われらの文学 レオンラジオ 楠元純一郎

22 这部作品难道说的就是我 青空文库 夏目漱石 こころ 中 5+6


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オープニングソング「水魚の交わり(魚水情)」

エンディングソング「バイオバイオバイオ(遺伝子の舟)」

作詞作曲 楠元純一郎

編曲 山之内馨



 父の元気は次第に衰えて行った。私(わたくし)を驚かせたハンケチ付きの古い麦藁帽子(むぎわらぼうし)が自然と閑却(かんきゃく)されるようになった。私は黒い煤(すす)けた棚の上に載(の)っているその帽子を眺(なが)めるたびに、父に対して気の毒な思いをした。父が以前のように、軽々と動く間は、もう少し慎(つつし)んでくれたらと心配した。父が凝(じっ)と坐(すわ)り込むようになると、やはり元の方が達者だったのだという気が起った。私は父の健康についてよく母と話し合った。

「まったく気のせいだよ」と母がいった。母の頭は陛下の病(やまい)と父の病とを結び付けて考えていた。私にはそうばかりとも思えなかった。

「気じゃない。本当に身体(からだ)が悪かないんでしょうか。どうも気分より健康の方が悪くなって行くらしい」

 私はこういって、心のうちでまた遠くから相当の医者でも呼んで、一つ見せようかしらと思案した。

「今年の夏はお前も詰(つま)らなかろう。せっかく卒業したのに、お祝いもして上げる事ができず、お父さんの身体(からだ)もあの通りだし。それに天子様のご病気で。――いっその事、帰るすぐにお客でも呼ぶ方が好かったんだよ」

 私が帰ったのは七月の五、六日で、父や母が私の卒業を祝うために客を呼ぼうといいだしたのは、それから一週間後(ご)であった。そうしていよいよと極(き)めた日はそれからまた一週間の余も先になっていた。時間に束縛を許さない悠長な田舎(いなか)に帰った私は、お蔭(かげ)で好もしくない社交上の苦痛から救われたも同じ事であったが、私を理解しない母は少しもそこに気が付いていないらしかった。

崩御(ほうぎょ)の報知が伝えられた時、父はその新聞を手にして、「ああ、ああ」といった。

「ああ、ああ、天子様もとうとうおかくれになる。己(おれ)も……」

 父はその後(あと)をいわなかった。

 私は黒いうすものを買うために町へ出た。それで旗竿(はたざお)の球(たま)を包んで、それで旗竿の先へ三寸幅(ずんはば)のひらひらを付けて、門の扉の横から斜めに往来へさし出した。旗も黒いひらひらも、風のない空気のなかにだらりと下がった。私の宅(うち)の古い門の屋根は藁(わら)で葺(ふ)いてあった。雨や風に打たれたりまた吹かれたりしたその藁の色はとくに変色して、薄く灰色を帯びた上に、所々(ところどころ)の凸凹(でこぼこ)さえ眼に着いた。私はひとり門の外へ出て、黒いひらひらと、白いめりんすの地(じ)と、地のなかに染め出した赤い日の丸の色とを眺(なが)めた。それが薄汚ない屋根の藁に映るのも眺めた。私はかつて先生から「あなたの宅の構えはどんな体裁ですか。私の郷里の方とは大分(だいぶ)趣が違っていますかね」と聞かれた事を思い出した。私は自分の生れたこの古い家を、先生に見せたくもあった。また先生に見せるのが恥ずかしくもあった。

 私はまた一人家のなかへはいった。自分の机の置いてある所へ来て、新聞を読みながら、遠い東京の有様を想像した。私の想像は日本一の大きな都が、どんなに暗いなかでどんなに動いているだろうかの画面に集められた。私はその黒いなりに動かなければ仕末のつかなくなった都会の、不安でざわざわしているなかに、一点の燈火のごとくに先生の家を見た。私はその時この燈火が音のしない渦(うず)の中に、自然と捲(ま)き込まれている事に気が付かなかった。しばらくすれば、その灯(ひ)もまたふっと消えてしまうべき運命を、眼(め)の前に控えているのだとは固(もと)より気が付かなかった。

 私は今度の事件について先生に手紙を書こうかと思って、筆を執(と)りかけた。私はそれを十行ばかり書いて已(や)めた。書いた所は寸々(すんずん)に引き裂いて屑籠(くずかご)へ投げ込んだ。(先生に宛(あ)ててそういう事を書いても仕方がないとも思ったし、前例に徴(ちょう)してみると、とても返事をくれそうになかったから)。私は淋(さび)しかった。それで手紙を書くのであった。そうして返事が来れば好(い)いと思うのであった。




 八月の半(なか)ばごろになって、私(わたくし)はある朋友(ほうゆう)から手紙を受け取った。その中に地方の中学教員の口があるが行かないかと書いてあった。この朋友は経済の必要上、自分でそんな位地を探し廻(まわ)る男であった。この口も始めは自分の所へかかって来たのだが、もっと好(い)い地方へ相談ができたので、余った方を私に譲る気で、わざわざ知らせて来てくれたのであった。私はすぐ返事を出して断った。知り合いの中には、ずいぶん骨を折って、教師の職にありつきたがっているものがあるから、その方へ廻(まわ)してやったら好(よ)かろうと書いた。

 私は返事を出した後で、父と母にその話をした。二人とも私の断った事に異存はないようであった。

「そんな所へ行かないでも、まだ好(い)い口があるだろう」

 こういってくれる裏に、私は二人が私に対してもっている過分な希望を読んだ。迂闊(うかつ)な父や母は、不相当な地位と収入とを卒業したての私から期待しているらしかったのである。

「相当の口って、近頃(ちかごろ)じゃそんな旨(うま)い口はなかなかあるものじゃありません。ことに兄さんと私とは専門も違うし、時代も違うんだから、二人を同じように考えられちゃ少し困ります」

「しかし卒業した以上は、少なくとも独立してやって行ってくれなくっちゃこっちも困る。人からあなたの所のご二男(じなん)は、大学を卒業なすって何をしてお出(いで)ですかと聞かれた時に返事ができないようじゃ、おれも肩身が狭いから」

 父は渋面(しゅうめん)をつくった。父の考えは、古く住み慣れた郷里から外へ出る事を知らなかった。その郷里の誰彼(だれかれ)から、大学を卒業すればいくらぐらい月給が取れるものだろうと聞かれたり、まあ百円ぐらいなものだろうかといわれたりした父は、こういう人々に対して、外聞の悪くないように、卒業したての私を片付けたかったのである。広い都を根拠地として考えている私は、父や母から見ると、まるで足を空に向けて歩く奇体(きたい)な人間に異ならなかった。私の方でも、実際そういう人間のような気持を折々起した。私はあからさまに自分の考えを打ち明けるには、あまりに距離の懸隔(けんかく)の甚(はなはだ)しい父と母の前に黙然(もくねん)としていた。

「お前のよく先生先生という方にでもお願いしたら好(い)いじゃないか。こんな時こそ」

 母はこうより外(ほか)に先生を解釈する事ができなかった。その先生は私に国へ帰ったら父の生きているうちに早く財産を分けて貰えと勧める人であった。卒業したから、地位の周旋をしてやろうという人ではなかった。

「その先生は何をしているのかい」と父が聞いた。

「何にもしていないんです」と私が答えた。

 私はとくの昔から先生の何もしていないという事を父にも母にも告げたつもりでいた。そうして父はたしかにそれを記憶しているはずであった。

「何もしていないというのは、またどういう訳かね。お前がそれほど尊敬するくらいな人なら何かやっていそうなものだがね」

 父はこういって、私を諷(ふう)した。父の考えでは、役に立つものは世の中へ出てみんな相当の地位を得て働いている。必竟(ひっきょう)やくざだから遊んでいるのだと結論しているらしかった。

「おれのような人間だって、月給こそ貰っちゃいないが、これでも遊んでばかりいるんじゃない」

 父はこうもいった。私はそれでもまだ黙っていた。

「お前のいうような偉い方なら、きっと何か口を探して下さるよ。頼んでご覧なのかい」と母が聞いた。

「いいえ」と私は答えた。

「じゃ仕方がないじゃないか。なぜ頼まないんだい。手紙でも好(い)いからお出しな」

「ええ」

 私は生返事(なまへんじ)をして席を立った。

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