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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第115回目は東アジア文化圏の形成と発展「南宋その1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇オリジナル基本文
靖康の変で、皇帝が北方に連行されたが皇帝の弟が江南に逃れられた。彼(高宗)は臨案を都にして宋を再建する。これ以降を南宋と呼ぶ。
金にどう対処するかで主戦派と和平派の2つに分かれた。将軍の岳飛は金との対決を主張し、宰相の秦檜(しんかい)は金が淮河より南進しない可能性が高いことを理由に和平を結ぶべきだと主張した。最終的に和平派が勝利、淮河を境界とし歳幣を贈る屈辱的な和約を結んだ。
By クロノ教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第115回目は東アジア文化圏の形成と発展「南宋その1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。
◇オリジナル基本文
靖康の変で、皇帝が北方に連行されたが皇帝の弟が江南に逃れられた。彼(高宗)は臨案を都にして宋を再建する。これ以降を南宋と呼ぶ。
金にどう対処するかで主戦派と和平派の2つに分かれた。将軍の岳飛は金との対決を主張し、宰相の秦檜(しんかい)は金が淮河より南進しない可能性が高いことを理由に和平を結ぶべきだと主張した。最終的に和平派が勝利、淮河を境界とし歳幣を贈る屈辱的な和約を結んだ。