われらの文学 レオンラジオ 楠元純一郎

11 东日本大地震9周年 青空文库 夏目漱石 こころ 上 19+20


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オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」

エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」

作詞作曲 楠元純一郎

編曲 山之内馨


十九


 始め私(わたくし)は理解のある女性(にょしょう)として奥さんに対していた。私がその気で話しているうちに、奥さんの様子が次第に変って来た。奥さんは私の頭脳に訴える代りに、私の心臓(ハート)を動かし始めた。自分と夫の間には何の蟠(わだか)まりもない、またないはずであるのに、やはり何かある。それだのに眼を開(あ)けて見極(みきわ)めようとすると、やはり何(なん)にもない。奥さんの苦にする要点はここにあった。

 奥さんは最初世の中を見る先生の眼が厭世的(えんせいてき)だから、その結果として自分も嫌われているのだと断言した。そう断言しておきながら、ちっともそこに落ち付いていられなかった。底を割ると、かえってその逆を考えていた。先生は自分を嫌う結果、とうとう世の中まで厭(いや)になったのだろうと推測していた。けれどもどう骨を折っても、その推測を突き留めて事実とする事ができなかった。先生の態度はどこまでも良人(おっと)らしかった。親切で優しかった。疑いの塊(かたま)りをその日その日の情合(じょうあい)で包んで、そっと胸の奥にしまっておいた奥さんは、その晩その包みの中を私の前で開けて見せた。

「あなたどう思って?」と聞いた。「私からああなったのか、それともあなたのいう人世観(じんせいかん)とか何とかいうものから、ああなったのか。隠さずいって頂戴(ちょうだい)」

 私は何も隠す気はなかった。けれども私の知らないあるものがそこに存在しているとすれば、私の答えが何であろうと、それが奥さんを満足させるはずがなかった。そうして私はそこに私の知らないあるものがあると信じていた。

「私には解(わか)りません」

 奥さんは予期の外(はず)れた時に見る憐(あわ)れな表情をその咄嗟(とっさ)に現わした。私はすぐ私の言葉を継ぎ足した。

「しかし先生が奥さんを嫌っていらっしゃらない事だけは保証します。私は先生自身の口から聞いた通りを奥さんに伝えるだけです。先生は嘘(うそ)を吐(つ)かない方(かた)でしょう」

 奥さんは何とも答えなかった。しばらくしてからこういった。

「実は私すこし思いあたる事があるんですけれども……」

「先生がああいう風(ふう)になった源因(げんいん)についてですか」

「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれるんですが、……」

「どんな事ですか」

 奥さんはいい渋って膝(ひざ)の上に置いた自分の手を眺めていた。

「あなた判断して下すって。いうから」

「私にできる判断ならやります」

「みんなはいえないのよ。みんないうと叱(しか)られるから。叱られないところだけよ」

 私は緊張して唾液(つばき)を呑(の)み込んだ。

「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好(い)いお友達が一人あったのよ。その方(かた)がちょうど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」

 奥さんは私の耳に私語(ささや)くような小さな声で、「実は変死したんです」といった。それは「どうして」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。

「それっ切りしかいえないのよ。けれどもその事があってから後(のち)なんです。先生の性質が段々変って来たのは。なぜその方が死んだのか、私には解らないの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれどもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」

「その人の墓ですか、雑司ヶ谷(ぞうしがや)にあるのは」

「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪(たま)らないんです。だからそこを一つあなたに判断して頂きたいと思うの」

 私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。



二十


私(わたくし)

は私のつらまえた事実の許す限り、奥さんを慰めようとした。奥さんもまたできるだけ私によって慰められたそうに見えた。それで二人は同じ問題をいつまでも話し合った。けれども私はもともと事の大根(おおね)を攫(つか)んでいなかった。奥さんの不安も実はそこに漂(ただよ)う薄い雲に似た疑惑から出て来ていた。事件の真相になると、奥さん自身にも多くは知れていなかった。知れているところでも悉皆(すっかり)は私に話す事ができなかった。したがって慰める私も、慰められる奥さんも、共に波に浮いて、ゆらゆらしていた。ゆらゆらしながら、奥さんはどこまでも手を出して、覚束(おぼつか)ない私の判断に縋(すが)り付こうとした。

 十時頃(ごろ)になって先生の靴の音が玄関に聞こえた時、奥さんは急に今までのすべてを忘れたように、前に坐(すわ)っている私をそっちのけにして立ち上がった。そうして格子(こうし)を開ける先生をほとんど出合(であ)い頭(がしら)に迎えた。私は取り残されながら、後(あと)から奥さんに尾(つ)いて行った。下女(げじょ)だけは仮寝(うたたね)でもしていたとみえて、ついに出て来なかった。

 先生はむしろ機嫌がよかった。しかし奥さんの調子はさらによかった。今しがた奥さんの美しい眼のうちに溜(たま)った涙の光と、それから黒い眉毛(まゆげ)の根に寄せられた八の字を記憶していた私は、その変化を異常なものとして注意深く眺(なが)めた。もしそれが詐(いつわ)りでなかったならば、(実際それは詐りとは思えなかったが)、今までの奥さんの訴えは感傷(センチメント)を玩(もてあそ)ぶためにとくに私を相手に拵(こしら)えた、徒(いたず)らな女性の遊戯と取れない事もなかった。もっともその時の私には奥さんをそれほど批評的に見る気は起らなかった。私は奥さんの態度の急に輝いて来たのを見て、むしろ安心した。これならばそう心配する必要もなかったんだと考え直した。

 先生は笑いながら「どうもご苦労さま、泥棒は来ませんでしたか」と私に聞いた。それから「来ないんで張合(はりあい)

が抜けやしませんか」といった。

 帰る時、奥さんは「どうもお気の毒さま」と会釈した。その調子は忙しいところを暇を潰(つぶ)させて気の毒だというよりも、せっかく来たのに泥棒がはいらなくって気の毒だという冗談のように聞こえた。奥さんはそういいながら、先刻(さっき)出した西洋菓子の残りを、紙に包んで私の手に持たせた。私はそれを袂(たもと)へ入れて、人通りの少ない夜寒(よさむ)の小路(こうじ)を曲折して賑(にぎ)やかな町の方へ急いだ。

 私はその晩の事を記憶のうちから抽(ひ)き抜いてここへ詳(くわ)

しく書いた。これは書くだけの必要があるから書いたのだが、実をいうと、奥さんに菓子を貰(もら)って帰るときの気分では、それほど当夜の会話を重く見ていなかった。私はその翌日(よくじつ)午飯(ひるめし)を食いに学校から帰ってきて、昨夜(ゆうべ)机の上に載(の)せて置いた菓子の包みを見ると、すぐその中からチョコレートを塗った鳶色(とびいろ)のカステラを出して頬張(ほおば)った。そうしてそれを食う時に、必竟(ひっきょう)この菓子を私にくれた二人の男女(なんにょ)は、幸福な一対(いっつい)として世の中に存在しているのだと自覚しつつ味わった。

 秋が暮れて冬が来るまで格別の事もなかった。私は先生の宅(うち)へ出(で)はいりをするついでに、衣服の洗(あら)い張(は)りや仕立(した)て方(かた)などを奥さんに頼んだ。それまで繻絆(じゅばん)というものを着た事のない私が、シャツの上に黒い襟のかかったものを重ねるようになったのはこの時からであった。子供のない奥さんは、そういう世話を焼くのがかえって退屈凌(たいくつしの)ぎになって、結句(けっく)身体(からだ)の薬だぐらいの事をいっていた。

「こりゃ手織(てお)りね。こんな地(じ)の好(い)い着物は今まで縫った事がないわ。その代り縫い悪(にく)いのよそりゃあ。まるで針が立たないんですもの。お蔭(かげ)で針を二本折りましたわ」

 こんな苦情をいう時ですら、奥さんは別に面倒(めんどう)くさいという顔をしなかった。

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