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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第111回目は東アジア文化圏の形成と発展「五代十国時代」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇オリジナル基本文
907年の唐滅亡から960年の北宋成立までの間を五代十国時代と言う。節度使の朱全忠が建てた後梁に始まり後唐・後晋・後漢・後周と華北に5つの短命な王朝が相次いで成立した。その周辺で10の大小様々な地方政権が興亡した。
5つのうちの3つ目である後晋は、建国するさいにキタイ(契丹)の援助を受けた。キタイは10世紀初めに耶律阿保機(やりつあぼき)がモンゴル高原東部を中心に建てた強力な国家であり華北の政変に介入して、援助の見返りとして後晋から燕雲十六州を獲得した。
この時代、貴族層は没落し形勢戸とよばれる新興地主や大商人が台頭してきた。
By クロノ教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第111回目は東アジア文化圏の形成と発展「五代十国時代」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇オリジナル基本文
907年の唐滅亡から960年の北宋成立までの間を五代十国時代と言う。節度使の朱全忠が建てた後梁に始まり後唐・後晋・後漢・後周と華北に5つの短命な王朝が相次いで成立した。その周辺で10の大小様々な地方政権が興亡した。
5つのうちの3つ目である後晋は、建国するさいにキタイ(契丹)の援助を受けた。キタイは10世紀初めに耶律阿保機(やりつあぼき)がモンゴル高原東部を中心に建てた強力な国家であり華北の政変に介入して、援助の見返りとして後晋から燕雲十六州を獲得した。
この時代、貴族層は没落し形勢戸とよばれる新興地主や大商人が台頭してきた。