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3月28日サムエル記 第一 4〜8章


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3月28日 サムエル記 第一 4〜8章

全能の主が栄光の中で支配しておられることを、いつも覚えていてください。神様は、ご自分の栄光を他の誰かに譲ることは絶対にありません。

 

私は面白いコメディが大好きです。見ていてハラハラしたり、ちょっと気まずくなったりするようなコメディのシーンも好きです。なぜなら、そういうシーンでは、人間のめちゃくちゃな性格や、本当の狙い、素の反応がむき出しになるからです。よくできたコメディを見ていると、登場人物の代わりに恥ずかしくなって、「うわっ、この人すっかりボロが出てる(比喩ですが)。周りの人はみんな気づいてるのに、本人だけが分かってない!」なんて心の中でツッコミを入れたくなります。笑いながらも眉をひそめたり、その人のために悲しくなったりしつつ、ボロが出ている状況そのものを楽しんでしまうんです。

コメディは、私たちの心の壁を突破して、説教ではなかなか気づけないような自分自身の姿を、振り返らせて認めるように促してくれます。神様は私たちに「笑う力」を与えてくれました。ユーモアは神様からの素晴らしいプレゼントですが、そのプレゼントでさえ、神様の存在と栄光を指し示すためのものなんです。

 

実は、聖書の中にも神様が残してくれた「神聖なコメディ」があります。それに気づかないと、神様が語るストーリーの本当の力を受け取ることができません。サムエル記 第一の5章には、まさにそんな瞬間が記録されています。これは最高の「神聖なコメディ」です。ペリシテ人はイスラエル人から「主の箱(契約の箱)」を奪い取り、自分たちの神であるダゴンの方が、全能の主であり万物の創造主である神様よりも力があるんだ、とすっかり信じ込んでいました。さあ、このバカバカしいシチュエーションを一緒にのぞいてみましょう。人間の手で作られたただの石像が、王の王である神様と肩を並べることができるでしょうか?神様よりも偉大になれるでしょうか?この後に起こる出来事を見れば、あなたはきっと神様を畏れ敬い、同時にこの石像を笑わずにはいられなくなるはずです。

『アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、なんと、ダゴンは主に箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、元の場所に戻した。次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになった倒れていた。ダゴンの頭と両手は切り離されて敷居のところにあり、胴体だけがそこに残っていた。』(サムエル記 第一 5章3〜4節)

 

なんて気まずい状況でしょう!偉大な征服者であるはずのダゴンが、主の箱の前にうつぶせに倒れて、まるで神様を礼拝しているかのようです。神様は、ご自身の栄光を他の誰かに譲ることは決してありません。この偶像は、神様の栄光の前では全くの無力でした。

この光景を想像すると、思わず吹き出してしまいますよね。でも、この神聖なコメディはこれだけでは終わりません。ペリシテ人はダゴンの力を見せかけようと必死になって、もう一度ダゴンを立たせました。でも結局、またしても倒され、今度は頭と両手まで切り落とされて、さらに無力でみじめな姿になってしまったのです。

ここを読むと、私には天からの笑い声が聞こえてくるような気がします。それは神様を賛美する笑い声です。神様はご自身の栄光を誰にも渡しません。詩篇 2篇4節には、『天の王座に着いている方は笑い、主はその者たちをあざけられる』と書かれています。私たちの偉大な神様の計画と栄光に挑むなんて、本当にバカバカしくて無意味なことです。そんな挑戦を聞けば、私たちは心の中で思わず笑い出してしまうはずです。

→ さらなる励ましと学びのために:イザヤ書 42章8節〜12節 を読んでみましょう。

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