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3月25日士師記19-21章


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3月25日

士師記 19〜21章

たとえ人間のリーダーが誰もいない最悪の状況であっても、神様の子どもたちには、いつでも必ず「王様」がいます。

私が立ってメッセージを語ったり、座って文章を書いたりする時、いつも私の周りにはたくさんの人が一緒に立ったり座ったりしてくれているような気がします。その人たちとは、先生、牧師、教授、信仰の先輩、クリスチャンのリーダー、作家、そして友人たちです。神様は彼らを通して私を成長させてくれましたし、今も彼らを用いておられます。私は彼ら一人ひとりと、彼らが私に与え続けてくれ ている影響に感謝しています。彼らは私が福音(ふくいん)を理解するのを助け、神様の言葉を教え伝える方法を教えてくれました。また、神様への奉仕を中心に据えた生き方や、良い夫・良い父親になるとはどういうことかを示し、他の人をリードする方法、そして神様の恵みの中で成長し続ける方法を教えてくれました。神様は、私を導き、教え、指導し、正しい道へと軌道修正してくれる人たちを与えてくださったのです。

でも、こんなに大切な人たちでさえ、私の人生に永遠にいてくれるわけではありません。彼らはみんな、神様の計画に合わせて私の人生に現れ、そして去っていきました。

しかし、私の人生でずっと変わらずに私を導き、教え、正し、守り、必要なものを与え続けてくれている方が一人だけいます。それは、私の救い主であり王である方です。私の人生において、王様のように私を引き上げ、助けてくれた他の人たちはみんな、永遠に真実で永遠の王である「イエス様」を代表して、神様が私の人生に一時的に置いてくれた代理人だったのです。

士師記の一番最後の節には、こう書かれています。

『そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた。』(士師記 21章25節)

この悲しくて、暗くて、不調和なトーンは、士師記の中で何度も繰り返し出てきます。神様によって特別に選ばれた民とされたのに。神様が彼らのためにすべての栄光を現してくださったのに。神様が次々と救い主を立ててくださったのに。神様の愛に満ちた守りと備えがあったのに。何度も何度も警告してくださったのに。それなのに、イスラエルの人々は今、こんなにも悲惨な状況に陥っています。道徳的な個人主義が広まり、みんなが「自分の考えこそが絶対のルールだ」と思い込んでいました。イスラエルはまだ神様に選ばれた特別な民だったのに、実際の行動では、神様が一緒にいることや神様の権威を完全に無視していたのです。この士師記の言葉は、私たちが涙を流して悲しむべき出来事です。

だからこそ、イスラエルには「王」がどうしても必要でした。国を治め、国のために戦うだけでなく、奴隷状態から救い出してくれた神様を礼拝し、神様に仕える生活へとイスラエルを連れ戻すための、神様に選ばれた道徳的な代表者が必要だったのです。神様は彼らに律法を与え、罪が赦される道を用意し、必要なものを与え、敵を打ち破ってくれました。だからイスラエルには、道徳的な大改革をリードしてくれる、神様を心から敬うリーダーが切実に必要でした。

でも、私がこの最後の聖書箇所を読んだ時、こう思いました。「いや、イスラエルには確かに『王』がいたはずだ。創造主であり、主権者であり、王の王である方が」と。神様の子どもたちには、神様の心にかなった「ダビデ王」がどうしても必要でしたが、最終的に彼らが一番必要としていたのは、完璧な王様——ダビデの子孫である「イエス様」だったのです。彼らは最高の王様を持っていたのに、何度も何度も彼を拒絶し、自分勝手な支配で満足することを選びました。

私たちの人生において、一番の「王様(自分を支配するもの)」が何であれ、私たちが喜んで自分の意志を手放し、唯一の完璧で永遠の王であるイエス様の御心(みこころ)に降参できるように、神様が私たちに恵みを与えてくださいますように。

→ さらなる励ましと学びのために:詩篇 47篇7節〜9節 を読んでみましょう。

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365 毎日のデボーションBy Grace Bridge International Baptist Church