや。」山県は金融庁を皮肉った。「役員は承認しているんですか。」再び煙草の火をつけて山県は言った。「いや、まだや。」佐竹も橘も驚きを隠せない。要管理先の債権を支店長という身分の人間が独断で決済することは許されない。役員の承認が必ず必要である。「支店長、首が吹っ飛びますよ。」橘は半ば呆れた表情で山県に言った。佐竹も橘と同意見だった。応接室がノックされ女性行員がその扉を開いた。「支店長。融資部からお電話です。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー...more11minPlay
March 29, 202041,12月20日 日曜日 21時12分 中華料理 談我このブラウザでは再生できません。金沢のオフィス街南町。その裏通りから一本横に逸れた場所に談我はあった。このあたりは金沢の金融機関が軒を並べており、談我はこれらの業界関係者の御用達となっていた。創業20年。外観は古ぼけたよくある近所の中華料理屋の体であるが、その客足は途絶えたことはない。日中はこの南町を本拠とし、金融機関たちは鎬を削る競争を繰り広げている。しかしそれは食を楽しみ、酒を飲む場である談我においては関係がなくなる。背広という戦闘服を纏った男達が日中の気忙しさから解放され、身も心も開放的になり同業同士の情報交換を行う場所として談我は利用されていた。しかし今日は日曜日。金融関係者の姿は見受けられなかった。「マスター、もう一本もらえる。」店のカウンター席に座り店主と向い合って、銚子の首の部分を指でつまんで、ぶらぶらとさせている男がいた。「村上さん、どうしたんですか。」「あん?」「そんなに飲める口でしたっけ?」そう言いながらも店主は熱燗の準備をしている。「あのねぇ…俺だって飲まなきゃやってられんのよ…。」「大丈夫ですか。ろれつが回ってないですよ。」「ああ、そう。」ここの名物である餃子に箸をつけて村上はそれを頬張った。「はい熱燗。」「ったくよぉ。なんだってんだよぉ。外野がぐちゃぐちゃ言ってんじゃねーよ。」「仕事のことですか。」「マスターには関係ない。あんたは立派だ。20年もこの店を切り盛りしとる。」「村上さんも頑張ってるじゃないですか。」「頑張っていても報われないことがあるんだなぁー。これが…。」「なんですか、きっと報われますよ。」「…たぶん報われないよ…。」「どうしたんですか。村上さん。しっかりしてくださいよ。」店主のかけた声に村上は反応を示さなかった。しばらく無言になりゆっくりと口を開いた。「マスター。あんた自分の仕事のために友人を犠牲にしたことある?」「えっ。」「自分がやりたいことがある。でもそのためには友人の出世を阻む必要がある。そんな状況に追い込まれたら、マスターはどうする。」さっきまで酔いつぶれた風の村上だったが、このときは思いつめた表情だった。そんな村上を見て、店主は言葉を選んだ。「友情か欲望か…それって天秤に測ることじゃないような気がするなぁ。」「何、それ。」「村上さん、やりたいことがあるんでしょ。それって何かわからんけど世の中のためになることなん。」「…おれはそう思っとる。」「今すぐどうこうなるものじゃないかもしれない。でも、将来的に世の中のためになるって思っとるん。」「ああ。」「じゃあ、自分の思っている方面で突き進んだほうがいいと思うよ。最終的に世のためになるんなら。だって村上さん、あんたの人生でしょ。」あんたの人生。いつから人生というものは所有するものになったのだろうか。他人様のための人生。自分のための人生。自分はひとりでは生きて行くことはできない。自分の物だと思っている人生も、実のところ他者によって形成されているという側面を持つ。「じゃあ友情はどうなるん、マスター。」「相手に黙って、こそこそするからダメなんじゃあ無いのかなぁ。なんて言うのかな、こうちゃんと向きあって、俺はこう思っている、君はどう思うって。」「いやぁ、なかなか面と向かって言えないよ。」「そうかなぁ。でもそういう本音の部分を話せるの間柄って言うのが、友達の良い部分じゃないのかなぁ。」こむずかしいことは言わない。単純な意見だがスッと胸に落ちてくるものがある。創業20年の中華料理店を一代で築き、人生の機微を知っているからこそ出てくる自然な言葉なのかも知れない。「まぁ、ちょっと考えるよ。」そう言って村上は手酌酒をくいっと飲んだ。ふと、自分の後ろ側のボックス席に陣取っている3人組の会話を耳にした。「そうねんて、こんなクソ寒いんげんにサングラスかけとったんや。なんも喋らんと、こっちから聞いたことには、はいとかいいえとかしか言わんかったんや。あんなもんなんかなぁ、都会の人間っちゅうのは。」「第一さぁ、熨子町までタクシーって不自然だよな。あんなところにタクシーで行く奴っているもんかなぁ。」盃を傾けている村上の動きが止まった。「マスター。あの後ろで話している人、どういう人達?」「あぁ、北陸タクシーの人。ときどきウチ使ってもらってる。」「ふうん…。」「まぁ居らん事ないやろ。あのあたりは交通の便も悪いし、バスとかも通ってない。あそこに行こうと思えばタクシーか自家用車しかないからな。」「でもノリさん。あの辺りって会社とかもないよね。」「そうや。」「しかも送ったのは夜の七時頃。変だよねぇ。」「ほんなこと言うけど、熨子町やって人住んどるんやぞ。たまたま実家に返ってきた奴かもしれんがいや。」「とにかく明日は警察で事情聴取やな。ノリさん。はははは…。」「やめて下さい。はははは。」後ろの席で笑い声が起こった。村上はその楽しげな声を背に酒も途中のまま、物憂げな表情で五千円札を一枚カウンターに置いた。「あれっ、村上さん。お帰りですか。」「あぁ明日も早いから今日はこれで帰るよ。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【公式サイト】http://yamitofuna.org【Twitter】https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVMご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。すべてのご意見に目を通させていただきます。場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。...more10minPlay
March 29, 202040,12月20日 日曜日 19時32分 古田宅このブラウザでは再生できません。古田と片倉は今後の捜査について綿密に打ち合わせをしていた。一色の高校時代の交友関係を当たるためには、彼らの情報を仕入れねばならない。県警に戻ってそれらを一旦整理したいが、自分たちがこそこそと水面下で動いていることが松永たちに露見すると、厄介なことになる。今日は自分たちの頭の中を整理することとし、明日の日勤時にさりげなくそれらの情報を取得することにした。「しっかし、なんでまたこんな事件が起こるんや。」片倉はごろりと畳の上に転がった。「ほやからあいつは好かんかったんや。ウチを引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、このありさまや。ほんとにキャリアってのは好かんわ。松永も一色も同類や。」「片倉ァ。ほんなこと今さら言うなや。」「だから俺はさっさとこの仕事辞めたかったんや。なんか大きな災厄が降りかかってくる気がしたんや。」「だら。」「あん?」「だらやお前。いつからそんな腐った男になったんや。」「なんやて。」「いくらでも言ってやるわ。お前、いま県警が置かれとる立場わかっとらんげんろ。前代未聞の信用失墜や。そんなお家の一大事のときに、捜査の最前線の陣頭指揮を執るべき人間が、間違ってもそんなこと口にするんじゃねぇわいや。お前がなんで今捜査一課の課長を拝命しとるか、いっぺんでも考えたことがあるんか。あん?」「…。」「お前が一色のことをよく思ってなかったのは分かる。事実お前はいろいろ一色に意見した。…ほやけど今までにあいつがお前に何かの報復措置をしたことがあるか?ねぇやろ。」「…。」「キャリアっちゅうやつはプライドが高い奴が多い。ほらほうや。難関試験をパスしてきたエリート達やからな。そんな奴らから見たらワシらなんかカスみたいなもんや。汚れ役とか地道な作業は現場。自分は指示するだけ。しかも机の上で考えた頭でっかちの指示や。ほんでワシらが抑えた手柄は全部自分のもの。現場を踏み台に出世や。そのくせ何かトラブルがあれば現場の責任。ワシも二課でいろんな頭でっかち連中相手にやりとりしとったから、そんなことぐらい分かるわ。けど、あいつは他の連中とはちょっと違っとった。」「…なにがや。」「考えても見いや。あいつは現場主義や。単独行動もいっぱいあった。ほやけどそのトラブルを現場の連中に押し付けたことなんかあったか?あいつはあいつなりに責任を取っとったわ。ほやからずーっとここの県警勤務なんや。」まるで容疑者である一色を庇うかのような発言に不快感を抱いた片倉であったが、古田の言うことは一理ある。確かに自分の意見を取り合ってくれないことばかりだったが、それが為の不利益を被ることはなかった。厳命を発することはしたが、自分を捜査から外すといったことは一度もない。それを考えると松永と同列に論じるのは適切ではない。「んー…トシさん、悪かった。おれが間違っとった。」天井を見ていた片倉は身を起こして、古田と向い合って頭を下げた。「すまん。」「…気にすんな。長い付き合いやろぅ片倉。」「しかしだ…。そんなできた男が今回の連続殺人事件を起こしたとは…。考えれば考えるほど納得がいかんくなる。」「片倉ァ。それはワシも同じや。まぁとにかく逮捕あってのことや。そんためには本庁様の働き振りに期待をするとして、ワシらはとにかく別の方面から手がかりを掴むことに専念するとしまいか。」「あぁ。」片倉の携帯電話が鳴った。発信者名は朝倉忠敏であった。古田は片倉に電話にでるよう、手で合図した。「はい片倉です。…ええ。大丈夫ですが…。えっ!?なんでですか。…ええ、います。分かりました、いまからそちらに行きます。」「どうした。」電話を切った片倉に古田は言った。「特捜からお呼び出しや。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【公式サイト】http://yamitofuna.org【Twitter】https://twitter.com/Z5HaSrnQU74LOVMご意見・ご感想・ご質問等は公式サイトもしくはTwitterからお気軽にお寄せください。皆さんのご意見が本当に励みになります。よろしくおねがいします。すべてのご意見に目を通させていただきます。場合によってはお便り回を設けてそれにお答えさせていただきます。...more8minPlay
FAQs about オーディオドラマ「五の線」リメイク版:How many episodes does オーディオドラマ「五の線」リメイク版 have?The podcast currently has 89 episodes available.