124.1.mp3
ドアをノックする音
「来たか。」
朝倉はドアに向かって部屋に入るよう言った。
長身の男がドアを開け、ゆっくりとした動作で部屋に入ってきた。
「え…。」
片倉の存在に気がついた男は思わず立ち止まった。
「なんでお前がここに…。」
「これは…どういうことなんや…。」
「部長。これはどういうことですか。」
男は不審な顔で朝倉を見るが彼は意に介さない。
「片倉。この男に見覚えがあるだろう。」
「…え…。」
「紹介しよう。直江首席調査官だ。」
朝倉は直江に片倉に挨拶をするよう促した。
「…直江真之です。いつぞやはお世話になりました。」
「直江…やっぱりあん時の…。」
「朝倉部長。これはいったいどういうことですか。」
直江の顔には朝倉に対する不信があからさまに出ていた。
「貴様の代わりだよ。」
「え?」
「モグラは退治しないとな。」
「モグラ?」
朝倉のこの発言に片倉は絶句した。
「え…。」
「調査対象であるコミュに調査員を派遣させるも、奴らは常にそれを察知していた。」
「なんやって…。」
「公調の動きがどうも奴らに筒抜けになっている。そう考えた俺は警察を装って内密に金沢銀行にコンドウサトミの捜査事項照会書のFAXを送った。」
「…。」
「俺は敢えて週末の業務時間終了後にFAXを送った。それが関係部署の人間の目に止まるのはおそらく週明け月曜の朝。その間、銀行は閉まっている。だがすぐさまその情報は今川らに周った。だから金沢銀行であんな事件が起こった。守衛と警備責任者である小松が消され、コンドウサトミの捜査事項照会書もコンドウサトミの顧客情報もすべて鍋島によって消されるというな。」
「…。」
「俺がFAXを送ってから半日も立たないうちに事件は起こった、この迅速さをどう説明するんだ。ん?直江。」
直江は何も言わずに朝倉を睨みつけている。
「熨子山事件で本多を摘発するなどして有能だった貴様が、組織内部の権力闘争に巻き込まれて閑職に追いやられているのが俺は見るに耐えなかった。だから長官に進言して貴様をここに引っ張った。そして俺の側で働いてもらった。それなのに貴様はあろうことか公調の調査対象そのものにネタをリークしていたわけだ。」
「…。」
「一体いつからだ?直江。いつから今川のイヌになった。」
淡々と話す朝倉、黙って彼の発言を聞いている直江。その両者のただならぬ緊張感に片倉は身動きすらとれない。
「貴様がどういう意図で奴らと接点を持っていたのかは知らん。しかし貴様の目論見は潰(つい)えたぞ。」
「どういうことですか。」
「今川も江国も下間もみな県警にパクられた。」
「…下間もですか。」
「あぁ。芳夫な。」
この瞬間、片倉の方直江がちらりと見たような気がした。直江は大きく深呼吸をして重い口を開いた。
「残念だったな。」
この直江の言が部屋にしばらくの沈黙をもたらした。
「…なに?」
「言いたいことはそれだけですか。朝倉部長。」
「何だ貴様…開き直りか。」
直江は胸元からおもむろに携帯電話を取り出した。
「あなたの都合のいいストーリーを聞くのはもうごめんですよ。」
そう言って彼は携帯を操作して、それを応接机の上に置いた。
「我が公調においてツヴァイスタン工作要因として従前より最重要監視対象であるこの今川が、下間芳夫という別の工作員を介して、あの事件後も尚、鍋島に資金を提供していることが明るみになるとあなたにとって非常に都合が悪い事態となりますね。」
「鍋島惇は死んだと判断したのは俺だ。この俺の判断が間違っていたということになる。」
「当時の事件の重要参考人です。例え不作為であろうと間接的にあなたは鍋島の逃走を幇助したことになる。それはあなたの責任問題にもなりかねない。」
「確かにな。」
「今川はコミュというサークル活動を仁川をして組織させ、そこで反体制意識の醸成を図っている。鍋島がその今川の子飼いの部下であったとなると、これまたあなたは不作為であるにせよ間接的に今川を利する判断をしたことになる。」74
「き…貴様…。」
朝倉の表情が変わった。
「まだあります。」
「ふっ...いいだろう。お前は優秀だ。誰かさんと違って物分かりが良い。」
「部長がおっしゃる誰かというのがいまひとつピンときませんが。」
「直江、俺の協力者になれ。」
「人事を握れ。」
「その後は。」
「古田を消せ。」
「直江ぇ!貴様!」
絶叫して朝倉は直江の胸ぐらをつかんだ。
「え…。いま何て…言った…。」
突然の展開に片倉は動揺している。
「貴様!何でっち上げてるんだ!俺はこんなこと言っていない!」
「部長。落ち着いてくださいよ。まだあります。」
机の上に置かれた携帯電話から音声が再生され続ける。
「察庁は何をやっている。」
「さあ。」
「松永は無能か。」
「そうかもしれません。」
「直江、少しはフォローしたらどうだ。」
「いえ。フォローのしようがありません。」
「お前も酷い男だな。」
「ですが、この一件で警察内で明るみになった事があります。」
この言葉に朝倉は15秒ほど沈黙し、ゆっくりと口を開いた。
「コンドウサトミこと鍋島惇の生存か。」
「はい。奴の生存が察庁内で明るみになったということで、熨子山事件に関わった人間の聴取が始まることでしょう。」
「それはお前の方でうまい具合に調整をつけておけ。」
「どのように?」
「知らぬ存ぜぬでいい。」
「と言いますと?」
「鍋島は七尾で村上よって殺害されたと判断するのが当時の状況から最も合理的な判断だった。それ以上でもそれ以下でもないと。」83
「一旦は熨子山事件の自分の判断ミスと間接的に今川らを利することを行った事を認めていたはずなのに、この時点ではそのもみ消しを図っている。」
「知らん!俺は知らんぞ!直江…貴様…そんな録音…どうにでもでっち上げられるだろうが!」
「録音?」
「ああ…。」
「おかしいですね。部長。私はこれを録音なんて一言も言ってませんよ。」
「ぐぐぐ…。」
朝倉は肩を震わせた。
「なんだ貴様は!俺をおちょくってるのか!」
朝倉は直江に殴りかかった。だがそれは片倉によって制止された。
「離せ!離せ片倉!」
「離しません。」
「離さんか!」
朝倉は片倉の腕を振りほどいた。
「はぁはぁはぁはぁ…。」
「朝倉部長。確かにわたしの録音だけだと証拠不十分かもしれません。ですがもうひとつあるとすればどうでしょう。」
「なに!?」
「おい!入れ!」
直江が声を上げると部屋のドアが開かれた。
「…わ…若林…。」
ガッシリとした体格にも関わらず、顔はほっそりとした制服姿の若林が現れた。