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「えっ?何やいまの声…。」
職員室の応接ソファーに座っていた相馬が声を上げた。
「追い詰めとるんや。」
「え?」
相馬達の輪の中にひとりの中年男性が居た。ぱっと見は社会科の先生のようである。
「佐竹と古田。この2人が鍋島の頭ン中を引っ掻き回しとる。」
「頭ン中を引っ掻き回す?」
「ああ。鍋島は普通じゃねぇ。普通じゃねぇ奴を相手にすっときはこっちも普通じゃねぇ感じでいかんとな。」
「でも…。」
相馬はあたりを見回した。物々しい無線機材が並び、スタッフが何かの指示を出している。
「あん?これか?」
「ええ。これだけ警察の人らがおればどんな人間でも手も足もでんでしょ。」
「まぁな。」
「でもなんで刑事さんらがここで待機しとるんですか。」
「さっさと鍋島確保しろってか。」
「え…あの…。」
「そりゃいつでもできる。けど佐竹も古田もオトシマエつけんといかんって言っとるんや。ここまで来るにはあいつらの力もでかかったからな。それくらいはあいつらの好きなようにさせんとな。」
「そのオトシマエって何なんですか?」
「知らん。お前さんこそ知らんがかいや。」
「あ…ええ…。」
「まぁ話があるんやろ。話してどうこうなるもんじゃねぇけど、なんちゅうか話して自分の気持を本人にぶつけんことにはどうにも収まらん。そんなところやろ。」
そう言うとこの捜査員は装着しているイヤホンに指を当て眉間にしわを寄せた。
すっくと立ち上がった彼はそのまま窓の方に向かった。背伸びをして首を回しながら外の様子を窺う。あくびをして鼻の付け根を指で抑えながら踵を返した彼は、無線機が並ぶ方に向かって、三つ揃えのスーツを着た男に耳打ちした。
「関班長。ここから400メートル先に6階建てのマンションがあります。あそこは大丈夫ですか。」
「どこです。」
「ここです。」
机に広げられた地図のある箇所を指差すと関は腕を組んで考えた。
「指揮班。」
「はい。」
関の隣に座る男が応えた。
「狙撃支援班から周囲には気になる箇所はないとの報告だったが。」
「はい。ひととおり暗視スコープで周囲を監視。不審な動きは確認できていません。」
「ここはどうだ。」
スーツ姿の男はマンションを指差した。
「…確認します。」
指揮班の男は無線で狙撃支援班に連絡をとる。
「そこから2時の方向にある6階建てのマンションが見えるか。」
「…はい。」
「人影らしきものは。」
「ちょっと待ってください。…いえ…なにも見えません…。」
「何も確認できないようです。」
指揮班の報告に関はまたも腕を組んだ。
「ふうむ…。」
「班長。自分確認に行きます。」
「…気になりますか。」
「はい。勘ですが。」
「人員の関係上、応援はつけられませんよ。」
「承知の上。」
「県警本部の課長さんに何かがあったらどうするんですか。」
「班長の調整力でなんとかしてください。」
「ふっ…。」
関は呆れた。
「いいでしょう。あなたは帰宅する職員に成りすまして校舎から出て下さい。」
「それでは。」
課長と呼ばれる捜査員は職員室を後にした。
関と捜査員のやり取りを見ていた相馬は思わず彼に声をかけた。
「あの…。」
「自分で考えて自分ができることを全てやりきる。そういうことだよ。」
「どういうことですか。」
「君らは君らなりのできることをやり遂げた。僕らは僕らのできることをやりきる。佐竹も古田もそうだ。そしてさっきまで君らの話し相手になっていたあの男もね。」
「…。」
「いま君らが見ているこの光景は、きっとその後の人生にプラスになるものだと思うよ。」
気のせいか関の口元が緩んだ。
「僕もはじめてだよ。こんなに気持ちが高ぶるのは。」
「何だ。今の声は。」
かすかに聞こえた声に反応した悠里は暗視スコープを覗き込んだ。
ーくそ…鍋島のやつ、どこに行った…。
悠里は鍋島を見失っていた。
「あ…。」
グラウンドの中央に男が立っている。
「なんだあいつ…。学校のグラウンドで煙草なんか咥えて何やってんだ…。」
悠里はしばらくその男の姿を観察した。
「なに…サングラスをかけているのか…あいつ…。」
画面に映る人物は一方だけを見て誰かと話しているようだ。
暗視スコープの視点をグラウンドの中央に立つ男が見る方向に移動させる。
「え…。」
そこには頭を手で抑えて座り込む男の姿があった。
「あれは…な…鍋島…。」
咄嗟に悠里は暗視スコープの倍率を下げ、グラウンドを広くおさえた。
「な…もう一人居るのか…。」
鍋島と思われる人物が座り込む中、その側には棒のようなものをもったこれまたサングラスをかけた人物がいる。グラウンドの中央にいる人物も、この人物も互いに鍋島に向かって何かを話しているように見える。
「何者なんだ…あの2人は…。こんな真っ暗な夜になんでふたりともサングラスをかけてるんだ。」
「はぁはぁはぁはぁ…。」
鍋島はニットキャップを脱ぎ捨てた。そして滝のように流れる汗を服の袖で拭う。
「スキンヘッドか。なるほどかつらでも被れば、それなりに別人に成り済ませる。」
月明かりに照らされた鍋島の頭部には、手術か何かの縫合の跡が見えた。暗闇の中で目を凝らしてみると、その縫合の跡のようなものが、彼の耳の下辺りから顎にかけても見える。
「ツギハギだらけじゃないか鍋島。」
「うるせぇ…。」
「首から上をそんんだけいじってたらそりゃ昔の面影なんかなくなるだろうよ。」
「けっ。」
「なんでそこまでして俺らを破滅に追い込みたいんだ。」
「ムカつくんだよ。」
「…。」
「俺の身近には年老いたジジイとババアしか居なかった。このジジイとババアはろくに日本語も喋れない。コミュニケーションが取れない人間を抱えた俺は、この2人の生活を何とかしなければならなかった。高校生にも関わらずバイトをして自分の食うものも減らして、何とか生活した。毎日毎日働いた。お前らが学校から帰って家で惰眠を貪る間、俺は寝ずに働いた。空腹と睡眠不足でときにはぶっ倒れたときだってあった。金さえあれば俺はこんなことをやる必要はなかった。その内情を知らずにお前らはたまには遊ぼうぜとか言って、俺を誘う。んなもんできるかよ。それを断ると愛想が悪いやつとか、やっぱり日本に馴染めないとか陰口を叩く。これがムカつくって言わなくて何なんだ!」
「…。」
「ムカつくんだ。お前らが。この世に生を受けながら社会の底辺で生きていくことを余儀なくされた俺に対して、生きるか死ぬかの瀬戸際も経験したことがないお前らが、まるで世の中をわかったかのような正論を俺にあーだこーだと説く。しかも憐れみの目でな。ふざけるんじゃねぇ。」
「…。」
「いいか。金なんだよ。あの時俺が本当に欲しかったのは日本語の習得でも、勉強でいい成績を収めることでも、剣道で優勝することでもない。地獄のような俺の環境を改善させてくれる金。これなんだよ。」
雄弁に語る鍋島を佐竹と古田は黙って見つめる。
「俺が睡眠を削ってバイトをしても、その稼ぎはたかが知れている。これならいっそ高校を辞めてさっさと仕事をして、経済的な問題を解決してしまおうと思ったさ。でもな…。」
鍋島は北高の校舎を見つめた。
「クソでムカつくが…お前らが北高に居た…。」
「鍋島…。」
「クソなんだよお前らは。ムカつくんだよお前らは。でもな…一応お前らは俺に声をかけてくれた。一色は先輩連中に俺のことをバカにするなと食って掛かった。そんとき思ったよ。クソ野郎ばっかの高校だけど、ここを去れば俺はまたひとりになる。」
「…。」
「別にお前らに頼ろうとは思っていなかった。ただ心の何処かでお前らという存在に少しは救われていたのかもしれない。だから高校を辞めようとは思わなかった。」
思わず佐竹は手にしていた木刀を落としてしまった。
「…じゃあ…なんで…。」
「なに?」
「じゃあなんで…一色や村上をお前は…。」
「…。」
「なんで一色の彼女を…。」
鍋島は大きく息を吐いた。
「それ…聞く?」
「え?」
「野暮だぜ…。佐竹。」
そう言うと鍋島は佐竹に背を向けて古田の方に歩み始めた。
「な…鍋島…。」
「俺はツヴァイスタンからの金というシャブに手を出した。シャブに手を出した人間の末路は俺は知っている。」
「お…おい…。」
自分の方に向かってくる鍋島を見て、古田は煙草を地面に捨てた。
歩きながら鍋島は腰元に手を当てた。
「どうせ悲惨な終わりしかないなら、劇的な終わりを俺は望むよ。」
そう言って彼は一丁の拳銃を取り出して、それを古田めがけて構えた。
「こいつとお前を殺す。」
「な…。」
静寂に包まれていたグラウンドであったが、この時一陣の風が吹き始めた。